第20回「小説でもどうぞ」選外佳作 タイムリミット チバハヤト
第20回結果発表
課 題
お仕事
※応募数276編
選外佳作
タイムリミット チバハヤト
タイムリミット チバハヤト
十五時二十六分:「教頭先生、一年三組の鈴木さんがコンビニで万引きしたそうです」
「教頭先生、三年二組の井上さんが手紙を残して家出したそうです」
「教頭先生、私のクラスの保護者が給食費払えないって玄関先で騒いでいます」
「ハイハイこの電話終わったら対応するから待ってて」
まったく、今日に限ってトラブルの嵐だ。電話を終えると玄関へと急いだ。中学校の教頭をしている俺には学校中のトラブルの全てが集まってくる。校長なんてお飾りで、実務対応はほぼ全て俺がやらなければならない。
十五時五十七分:給食費が払えないと騒ぐ保護者に分割払いの方法を提案し、なんとかなだめすかして職員室へと早足で帰る。
十六時三分:俺には今日、なんとしてでもやらなければならない仕事がある。愛する娘の誕生日に、産地直送の果物と名店のケーキを買って帰る、という仕事だ。十九時に是が非でも間に合わせるため、俺は頭をフル回転させて退勤後のプランを考えた。
①十七時:退勤し、早足で駅まで歩く
②十七時十分:電車で隣町に向かう。
③十七時三十分:駅から徒歩五分の果物屋に着く。グルメの娘のために、産地直送のイチゴとメロンを買う。
④十七時四十分:果物屋から徒歩十分のケーキ屋へ。娘の好きなフランス産チーズをたっぷり使ったベイクドチーズケーキを買う。
⑤十七時五十分:帰りの電車に飛び乗る。
⑥十八時十分:自宅の最寄り駅に着く。
⑦十八時三十分:自転車で家に辿りつく。
完璧なプランだ。これで三十分の余裕を持って家に帰れる。一息ついてコーヒーを飲み、頬を両手でパチンと叩いて気合を入れ直す。
十六時五十五分:ジェットコースターのように仕事を片付け、帰り支度を始める。
十六時五十九分:帰る準備を整えた。あと一分で帰れる――と、思った瞬間、職員室にサッカー部の担当教諭が飛び込んできた。
「教頭先生、野球部とサッカー部が場所の取り合いで喧嘩を始めました。殴り合いでけが人も出ている様子です。どうしましょう」
一瞬迷ったが、「ごめん、今日だけはどうしても外せない用事があるから」と他の教諭に対応の指示を出し、俺は校門を駆け抜けた。
予定していた電車には間に合わず、一本遅れた。焦りは禁物だ。まだまだ間に合う。
十七時四十分:果物屋に着き、娘の大好きなイチゴとメロンを買う。今日は産地直送の果物が手に入った。急いで退店する。
十七時五十五分:ケーキ屋入店。ベイクドチーズケーキは残り一個だった。混んでいたが、周りの客を押しのけるようにしてなんとかゲット。俺と妻はショートケーキにした。
十八時五分:ケーキと果物を潰さないようにそっと箱を抱きしめ、電車に飛び乗る。――よしよし、少し遅れたが、ここまでは順調だ。
俺は大きく肩で息をして、呼吸を整えた。と、その瞬間、大きな衝撃音と共に電車が止まった。
――ただ今事故のため、列車を点検しております。お客様に置かれましては――
なんて冗談じゃない。間に合わない。こちとら愛する娘が俺の帰りを待ってるんだぞ。
十八時一五分:こっそり非常口を開け、線路脇に飛び出した。近くの柵を超え、ケーキと果物を小脇に抱えて走り出す。大粒の雨も降ってきた。着ていたジャケットで箱を覆い、走り続ける。ここから家まで数キロだ。走れば何とか間に合うだろう。ワイシャツが雨と汗でぐしゃぐしゃに濡れて体に張り付く。
十八時五十八分:息も絶え絶えになって走り抜き、家に着いた。仏壇の前へと移動してケーキと果物をお供えする。手を合わせて目を閉じると、七年前の朝が思い出される。
「パパ、今日は絶対一緒に果物とケーキ食べようね。楽しみにしてるよ」
「そうだな、とびっきり美味しいケーキと果物買ってくるぞ。一緒に食べような」
「パパ、絶対ぜーったい遅くならないでね。十九時までに帰ってきてね」
それが俺と娘が交わした最後の言葉だった。娘はその日の夕方、歩道に乗り上げてきた車に轢かれて命を落とした。
目を開けて写真の中の娘に語りかける。娘の誕生日の大事な仕事を終えると、この日だけは年々成長していく娘の声が聞こえる。
「今年も約束守って十九時までに帰ったぞ。ケーキと果物の味はどうだ?」
――このケーキ美味しい! ごうかーく!
「パパの分のケーキも食べるか?」
――えー、太るからそれはいいや。
そうか、もう思春期に差し掛かる頃か。
「いいから好きなだけ食べなさい」
――分かった。じゃあ今日だけは遠慮なく食べまーす。てか、イチゴもメロンもうまっ。
生意気だけど可愛いやつだ。俺は汗を拭って冷蔵庫からビールを取り出し、一口飲んでもう一度娘の写真に手を合わせた。
(了)