第19回「小説でもどうぞ」佳作 くいくい トラキャット
第19回結果発表
課 題
もの食う話
※応募数276編
くいくい
トラキャット
トラキャット
うまそうな匂いがする。匂いに誘われてたどり着いたのは、とある民家だった。匂いのする部屋に入ると、一人のガキが布団で静かに寝ている。匂いの元はそいつだ。舌なめずりしながら、ガキの顔を覗き込む。
「なぁ、お前。食わせろよ」
目を覚ましたガキは驚きと恐怖が混ざった顔をして固まった。声も出ない様子だ。
俺は構わずガキの胸元に手を突っ込んだ。体内にずぶりと沈んでいく俺の手を見て、ガキが声にならない悲鳴をあげた。無視して、ガキの体から目当てのものを掴み上げる。ガキの胸元から出した俺の手には、灰色の塊があった。小さな雨雲のような見た目で、感触はやわらかい。うまそうな匂いを放つそれに、俺はたまらず、かぶりついた。それは噛むと口の中でほろほろと崩れ、ほどよい苦みや青臭さが口の中に広がった。この青臭さがいいんだよな。咀嚼を続けると、ほのかな甘みが後から追いかけてくる。それは苦みや青臭さと仲良く踊り、舌を喜ばせた。ああ、これはうまい。今まで食った中で一番かもしれない。
「お前、超うまいな!」
最後の一口を堪能した後、ガキに話しかける。恐怖に震えるガキに、俺は簡単に自己紹介をした。俺は人間の感情を食って生きているということ。俺が好きなのは人間の「悲しい、さみしい」という感情で、特に人間のガキは青臭い味がして好みなのだということを。
「お前のは特にうまかったから、また来るわ」
そう告げると、ガキは青ざめた。
「お前にとっても悪い話じゃないんだぜ。いま、スッキリした気分だろ? 俺がお前のどんよりした気持ちを食ったからな」
それから数日おきに、俺はガキの部屋を訪れた。ガキは最初こそ怯えていたものの、心を食べられたら気分がスッキリするということを覚えたからか、単に俺の存在に慣れたのか、少しずつ砕けた態度を取るようになった。
「ねぇ、君って妖怪なの?」
あるとき、食事中にガキが尋ねてきた。
「多分な」ガキの方を見ずに答える。
「名前は、なんていうの」
「ねえよ、名前なんか」
「じゃあ、『くいくい』って呼んでもいい?」
「なんだよ、それ」と、呆れて顔を上げると、「食べっぷりがいいし、河童みたいな見た目でかわいいから、親しみのある名前がいいかなって」とガキは微笑んだ。
「……河童って、かわいいか?」
俺が食べているとき、ガキはよく自分の話をした。亮という名前だとか、親はいるけど、たまにしか帰ってこないだとか、クラスの悪ガキによくいじめられるだとか、そんな話を俺は食べながら聞き流す。
「でも最近は気分がいいよ。くいくいが僕の悲しい気持ちを食べてくれるからさ」
「おう。いくらでも食ってやるよ」と、口をわざと大きく開けると、亮は噴き出した。
しかし、その後、亮の心はだんだん味が落ちていった。俺が悲しい気持ちを食って気分が晴れやかになった分、前向きな性格になり、以前ほど落ち込まなくなったからだろう。
味が落ちた食い物に用はない。と言いたいところだが、亮ほどの味がするガキは他には滅多にいない。どうしたものかと悩んでいたとき、ふいに亮の心の味が復活した。
「好きな子に振られたんだ」
がっつく俺のそばで、亮が肩を落とす。
「仲良かったし、脈アリだと思ったのに……」
そのとき、俺はひらめいた。幸せであればあるほど、それを奪われたときのショックは大きい。こいつを幸せにして、落とす。それを繰り返せば、定期的にうまい味にありつけるはずだ。俺はさっそく知り合いの福の神に頼んで、亮に幸運を振りまいてもらった。それで幸せになると、今度は貧乏神に頼んで幸せに水を差してもらう。そのたびに亮は落ち込み、俺はその心の味を堪能した。
幸せと不幸を繰り返して、亮はやがて大人になった。青臭い味はもうしないが、加齢に伴ってコクが増し、それはそれでうまかった。
結婚した亮は、程なくして子をもうけた。幸せ三人家族。そろそろ貧乏神を派遣する頃かなと思いながら亮の元を訪れると、亮は魂を抜かれたように呆然と座っていた。そのそばで赤ん坊が泣き、棚の上には亮の妻の写真と白い布に包まれた骨壺がある。
察した俺は、あえて何も言わず亮の胸元に手を伸ばした。が、亮の腕がそれを遮る。
「つらいんだろ。楽になれよ」
亮は俺の顔を見ずに首を横に振った。
「この気持ちは、なくしたらだめなんだ」
俺は何も言えなかった。黙ってそこから去り、以降、亮の元には行かなくなった。でも時々、遠くから亮を見つめる。どうしてもつらいとき、俺が必要になったとき、すぐに駆けつけられるように。それまで俺は他のガキの元を尋ねて、その悲しい心を食うんだ。
「俺は、くいくい。なぁ、食わせろよ」
(了)