第17回「小説でもどうぞ」選外佳作 学生アパート/湖條登四季
第17回結果発表
課 題
家
※応募数253編
選外佳作
「学生アパート」
湖條登四季
「学生アパート」
湖條登四季
生活に必要なものをすべて学生生協で調達したが、学生アパートに入居した当日には届かなかった。小型冷蔵庫も、書棚も、机も、チェストボックスも、テレビも、こたつテーブルも、それどころかベッドも掛け布団もなし。生協に問い合わせたら、ちょっと手違いがあって翌日しか配送できないという。配送は明日の午前中になりますがよろしいでしょうか。しょうがないので僕は何もない部屋でひと晩を過ごすことになった。
さいわい、実家からの荷物は届いているので、HDDステレオで音楽もラジオも聴けるし、パソコンがあるのでインターネットもできるし、我慢すればひと晩はなんとかなりそうだ。しかしベッドや布団がないのはつらい。しかも床はフローリング。ためしに壁にもたれて床にじかに寝そべってみたが、体が痛いし、床は冷たいし、最低の寝心地だった。
とにかく何もない部屋には長くはいられない。僕は部屋の鍵を取って早々に出かけた。
実家ではいつも犬を飼っていた。ペトロニウスという名前の雑種だ。僕がいきなりいなくなったのでずいぶん途方に暮れているんじゃないだろうか。その前にはロンという、これも雑種の仔犬を飼っていた。賢くてすばしこい犬で、僕にいちばんなついていた。
しかし、ある日突然、ロンはいなくなった。忽然と姿を消した。
僕はその日、一日中泣いた。小学六年生のときだった。夜になっても泣き止まず、僕は悶々とひと晩を過ごした。父が言うには、ロンはどこか旅に出たのだと。ロンがどうして旅に出たのかは父にもわからなかった。ただ、旅に出ただけ。『奇跡の旅』という映画を観たことがあったので、犬も猫もとほうもない距離を旅するのだと思っていたので、さほど父を疑わなかった。それでも、悲しくて仕方がなかった。
犬は好きだが、少なくともこれから四年間は、大好きな犬も飼えなくなる。アパートだし、大学生の一人暮らしだし、たったひとりで犬の世話をする自信もないし。
アパートを出て、歩道をしばらく行く。すると、いきなり犬の鳴き声が聞こえてきた。
僕はとっさに辺りを見まわした。怒って威嚇しているような吠え方ではなかった。なんだか、ときおりクーンクーンと切なげな声を出している。すぐに、門構えの立派な家が見えてきた。
裕福そうな家には不似合いな、雑種の成犬が杭につながれていた。あきらかに、僕に向かって吠えている。リードをめいっぱい引っぱって。そして僕は息をのんだ。
犬はロンにそっくりだった。
仔犬のロンが成長したら、こんな姿になるんじゃないかと思うような姿だった。
いや、そっくりどころじゃない。この犬はロンそのものだ。だって、鼻の右横に黒い斑点があるんだ。それがロンの特徴だった。この犬はあきらかに旅に出たロンの成長した姿だったのだ。
もちろん、百パーセント確信はできない。特徴が偶然一致している可能性もある。しかし、見ず知らずの犬があんなに切なげに鳴くことがあるだろうか。あれは絶対にロンだ。
僕はさらに近寄った。ロンもさらに近寄ろうとする。僕の頬を涙がつたい落ちた。すると、家の玄関がいきなり開いて、高校生くらいの女の子が出てきた。マイケル、どうして吠えてるの? だめじゃない。女の子は犬をじゃらしはじめた。僕に向かって必死に吠えていた犬が、迷いながら次第に女の子に甘えるようになった。
ふと、女の子が門にへばりついている僕に気づき、ふっと微笑んだ。
「犬が好きなんですか?」
「うん、あそこの学生アパートに引っ越してきたんだ」
「じゃあ、大学に合格したんですね」
「うん」
「おめでとうございます」
「あ、ありがとう」
「この子、マイケルって言うの。あなたになついたみたい」
「そうかな」
「ご近所だから、いつでも会えるね」
「うん」
