第19回「小説でもどうぞ」選外佳作 涼子の沢庵 味噌醤一郎
第19回結果発表
課 題
もの食う話
※応募数276編
選外佳作
涼子の沢庵 味噌醤一郎
涼子の沢庵 味噌醤一郎
「涼子。おいしい。すごいね、自分で大根育てて、自分で漬けるって」
「よかった。美佐においしいって言ってもらって。畑も沢庵作りも三年目。ちょっとはコツが掴めてきたんだ」
ぽりぽりと沢庵を噛む私の前、少女漫画のようなキラキラした瞳で艶やかに笑う涼子は私の大学時代からの友人だ。お互い東京で生まれ育った私たちは同じ東京の大学で出会い、卒業して就職した。私は東京の商事会社へ。涼子はIターンでこの長野の精密機械メーカーへ。私は十一月の出張明けの土曜日、せっかくここまで来たのならと、涼子のところを初めて訪れたのだった。
「涼子。畑もやってるなんて驚きだよ」
「うん。大家さんに貸してもらってる。見る? すぐそこだよ」
「見る見る」
こうしてジャージ姿の涼子とスーツ姿の私は、彼女が借りている二間ばかりの古い木造の平屋を出て、畑へ向かったのだった。
「美佐。彼とはうまくやってんの?」
「ぼちぼちだよ。涼子は? 彼氏とかは?」
キラキラ輝くきれいな瞳を持つ涼子は、学生時代よくモテた。一緒にいると私なんかはいつも引き立て役。でも、それにも関わらず、涼子が今まで特定の誰かと付き合っている話は聞いたことがなかった。
「着いた。ここが私の畑」
住宅と住宅に挟まれた、家一軒分ほどの土地。そこが涼子の畑だった。白菜や蕪なんかが植わっている。手前の
「ようこそ、って大根が言ってる。こないだ追肥してから体の調子がいいんだって、彼」
「ははは。擬人法。詩人だね、涼子」
「あのね。ホントに言ってるんだよ、ようこそ、って。ごめん。今まで黙ってた。信じないだろうけど、私の話、聞いてくれる?」
「聞くけど、何?」
「私、大根じゃないと好きになれない」
私たちは大根の前にしゃがんだ。そして涼子は、自らの恋愛経験を話し始めたのだった。
「高一の冬ね。学校から帰ってきたら、台所に立派な大根が横たわってたんだよ。葉っぱは鮮やかな緑、その下は目のさえるような白。きれいだなあ、ってうっとり見とれてたら、彼が話し始めた」
「彼、って」
「うん。彼。大根のひとし君。もしかしたらひとし君はずっと話しかけていたけど、私は気づかず、その時から聞こえ始めただけなのかもしれないけど」
「ひとし君」
「私その時、ひとし君に告白されたんだよ。私はたちまち恋に落ち、彼の言葉を受け入れて、付き合い始めた」
何を言っているんだ、この娘は。
「付き合うったって、どういう風に?」
「普通の人と同じだよ。一緒に映画観たり、動物園に行ったり。経済的なんだよ。ひとし君の分は料金、取られないから」
「大根に入場料がかかるわけないからね。電車賃もいらない。大根持って映画館行ったんだ」
「うん。楽しかったよ。恋はいいものだよ」
「それは。それは、よかった。でもさ。大根って野菜。保存がそんなに効かない。その、最後はどうするの?」
「大根だもん。食べたよ。ひとし君は皮を剥かれて、切られて煮られておでんになった」
「ひゃ」
涼子はキラキラの目をさらに輝かせて立ち上がった。私もつられて立ち上がる。
「恋は、お互いがお互いを好きになり」
「うん」
「二人の時間を共有して確かめ合い」
「はい」
「そして、最後は調理して食べてしまう。それがワンクール。あ、そうだ」
呆然としている私をよそに、涼子はパン、と両手を打つと敷地内の物置に私を導いた。物置を開けるとそこは農具入れ。鍬や鎌、肥料の袋なんかが置いてある。涼子は、手前に置いてある重石の乗った樽を物置の外に出した。
「まだ食べるでしょ、沢庵。丁度一本食べきったところだったんだ」
そう言いながら涼子は重石をのけ、中から糠だらけの沢庵を一本引っ張り出した。
「ほら。これ、たかし君」
「え?」
「でね、これが、まさと君」
「あ?」
「それから、ひろし君、だいすけ君、しゅんぺい君、ようすけ君、てるひこ君、まこと君、ただし君、あきのぶ君、げんいちろう君」
「ちょちょ、ちょっと待って。涼子」
「はい?」
「わかるの? 区別つくの?」
「もちろん。みんな私の恋人だったから」
そう言う涼子の少女漫画のような瞳が、今はぎらぎらと異様な光を放っている。
(了)