第17回「小説でもどうぞ」選外佳作 家路/紅帽子
第17回結果発表
課 題
家
※応募数253編
選外佳作
「家路」
紅帽子
「家路」
紅帽子
教会のステンドグラスが夕焼け色に輝き、ドラマチックにオルガンが賛美歌を奏でた後、少年少女の聖歌隊が登場した。
誰もが知っているメロディを美しいハーモニーで響かせる。
隣に座り指を組み、僕と同じように祈っている女性が静かに声を合わせた。
「遠ーきー、やーまにー、日ーは落ーちて」
彼女が歌い始めたのは、あの郷愁を誘うメロディだ。僕にとっては忘れようとしても忘れられない曲、『家路』。
学校帰りに家から遠く離れた海岸で同級生の岩 っちゃんと潮干狩りをしていた。遠浅の海岸で潮が引くと沖まで出られるのだ。僕と岩っちゃんは手掘りでアサリを獲っていた。
「今日はぎょうさん獲れるのう」
「ほんまじゃ、明日は吸い物がうまいでえ」
僕たちは時間が経つのを忘れていた。下を向いて掘っているので方向感覚もなかった。
顔を上げると夕日が岩っちゃんの影をずっと沖のほうまで伸ばしていた。
「岩っちゃん」
と僕は思わず呟いた。
「海が来とるで」
振り向いた岩っちゃんが、わあっと叫び声をあげた。
「わしら、海の中に入っとる」
僕は周りを見渡した。信じられなかった。知らぬ間に潮が満ち、四方を海が取り囲んでいる。
「こりゃあ、いけん!」
岩っちゃんが叫んだ。
何も口にできないまま僕は立ち上がりすぐに駆けていた。
「どっちへ、行くんや」
岩っちゃんの震える声が後ろに聞こえたが、振り返らなかった。
潮が満ち始めるとみるみるうちに海は高さを増した。足先だけだ、大丈夫と思っていると、踝 へ、あっという間に向こう脛 まで、そして膝へと潮が押し寄せてきた。
すでに走れる状況ではなかった。足はぬかるみ、腿まで海に浸かっている。
思い切って服を着たまま海に飛び込んだ。すでに背の届かないほど海が深くなっていた。体全体が不安と恐怖の塊となり手足をばたつかせたが、かえって身体は海に沈み込んでいく。なんども海水を飲み込み、もうだめだと思ったその時だった。
誰かの手が僕の肩をしっかり掴んだ。
「なにをするんや」
僕は手を払いのけようともがいたが水の中なのでうまくいかない。
「そっちは、沖じゃろうが」
その言葉と同時に、僕の背後から耳に馴染みのある曲が聞こえてきた。町内放送なのか、聞き覚えのあるメロディだ。学校帰りにも放送されるあの曲、題名も知らないがどこか懐かしい気持ちを起こさせるメロディ。
はっと気づいた。僕は沖に泳いでいたのだ。すばやくターンして、その町内放送の流れる方向に頭を向け必死に泳いでいった。
肩を掴んでいた手は気づけば離れていた。
僕の意識はそこまでだ。気づくと病院のベッドの上だった。知った顔がのぞき込んでいる。母と父それに姉。よかったーと、みんなの声がした。
「アサリはどうなったん?」
僕の第一声がそれだったと、あとで母に聞かされた。
それからまた僕は眠ったらしい。
気づくと朝だった。母がベッドの傍でパイプ椅子に座ったままこっくりこっくりやっている。
僕は助かったんだと、そのときようやくほっとした。
どのくらい経っただろう。
「あーっ」
僕は大きな声を上げた。「岩っちゃんは、岩っちゃんはどうなったん?」
ここの教会は天井が高くコーラスが反響し天から降ってくるようだ。愁いに満ちているが、どこか懐かしさを感じるメロディ。まるで死者の魂を天国に返すかのように教会全体に響き渡っている。
隣に座り指を組んで祈りながら小さな声で歌っているのは、岩っちゃんの妹だ。
『家路』の合唱が終わり、お開きの曲となった。オルガンを弾く岩崎誠二がこちらにちらと目を向けてウインクした。『えかったのう』そう言っているみたいに見えた。
