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第19回「小説でもどうぞ」佳作 選べない男 オオツキマリコ

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第19回結果発表
課 題

もの食う話

※応募数276編
選べない男 
オオツキマリコ

 小・中学校時代、友達が楽しそうに給食を食べるのを見ながら、信吾は弁当を食べた。調理実習では、一人だけ除去食を作った。だから高校生になり、誰もが弁当を持参する環境は本当に気楽だった。おかずの交換はできなくても、毎日が遠足のようで楽しかった。そのおかげか勉強もはかどり、見事、希望の大学に合格した。
 信吾が真っ先に探したのは食事付きの寮、それもアレルギー対応食が可能な寮だった。しかし、信吾は卵や牛乳・小麦粉ばかりか、数多くの食材がアレルゲンだったため、受け入れる寮はなかった。仕方なく信吾は、自炊を決めた。朝食を作り弁当を持って大学に行く。学食でメニューを選ぶ友達の横で、信吾は弁当を開く。夕暮れが近づくと、メモを見ながら決められた食材を選ぶ。「弁当男子」という言葉はありがたいが、毎日三食作りながらの学生生活はなかなか大変だ。母のレシピノートが命の綱だった。
 同じ学部の紬が声をかけてきたのは、五月連休明けのことだった。紬は自身の妹も食物アレルギーがあるという。そんな親近感からか、よく喋るようになり、何度かデートらしいこともした。しかし、一緒に食事ができないので夕方には別れるもどかしい仲だった。
「岡田君。明日、一緒に晩ごはん行かない?」
「え? えっと……僕は……知ってるよね?」
「知ってる。だから、良いお店見つけたの」
 紬はスマホの画面を見せた。「カフェ・ギルレア」というこぢんまりとした洋食屋。
「ここね。前日までに個人のアレルギーとか既往症のデータを送ったら、それに対応したメニューを作ってくれるの」
 信吾は嬉しくて、しかし、悲しかった。周囲があれこれとメニューを選ぶ中、自分の目の前には、事前に用意された定食が出されるのだ。除去食というただ一品が。紬の好意は台なしにしたくない。でもそういうことだ。
 けれど、紬はうふふと笑って話を続けた。
「除去食が一つ、どん、と出される。そう思ってるでしょ? 違うのよ、岡田君」
「え? 違うの?」
「岡田君のためのメニューを一冊作ってくれるの。岡田君はその中から何を選んで食べても良いの」
 僕のためのメニューを一冊作る。そんな夢のようなお店があるなんて。じゃあそこへ行けば、僕は食事を“選ぶ”という楽しみを味わえるのか。
「ね? 行ってみようよ。予約して、データ送ってみよう」
 逸る気持ちでスマホを開き、予約ボタンを押し、時間と人数と自分のアレルギー歴を送信。まもなくメールが返ってきた。
〈ご予約、ありがとうございます。楽しいお食事になるよう、精一杯ご準備いたします。店主〉
 次の日、六時きっかりに二人は店を訪れた。
「カフェ・ギルレア」――煉瓦作りの小さな趣味の良い作り。木造のドアを開けるとカランカランと心地よいベルの音がして、初老の男が出てきた。店主だろうか丁寧にお辞儀をした。
「岡田様、お待ちしておりました。さ、こちらへ」
 花や小物で飾られ、ピアノの音が優しく響く店内。店主が差し出すメニューの表紙に「for OKADA」の金の文字。開くと、和洋イタリアン、数多くの料理名があった。
「これ……全部、出来るんですか?」
「もちろん。なんなら端から全部お作りしましょうか?」
 悪戯っぽく店主は笑い、紬も笑って頷いた。
 選んだ料理はどれも文句なしに美味く、紬との会話も今まで以上に弾んだ。店名の「ギルレア」が「アレルギーをひっくり返す」という気持ちで付けたのだと店主から教えられ、信吾は胸がいっぱいになった。その幸せな気持ちを勢いに替え、帰り道に紬に告白した。
「うん、嬉しい。これからもよろしく」
 紬は静かに目を閉じ、信吾は、その薄ピンク色の唇にキスをした。甘酸っぱい香りがした。
 最高だ。人生最高の夜だ。信吾は興奮していた。胸の鼓動が止まらない。嬉しいって、こんなにどきどきして、胸を押さえつけるものなのか。喉の奥から言葉が溢れそうになるものなのか……。
 いや、違う! 吐き気だ、じんましんも出てきた。これは……アナフィラキシーショックだ! 遠ざかる意識を必死に掻き起こし、信吾はバッグからエピペンを取り出し太ももに刺した。
 ほおっ。まずは助かった。信吾はタクシーで救急病院へ向かい、処置してもらったその足で「ギルレア」へ行った。肩で息をしながら信吾は怒鳴った。
「ひどい目にあった。アナフィラキシーショックで死にかけたぞ。どうしてくれるんだ!」
 驚いて出てきた店主は、殴りかからんとする信吾の両肩をまあまあと押さえた。そして、おやっという顔で、鼻をくんくん鳴らした。
「なんだよ! 言い訳があるなら言って見ろよ!」
 怒りが収まらない信吾を別室に連れていった店主は、一通り話を聞きながら、もう一度信吾の匂いをかぎ、やっぱりという顔をして言った。
「ファーストキス、でしたか?」
「な……そんなこと、答える必要ないだろ?」
「忘れたんですか、岡田様。あなた、白桃アレルギーですよ」
(了)