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第5回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 これを魔法と呼ばずして/山崎雛子

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第5回結果発表
課 題

魔法

※応募数250編
「これを魔法と呼ばずして」
山崎雛子

 わが指先に舞い降りつどう小鳥の如く
 私の脳髄をついばむ言の葉たちよ
 いざ、

「おじさん、これ魔法の呪文?」
 急に可愛い声がして、私はペンを持つ手を止めた。先ほどまで公園には誰もいなかったので、私はベンチで日課の書き物をしていた。そばで私のノートを覗き込んでいる男の子に、私はようやく気がついた。ノートから顔を上げた男の子は、まだ小学校三、四年生くらいだろうか。
「そうだよ」あながち嘘ではないと考えながら、私は微笑む。「だから、めったに人には見せないんだ」
「じゃ、おじさんも魔法が使えるんだね」
「も、ってことは、君も魔法を使うのかい?」
「うん」男の子は屈託のない笑顔で言う。
「どんな魔法を使うんだい?」
「よく使うのは探索魔法」
「探索? 何を?」
「鞄とか教科書とか上靴とか。学校でしょっちゅうなくなるから」
 男の子は明日の天気の話でもするようにさらりと言った。
「探索魔法を使って目をつぶるとね、ゴミ箱や砂場に埋もれて、僕が探しに来るのを待ってる靴や鞄の様子が頭の中に浮かぶんだ」
「そりゃすごいな」
「たいしたことないよ」男の子は、謙遜した。
「今はもっとすごい魔法を練習してる」
「へえ、どんな?」
 私はまだ心のどこかで、子供の空想に膝を屈めて付き合ってやろうというつもりでいたのだ。だから次の瞬間、言葉を失った。
「僕は魔法で王国をつくるよ」
 きっぱりと言い切った横顔は強い意志がくっきりと輪郭を際立たせていた。
「この世界に居場所がないなら、自分でつくるしかないでしょう?」
 彼の何倍も生きてきたはずの大人であるなら、何と答えるべきだったのだろう。私は何も思いつかずに黙っていた。ただ、きちんと聞いているということを示すために、膝の上のノートを閉じて男の子に向き直った。男の子はたぶん、どんな返事も期待していなかったに違いない。思い詰めた厳しい顔をして、独り言のように続けた。
「でも、きっと気の遠くなるような時間がかかる。今の力じゃ全然だめだ」
 それから長い息を吐いて、彼は言った。
「日曜日、ミーコが死んだんだ。僕の魔法は役に立たなかった」
 ミーコというのは、彼が生まれる前から家にいたおばあちゃん猫なんだそうだ。ミーコのいない家に帰りたくなくて、今日は公園に寄り道したらしい。
「探索魔法を使ってみて。ミーコは今、どこにいる?」
 もう少し気の利いたことが言えないものかと思うのだが、男の子は素直に目を閉じて、口の中で呪文らしきものを呟いた。周りより少し大人びている夢見がちな子供が、学校で感じる特有の息苦しさを、私はよく知っている。だからじっと彼を見守った。やがて目を開けると、嬉しそうに彼は言った。
「ミーコは玉座の上で丸くなってた。王国に一番乗りしたんだ」

 男の子を見送って、公園のベンチで一人、私はまたノートに向かった。
 若い頃からコツコツ詩を書いていた。でもそれが何かの形になることはなく、思うようにいかない人生は、すでに修正できないほど軌道を外れ、職を失い金もなく、妻にもとうとう愛想を尽かされ、一ヶ月ほど前からこの公園で寝起きするようになった。
 私はパラパラと逆にページを繰っていき、いちばん初めのページを開いた。
「先立つ不幸をお許しください」という書き出しに大きくバツ印がついている。その脇に、トル! おまえなら何と言う? と自分の字が乱雑に躍っていて、思わず苦笑が漏れた。
 こんなふうに書いては消し、書いては消し、私は過去に何度も遺書というやつを書こうとしているが、まだ一度も最後まで書き終えたことがない。なぜならば──。
 私はノートに直立している、酷く右肩上がりで不格好な文字列を眺めた。ノートに書きつけた先からそれらは宙に羽ばたいて、やがて、夜明けの光をまとったような、静謐せいひつな明るさに満ちて、それぞれの行に力強く舞い降りるのだ。絶望をつづっていたはずが、いつのまにか希望をうたっている。まるで光の方へどんどん伸びてゆく植物のようだ。これを魔法と呼ばずして何と呼ぼうか。
 私はもう一度、先ほど書きかけていたページに戻った。
「いざ、生きなば行かん」
 最後の行に続けて、そう書いた。私も王国をつくるのだ。私は新しいページを開いた。
(了)