第5回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 愚か者よ、こんにちは/渡鳥うき
第5回結果発表
課 題
魔法
※応募数250編
「愚か者よ、こんにちは」
渡鳥うき
渡鳥うき
夜勤明けから帰る途中に転んで肩の骨を折り、前歯を二本なくした。歩きスマホと眠気でぼんやりしてた時に側溝に足を突っ込み、ビタンッと地面に倒れたのだ。バキ、ガツンと嫌な音がした。近くにいた二人の若い女が「ウケる」と
口を押さえて家に向かう最中に肩がどんどん痛くなり、病院に行くと骨折していた。入院と言われたが、一日二万の個室しか空いておらず、治療費だけ払って帰ってきた。
利き腕を包帯とベルトでがっちり固定されてるので、ひとりだと不便極まりない。カップ麺の包装を開けるだけでもひと苦労。風呂も満足に入れず、汚れながら痩せていった。
完治まで三ヶ月という診断。リハビリも含めたらいつ戻れるか分からないのでバイトもクビになった。前歯もぱっくり洞窟のままで、新しい歯を入れる金もない。飯を食ったり、水を飲むと隙間からにゅるんと出てくる。些細なこともスムーズに進まず
たかが「大丈夫?」、されど「大丈夫?」。人付き合いは苦手だが、全く音信がないとさすがに寂しく、肩よりみぞおちが痛かった。
発散場所はネットだけ。どこでも構わず荒らしに行った。幸せそうな奴を叩きのめし、悩んでる奴をさらに追い込む夜の楽しみ。
『クソめ』『死ね死ね死ね』『アホンダラフンジャラナモシー』
わけの分からん悪口をただ書き殴っていた。すると見たことないURLから着信が届いた。
『不幸進行形のあなたへ。ひとつだけ願い事叶えます。魔法ドットコム ハリー&サリー』
なんだこりゃと画面に顔を近付けた。いつもなら怪しいメールなぞ即削除なのだが、退屈してたおれはコノヤローと思いながらクリックした。今ならどんな奴とも戦える自信があった。
サイトを開くと、ウェス・アンダーソンの映画セットみたいな、レトロでカラフルな家の断面図をバックに『こんにちは。ようこそ』の文字が浮かび上がってきた。
『このサイトに辿り着いたあなたの願い事をひとつなんでも叶えます。二十四時間以内に下のフォームに十八文字以内で書き込み下さい。受理した翌日には希望通りになっています。ただし人に話すと魔法は消えるのでご注意を』
ヤバいやつじゃん。どうせ個人情報狙いか、サイトを消すためにナンボか払わせるランサム系だろ。面白れえ。こっちは時間があり余ってんだ。悪い
『なんでもって、どこまでできるわけ?』
リプライしてみるとすぐに返事がきた。
『ほとんど可能ですが、過去を変えることはできません。*故人を生き返らせる*歴史上の出来事や人物を動かす等は不可。ただし本人にまつわる変更や修正はOKです』
『本人ていうけど、こっち知ってんの?』
すると相手方からおれの顔写真と共に名前と住所、実家や学歴や前仕事場、二十九年間彼女がいないなどの恥ずかしいプライバシーのプロフィールが全部送られてきたのだった。
ゾッとして恐ろしくなった。いたずらに違いない。『誰だ?』と返すと『ハリー&サリー、魔法使いです』としつこく言ってきた。
『一定の順序で
金銭の要求もなく、時間内に願い事を書けばいいとだけ残し、チャットは途切れた。恐怖から半信半疑へとグラデーションしてゆき、そこから考えまくった。
ひとつだけなら何がいいか。金。イケてる容姿。権力。美人の彼女。欲しいものはたくさんある。この孤独から解放される一番の方法はなんだと、うまくゆかない人生の因果を探る相関図を作っていった。そして二十三時間五十七分後に願い事をフォームに書いた。
『寝たい時にすぐ眠れるようになりたい』
おれは極度の不眠症で、だから深夜働いていた。夜に強い体質と思っていたが逆で、闇が怖くて起きているだけであった。長い夜に余計なことを考え過ぎて猜疑心も深くなった。
寝たい時に眠れればどんなに楽か。昼働いて夜眠る健康的な生活と思考が欲しかった。金なんてすぐなくなる。魔法でカッコよくなるなど余計惨めだ。根本を直したかった。
送信した三秒後に『受理しました』のメールが届き、画面が消えた。その後どうやっても魔法サイトを見つけられなくなった。
翌日から本当に「寝よう」と思って目を瞑れば眠れるようになり、心身が軽くなった。怪我が完治した後、日勤の就職先が見つかり、友人もできて歯も治すと、毎日が楽しくなった。
ある日テレビをつけると戦火で廃墟となった町が映っていた。それを見ながら思った。
魔法はこの世にある。けど魔法使いは愚か者のところに現れるから、平和など願わない。自分の欲を叶えるために使ってしまうのだ。虚いけど仕方ないと、おれはベッドに横になった。
(了)