「マイケルのお友だちになってね」
「うん」
僕は自分が子どものころにそれとそっくりの犬を飼っていたとは言わなかった。その犬は、僕のロンに違いないと。
僕はアパートの部屋にもどった。壁に背中をもたれて、床に寝そべった。涙が止まらない。僕は声をあげて泣いた。そして、ときどき笑いながら泣いた。
(了)
さいわい、実家からの荷物は届いているので、HDDステレオで音楽もラジオも聴けるし、パソコンがあるのでインターネットもできるし、我慢すればひと晩はなんとかなりそうだ。しかしベッドや布団がないのはつらい。しかも床はフローリング。ためしに壁にもたれて床にじかに寝そべってみたが、体が痛いし、床は冷たいし、最低の寝心地だった。
とにかく何もない部屋には長くはいられない。僕は部屋の鍵を取って早々に出かけた。
実家ではいつも犬を飼っていた。ペトロニウスという名前の雑種だ。僕がいきなりいなくなったのでずいぶん途方に暮れているんじゃないだろうか。その前にはロンという、これも雑種の仔犬を飼っていた。賢くてすばしこい犬で、僕にいちばんなついていた。
しかし、ある日突然、ロンはいなくなった。忽然と姿を消した。
僕はその日、一日中泣いた。小学六年生のときだった。夜になっても泣き止まず、僕は悶々とひと晩を過ごした。父が言うには、ロンはどこか旅に出たのだと。ロンがどうして旅に出たのかは父にもわからなかった。ただ、旅に出ただけ。『奇跡の旅』という映画を観たことがあったので、犬も猫もとほうもない距離を旅するのだと思っていたので、さほど父を疑わなかった。それでも、悲しくて仕方がなかった。
犬は好きだが、少なくともこれから四年間は、大好きな犬も飼えなくなる。アパートだし、大学生の一人暮らしだし、たったひとりで犬の世話をする自信もないし。
アパートを出て、歩道をしばらく行く。すると、いきなり犬の鳴き声が聞こえてきた。
僕はとっさに辺りを見まわした。怒って威嚇しているような吠え方ではなかった。なんだか、ときおりクーンクーンと切なげな声を出している。すぐに、門構えの立派な家が見えてきた。
裕福そうな家には不似合いな、雑種の成犬が杭につながれていた。あきらかに、僕に向かって吠えている。リードをめいっぱい引っぱって。そして僕は息をのんだ。
犬はロンにそっくりだった。
仔犬のロンが成長したら、こんな姿になるんじゃないかと思うような姿だった。
いや、そっくりどころじゃない。この犬はロンそのものだ。だって、鼻の右横に黒い斑点があるんだ。それがロンの特徴だった。この犬はあきらかに旅に出たロンの成長した姿だったのだ。
もちろん、百パーセント確信はできない。特徴が偶然一致している可能性もある。しかし、見ず知らずの犬があんなに切なげに鳴くことがあるだろうか。あれは絶対にロンだ。
僕はさらに近寄った。ロンもさらに近寄ろうとする。僕の頬を涙がつたい落ちた。すると、家の玄関がいきなり開いて、高校生くらいの女の子が出てきた。マイケル、どうして吠えてるの? だめじゃない。女の子は犬をじゃらしはじめた。僕に向かって必死に吠えていた犬が、迷いながら次第に女の子に甘えるようになった。
ふと、女の子が門にへばりついている僕に気づき、ふっと微笑んだ。
「犬が好きなんですか?」
「うん、あそこの学生アパートに引っ越してきたんだ」
「じゃあ、大学に合格したんですね」
「うん」
「おめでとうございます」
「あ、ありがとう」
「この子、マイケルって言うの。あなたになついたみたい」
「そうかな」
「ご近所だから、いつでも会えるね」
「うん」
「マイケルのお友だちになってね」
「うん」
僕は自分が子どものころにそれとそっくりの犬を飼っていたとは言わなかった。その犬は、僕のロンに違いないと。
僕はアパートの部屋にもどった。壁に背中をもたれて、床に寝そべった。涙が止まらない。僕は声をあげて泣いた。そして、ときどき笑いながら泣いた。
(了)