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第19回「小説でもどうぞ」選外佳作 佳菜子の鼻詰まり 十宮十岐

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第19回結果発表
課 題

もの食う話

※応募数276編
選外佳作 
佳菜子の鼻詰まり 十宮十岐

 佳菜子の鼻はいつも詰まっていた。佳菜子の母、温子はそんな佳菜子を不憫に思い、病院に通わせるも改善することはなく、いつからか佳菜子本人もきっぱりと諦めた。その裏で佳菜子の妹である紗千子はひとり、ガッツポーズを掲げていた。しかしそれもやがて、いや最初から紗千子は負けていた。

 鼻詰まりの佳菜子は可哀想。そう思っているのは、周囲の人間ばかりで、当の本人はというとその体質に馴染んでいた。最初こそ困っていたが、次第にこの鼻詰まりはある時に限って発生することがわかり、佳菜子は二重に安堵した。それを温子は知らない。
 春。花粉は鼻詰まりを助長する。と思いきや、佳菜子の鼻はそうはならない。風に揺れる菜の花と共に優雅に風をなびかせ、呑気のんきに本を読むし、梅の花から漂う優しい甘い香りを感じ取ることもできる。
 夏。濃い焼きそばソースや焦げた醤油、溶けたチョコレートがもわもわと匂う花火大会や祭りを彼女は人と同じように味わい楽しんだ。
 秋。金木犀の甘ったるい香りが苦手な佳菜子は金木犀を極力避けて歩いた。
 冬。の季節は無臭に近い。かわりに家族にバレないようこっそりと買ったオードトワレを香っていた。匂いを家の中で振りまくことはない。オードトワレの入口付近に鼻を持っていって匂いを嗅ぐか、帰宅時間と匂いの持続時間を計算して外でつけるくらいだ。
 温子は依然、佳菜子の鼻詰まりを気の毒に思っていた。それを佳菜子は知っていた。だからこそ真実は隠し通すのである。〝ある時〟とは温子との日常の中にあるからだ。
「ご飯よ~」
 一階から佳菜子と紗千子を呼ぶ温子の声が、今日も響く。
 途端、きゅっと鼻の通りが悪くなっていく。オードトワレから香っていたものが徐々に匂いを薄めていく。残り香も全て消し去っていく。しめしめと佳菜子は小刻みに頷くようにして紗千子より先に階段を降りていく。
 温子は料理が好きとも得意とも言っていない。しかし、美味しいといった嘘のセリフに図に乗って、得意げに鼻を伸ばしていた。
「今日は餃子よ。にんにくたくさん使ったし、どうかなぁ」
 温子はにこりとしながら最後の支度をしていた。鼻が詰まった佳菜子の鼻にそれらの匂いは届かない。
 昔の記憶では、温子の料理は見た目との隔たりを無視し、匂いだけの評価で言えば、とても美味しいものだった。空腹を思い出させ、食欲を倍増させていく魔法のようなものだと思った。それは今もそうか、知る術は紗千子の表情のみだ。それで充分であった。
 温子の見ていないところで眉間にしわを寄せている。匂いがそうさせているのではなかった。これから口の中に広がるそれらがどんな味であるか想像して絶望しているのだ。温子の料理は匂いだけで味は悲惨なものだった。
 佳菜子はそれを見てにやつく。紗千子はそれをみて今度は睨みつけてくる。佳菜子の表情は変わらない。
「いただきます」
 味わう、というのは様々な感覚が影響するという。確かに見た目が餃子なのにグミのような甘さがしたらと思うとぞっとする。味わうという感覚の中でも嗅覚は特に強く関わった。佳菜子の鼻が匂いの通り道を塞げば味はほとんど失われていく。
「うんうん、美味しいね」
 佳菜子はなんともない顔でその言葉を口にする。紗千子は温子の隙をついて佳菜子を睨む。佳菜子の鼻詰まりを知っていても温子は味に影響があるという知識はないのだ。
 佳菜子にとって紗千子は妹というより、もはや他人の存在だった。十年前なかなか子どもに恵まれない温子は養子として佳菜子を迎え入れた。それからまもなく子に恵まれ、紗千子は生まれた。戸籍上、紗千子は佳菜子の妹となった。血が繋がらないとはいえ、戸籍上姉妹であるという理由だけで名前に子という共通の字があてがわれた。紗千子さえいなければ、温子は佳菜子だけの母であり続けた。だから母という存在を奪ったもう一人の娘のなりすましに憎悪を抱き続けていた。
 紗千子からしたら佳菜子の方が除け者かもしれないが、佳菜子にその自覚はなく、宿った瞬間から紗千子は常に嫌悪の対象だった。
 温子の料理がまずいのはもう仕方のないことだし、佳菜子の鼻は決まって温子の料理を食べる時にだけ詰まる。紗千子はそれを曝露できない。するには温子の料理を全否定することと繋がってしまうから。佳菜子は全て知っていて勝ち誇ったように笑う。
 裏でガッツポーズをするのは千紗子ではなく佳菜子なのである。佳菜子の鼻詰まりは病気などではなく、温子の料理を避けるための条件反射のようなものだった。
(了)