第19回「小説でもどうぞ」選外佳作 殺人鬼 チバハヤト
第19回結果発表
課 題
もの食う話
※応募数276編
選外佳作
殺人鬼 チバハヤト
殺人鬼 チバハヤト
自他ともに認める生真面目な僕に陽気なイタリア人の彼女ができた。僕は大学でイタリア語を学んでいて、彼女はイタリアから日本語を学びに来ていた。大学が開いた国際交流パーティーで偶然にも隣の席になった僕たちは、お互いの需要と供給が一致することを知り、急速に仲を深めていった。
彼女はあいさつからして情熱的だった。
「おはよう」
「アモーレ! キノウアエナイ、ワタシ、トテモ、サミシスギタヨ」
今日は会った瞬間に抱きしめられて頬にキスをされた。暫くして僕たちは合鍵を交換し、互いのアパートを行き来する仲になった。
今日は彼女がアパートで手料理を振る舞ってくれる予定だ。鍵を開けて彼女のアパートの中に入ると、彼女はまだいない。どうやら食材の買い出しに行っているようだ。時間を持てあました僕は、彼女の部屋のすみずみまで掃除機をかけ、洗濯物をきっちり畳み、本が散乱している机を整理した。
「俺が整理しないとすぐ汚くなるんだから、まったくもう……」
机を整理し終わる頃、表紙に「ひみつ」と平仮名で書かれたノートが目に入った。うーん、ひみつ? 見ようか、でも勝手に見たら怒るよな。ま、ちょっとならいいか!
ページをめくって内容を読もうとした瞬間、玄関をガチャガチャと開ける音がした。慌ててノートを閉じたが、断片的に文字が見えた。そこには『人肉の料理――包丁で切って――そのあと殺す』など、物騒な文字が書かれていた。
ひえっ、こっ、これはなんだ? 人肉の料理? 殺す? 僕の戸惑いなど知るよしもなく、彼女は部屋に上がり、満面の笑顔で僕を抱きしめた。
「アモーレ! カタヅケ、アリガト」
「だ、大丈夫、俺、片付けるの好きだから」
なんとか笑顔を作って話したが、手のひらに汗が滲み出し、身体が震えてきた。もしかして……俺はこのあと、殺される?
そういえば、彼女は先日、テレビで特集していた殺人鬼の風貌に似ていなくもない。この間パスポートを見せてもらったが、今とだいぶ髪型が違った。あれは偽造パスポートじゃないのか? 彼女は熱心に日本語を学ぶ学生のフリをした猟奇殺人鬼なのか?
悪い想像は尽きない。
彼女は料理を作り始めた。イタリア民謡を歌いながら楽しそうに作っている。鼻が高い彼女の横顔は、どことなく西洋の魔女にも似ている。今切ろうとしている加工肉の塊も、誰かを殺して手に入れた肉に違いない。
なんだか鼻につく匂いもしてきた。間違いない、僕はこのあと、殺される。逃げるなら今か。このままじゃ本当に危険だ。うーん。
「あ、やばい、なんかお腹痛いな」
「ダイジョウブ? オイシイリョウリ、モウスグデキルヨ」
僕は腹痛を装ってトイレに入ることに成功した。あ、そういえばビールがなかった。ビールを買いに行くフリをして警察に駆け込んで助けを求めるか、そうだ、そうしよう。
決心してトイレのドアを開けると、包丁を持った彼女が目の前に立っていた。
「ティアーモ、死ヲ……」
「ぎゃあああああああ……殺されるううう」
恐怖におののいた僕はその場で気絶した。
「ドウシタ? 塩ナクナッタカラ、カッテキテ、モラオウトシタダケヨ」
しばらくして僕が目覚めると、彼女が心配そうな顔で僕をのぞき込んでいた。
「ダイジョブ? ウナサレテタヨ」
食卓を見ると、僕の大好物が二つ並んでいた。彼女は人肉――ではなくニンニクを効かせたペペロンチーノと、もち米を全部潰した「みな殺し」のおはぎを作っていたのだ。
彼女は図書館で借りた料理本を必死に『ひみつ』ノートに写し、様々なレシピを覚えていたという。ニンニク。人肉――まあ、間違うよな。覚えたての漢字を使って、一生懸命レシピを書き写す彼女の姿が思い浮かぶ。
安堵した僕は急に空腹になった。ワインで乾杯し、ペペロンチーノをむさぼって食べた。ニンニクの香りが効いていて実に旨い。デザートにはおはぎを五個も食べた。甘く滑らかなあんこは食べやすく、一口サイズに作ってあるからいくらでも食べられた。イタリアと日本が競演したような食卓は、僕と彼女の幸せな空間を彩った。
少しワインの酔いが回ってきた。彼女も顔をほてらせてワインをぐびぐび飲んでいる。
「オナカイッパイ、モウイーネ」
えっ? 『モリーレ?』
「ツギハ、テウチデ、オロシソバ、ネ」
ん? 『ティウチデロ?』
イタリア語で、モリーレは『死ね』、ティウチデロは『殺すぞ』って意味じゃないか――僕はまた気絶した。
(了)