岩崎誠二はおもむろに結婚行進曲を厳かに奏ではじめた。
僕の隣で岩っちゃんの妹が微笑んだ。
「お兄ちゃん、はりきっているわね、今日の演奏は、とくに。あなたと私のために」
小学校五年のあの時から四半世紀が経っていた。
(了)
誰もが知っているメロディを美しいハーモニーで響かせる。
隣に座り指を組み、僕と同じように祈っている女性が静かに声を合わせた。
「遠ーきー、やーまにー、日ーは落ーちて」
彼女が歌い始めたのは、あの郷愁を誘うメロディだ。僕にとっては忘れようとしても忘れられない曲、『家路』。
学校帰りに家から遠く離れた海岸で同級生の
「今日はぎょうさん獲れるのう」
「ほんまじゃ、明日は吸い物がうまいでえ」
僕たちは時間が経つのを忘れていた。下を向いて掘っているので方向感覚もなかった。
顔を上げると夕日が岩っちゃんの影をずっと沖のほうまで伸ばしていた。
「岩っちゃん」
と僕は思わず呟いた。
「海が来とるで」
振り向いた岩っちゃんが、わあっと叫び声をあげた。
「わしら、海の中に入っとる」
僕は周りを見渡した。信じられなかった。知らぬ間に潮が満ち、四方を海が取り囲んでいる。
「こりゃあ、いけん!」
岩っちゃんが叫んだ。
何も口にできないまま僕は立ち上がりすぐに駆けていた。
「どっちへ、行くんや」
岩っちゃんの震える声が後ろに聞こえたが、振り返らなかった。
潮が満ち始めるとみるみるうちに海は高さを増した。足先だけだ、大丈夫と思っていると、
すでに走れる状況ではなかった。足はぬかるみ、腿まで海に浸かっている。
思い切って服を着たまま海に飛び込んだ。すでに背の届かないほど海が深くなっていた。体全体が不安と恐怖の塊となり手足をばたつかせたが、かえって身体は海に沈み込んでいく。なんども海水を飲み込み、もうだめだと思ったその時だった。
誰かの手が僕の肩をしっかり掴んだ。
「なにをするんや」
僕は手を払いのけようともがいたが水の中なのでうまくいかない。
「そっちは、沖じゃろうが」
その言葉と同時に、僕の背後から耳に馴染みのある曲が聞こえてきた。町内放送なのか、聞き覚えのあるメロディだ。学校帰りにも放送されるあの曲、題名も知らないがどこか懐かしい気持ちを起こさせるメロディ。
はっと気づいた。僕は沖に泳いでいたのだ。すばやくターンして、その町内放送の流れる方向に頭を向け必死に泳いでいった。
肩を掴んでいた手は気づけば離れていた。
僕の意識はそこまでだ。気づくと病院のベッドの上だった。知った顔がのぞき込んでいる。母と父それに姉。よかったーと、みんなの声がした。
「アサリはどうなったん?」
僕の第一声がそれだったと、あとで母に聞かされた。
それからまた僕は眠ったらしい。
気づくと朝だった。母がベッドの傍でパイプ椅子に座ったままこっくりこっくりやっている。
僕は助かったんだと、そのときようやくほっとした。
どのくらい経っただろう。
「あーっ」
僕は大きな声を上げた。「岩っちゃんは、岩っちゃんはどうなったん?」
ここの教会は天井が高くコーラスが反響し天から降ってくるようだ。愁いに満ちているが、どこか懐かしさを感じるメロディ。まるで死者の魂を天国に返すかのように教会全体に響き渡っている。
隣に座り指を組んで祈りながら小さな声で歌っているのは、岩っちゃんの妹だ。
『家路』の合唱が終わり、お開きの曲となった。オルガンを弾く岩崎誠二がこちらにちらと目を向けてウインクした。『えかったのう』そう言っているみたいに見えた。
岩崎誠二はおもむろに結婚行進曲を厳かに奏ではじめた。
僕の隣で岩っちゃんの妹が微笑んだ。
「お兄ちゃん、はりきっているわね、今日の演奏は、とくに。あなたと私のために」
小学校五年のあの時から四半世紀が経っていた。
(了)