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第20回「小説でもどうぞ」選外佳作 ミラちゃんには心がない 稲尾れい

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第20回結果発表
課 題

お仕事

※応募数276編
選外佳作 
ミラちゃんには心がない 稲尾れい

 オルゴールに似た合成音の軽快な音楽が近付いてくる。お客が去った後のテーブルを清掃しながら目をやると、背中側が五段の棚になっている胴体に料理を載せたミラちゃんが客席の間をゆっくりと移動してくるところだった。製品名のMIRAI botにちなんだ『ミラ』という名札と、私たち人間のホールスタッフの制服を真似たえんじ色のリボンタイを胸元に付けている。胴体の上に設置されたモニターの中では大きな二重丸の目がきょろきょろと左右に動き、口元は数字の3を倒したような形にすぼめられている。あざとい顔だな、と最初は反感を持っていたけれど、見慣れるとまあ、悪くない気もしてくる。
 私が夜のホールスタッフとしてアルバイトをしているファミリーレストランにミラちゃんがやってきたのは、半年くらい前のことだ。全系列店に配膳用ロボットを導入することが決定したと聞いた時、時代におもねっているのかウケ狙いなのか知らないけれど下らないことを、と苛立った。客席への配膳は従来のメンバーだけで充分に対応できていたし、私たちが歩く半分の速度でしか移動できないロボットにそれを任せることは非効率的に思えた。心を持たない人工物が人間じみた働きをすることには個人的に反感もあった。
 私の本業は、自分と同年代の三十歳前後の女性に向けたウェブコミック作家だ。作品のダウンロード数が少ないと単行本が出ず、生活にもろに響く。そんな重圧と戦いつつ描いている時、AIの描いた絵画が外国のセレブに高額で購入されたというニュースを目にしてやり切れない気持ちになった。技術の進歩とは人間の負担を軽減するためのものであって、人間から居場所ややりがいを奪うのは何か違うのではないか、と思った。絵を描くAIと配膳ロボットを同列に語るのは、少し乱暴かも知れないけれど。

 ミラちゃんは各テーブルの前で停止しては、背中の棚をくるりと客席側に回転させる。
「お待たせしました。ご注文のお料理をお持ちしましたよ」
 リボンタイの裏側にあるスピーカーから流れる声は、若い人間の女性が喋っているように優し気でなめらかだ。朗読劇を中心に活躍しているとある女優の声を元に合成したものらしい、と店長が話していたことを思い出す。セリフのバリエーションも多く、「このまえとちがうことしゃべってる!」と、子供には特に良く喜ばれる。「ミラちゃんがいい!」と言われ、私が運んだ料理をミラちゃんに運び直してもらったことすら、幾度かあった。
 けれど、今ミラちゃんが止まったテーブルの五十代くらいの男性四人組は、ミラちゃんに目もくれず大声でしきりに喋り合っている。テーブルの上には中途半端に料理の残る大皿、ドリンクバーのグラスなどが雑然と置かれており、反射的に、ああ嫌だな、と思う。新たな料理の置き場所にも困るほど散らかったテーブルに苦労して配膳しても無反応のお客は珍しくない。いや、単なる無反応ならばまだましで、私たちホールスタッフの仕事に何か一言ケチを付けずにいられなかったり、殊更に横柄な態度をとる人だっていた。ミラちゃんが来たことで、そうしたお客に神経をすり減らされる機会が随分減っていたことに気付く。
 ミラちゃんは三十秒程そこにおとなしく佇んでいた。それから体を再びくるりと回した。
「お客様。お料理、早めに取ってくださいね」
 手前に座る男性がようやくミラちゃんに目をやり、ああ、と面倒くさそうに棚の料理に手を伸ばした。顔をしかめてテーブルの空きスペースにぞんざいに置き、再び喋り出す。
「ご注文ありがとうございました。お食事ゆっくりと楽しんで下さいね」
 もう自分を見てもいない相手に向かって丁寧に言い、ミラちゃんは別のテーブルに向かった。
「ああ、ちょっと」男性が会話を切り、私を手招く。
「はい、伺います」ミラちゃんにならい丁寧に応じる私に、男性は言った。
「今来たこの料理さあ、何かぬるいんだけど」

 今日の仕事をあらかた終えてバックヤードに入ると、充電器につながったミラちゃんが壁際に佇んでいた。モニターにはいつもの顔の代わりに配膳設定用のボタンが表示されている。最初の頃はこんな姿を見るたびにぎょっとしていた。今はこれがミラちゃんのリラックスした素顔に見える。モニターのおでこの辺りを、私は指先ですりすりと撫でた。すぐに大きな二重丸の目が現れ、ぱちぱちと瞬いた後、細められて二本の曲線になる。
「撫でてくださってありがとうございます。今日も疲れましたね」
 接客の時には出てこない、『同僚モード』のセリフだ。
「うん。お疲れ、ミラちゃん」
 もっと何か言ってほしくて、更に撫でる。「温かいです」と言うミラちゃんこそ、おでこがほのかに温かい。一日の終わりにへこみ切った心がじわりと癒されてゆくのを感じた。
(了)