第5回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 セールスの呪文/庵藤ひろし
第5回結果発表
課 題
魔法
※応募数250編
選外佳作
セールスの呪文
庵藤ひろし
セールスの呪文
庵藤ひろし
「魔法?」
「ええ、魔法の呪文があるんです。それを唱えると必ず買ってくれます」
私は訪販のセールスマンである。
売り物は家庭用マッサージ器。
訪販セールスというのは、アポなしで家庭を訪問し、全くその気のなかった人に商品を売るというプロの営業マンだ。
と言えばかっこ良いが、現実は会社が倒産して無職になった中年男を受け入れてくれたのはこの会社しかなかっただけの話で、実際、元々セールスマンなどには向いていない私は、この会社に入ってから三ヶ月で三台しか売れていない。
もう辞めようかと思った私は、最後にこの会社のトップセールスマンである鈴木に、どうやったらそんなに売れるのか聞いてみたのだ。
「まさか。嘘でしょう、そんな」
売れないセールスマンをからかっているのか。
「いや、本当です。私はいつもその呪文を唱えて売ってます」
「へえ、そうなんですか。そんな楽な方法があるんですね。ちなみになんていう呪文ですか?」
「アブラカタブラです」
「あはは、それで売れるっていうんですか」
「ええ、そうです」
「じゃあ、今度私も使ってみますよ。そんなんで売れるなら」
「ええ、やってみるといいですよ」
バカバカしいにも程がある。
こっちは生活が掛かってるというのに。
私は、今週一台も売れなかったら、辞めると決めた。
こんな屈辱に耐えてまでやるつもりはない。
辞めなくても、このままではどうせクビになるし、売れた分のコミッションが入らないセールスマンは薄給だ。このままでは生活ができない。
翌日から私はまたいつものように仕事に励んだが、結局一台も売れない。
努力したって報われないのだとつくづく思い知らされた。
少し自棄になった私は、最後に入ったお宅で、鈴木から聞いた呪文を唱えてみる事にした。
どうせ今日も売れないのだ。もうどうでもいい。
「で、いくらなんだい、そのマッサージ器は」
「ええ、本来五十万のところ、今だけ三十万という特別価格でお求めになれますよ。月々三千円からのお支払いで結構です。一日百円で疲れが取れるなんていい買い物ですよ」
「三十万ねぇ……」
「アブラカタブラ」
「?」
「アブラカタブラ」
「何を言ってんの、あんた」
「いや、なんでもないです」
「ふざけてんのかい? あんた」
お客の表情が変わった。怒らせてしまったか。
「いえいえ。……すみません、実は私、全然売ることが出来ない駄目なセールスマンなんです。それで会社のトップセールスマンにどうやって売ったらいいか聞いたら、この呪文を唱えたらいいと言われたものですから……。すみません、ふざけてるわけではないんです。むしろ必死なんです。ご気分を害されたら謝ります。そんなつもりではありません。これで失礼します」
私は頭を下げ、荷物を片付け始めた。
「あんた、会社でいじめられてんのか? 成績が出ないから」
「多分そうだと思います」
「そうか」
客はそう言うと、少し考えこんだ。
「俺にもそういう経験がある。営業は成績で全てが判断されるからなぁ。努力が報われるとは限らない。生まれつき向いてる奴がいればその逆もいる」
「ええ、私は向いてないんだと思います」
「だがな、そのトップセールスマンは管理職にはなれんよ。売り子に向いて生まれた奴は一生売り子だ。売れなくても努力してきた人間はそういう奴の上に立つことが出来る」
「そうでしょうか」
「そうだ」
それから私とその客はセールスマンと管理職についての話で盛り上がった。
私はもう何かを売ろうなんて思っていなかった。
久々に思ったことが言えてスッキリした。
二時間も話し、そろそろ帰ろうかというとき、
「あんた、申込書は? どれ?」
「え」
「あんたと話して面白かったよ。機械なんかどうでもいいけど、あんたから買うよ」
私はその呪文の意味を理解した。
(了)