第5回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 呪文/田辺ふみ
第5回結果発表
課 題
魔法
※応募数250編
選外佳作
呪文
田辺ふみ
呪文
田辺ふみ
父と母が離婚した時、私は高校二年生だった。
「お前も継母と一緒に暮らすのは嫌だろう。梨紗も気まずいって言ってる」
父は浮気相手の梨紗さんとすぐに結婚するらしい。
「受験までは父親のところで我慢しなさいよ。今から転校なんて、大変。それにうちの実家は田舎だから、受験するのが大変でしょ。大学に入ったら、一人暮らしすればいいんだし」
母は実家に帰るのに私を連れて行く気はなかった。私が父親そっくりだからかもしれない。父の浮気を知ってから、なんとなく冷たくなった。
「今から一人暮らしじゃだめかな?」
「何、馬鹿なこと言ってるの」
未成年はいろいろ難しい。あと少しで大人として認められるのに。
困っていると、父方の祖母が名乗りをあげてくれた。
「浮気するなんて、私の教育が悪かったのかもしれないね。今の高校に通えるようにうちに来ればいい」
指をポキポキ鳴らしながら言ったので、父を殴りに行くのかと思ってしまった。
そうして、祖父母との三人暮らしが始まった。といっても、祖父は認知症で私が孫だということもあまりわからないようだった。
それなのに祖母は愚痴も言わずに普通に暮らしていた。
「おばあちゃんは何もかも嫌になることないの?」
祖父の体調が崩れて入院することになっても、電話をかけてくるだけで、父は来なかった。
「あるよ。でも、大丈夫」
そう言って、指をポキポキ鳴らした。
「指を鳴らすと節が太くなっちゃうよ」
母がよくそんなことを言っていた。祖母の指は節くれだっていたが、歳のせいかもしれない。
「太くなってもいいの。これは呪文だから」
「呪文?」
祖母はニヤリと笑った。
「おばあちゃんは魔女なんだよ」
「もう、冗談ばっかり」
「本当だよ。魔法を使う方法は人によって違う。昔はみんな杖を持っていたけど、今の世の中じゃ目立つでしょ。だから、鼻を動かしたり、目をパチパチしたり。おばあちゃんはこうだけどね」
祖母はもう一度、指をポキポキ鳴らした。
そういえば、私を引き取る時も指を鳴らしていた。
「これで何もかも上手くいくのさ」
しばらくして、祖父は元気に退院した。お医者さんはすごい回復力だと驚いていた。
まさか、魔法の効果だろうか。
「私にも魔法を教えてよ」
「今からじゃ受験には間に合わないよ。弟子にするのは構わないけどね、結局は自分で魔法を見つけなくちゃならない」
「けち。いいよ、もう。でも、将来に備えて、今日からおばあちゃんの弟子だからね」
弟子になっても今までと何も変わらない。祖母の生活を見習うだけ。家事を手伝って、真面目に勉強するだけ。
受験会場は遠くて、いつもよりずっと朝が早かったけど、祖母はお弁当を作ってくれた。
ポキポキッ。
祖母の魔法のせいか、私は滑り止めだけじゃなく、ちょっと危なかった本命の大学にも合格した。
一人暮らしを始めてからも何か困った時にはすぐに駆けつけてくれた。
ポキポキッ。
祖母の節くれだらけの指は魔法の証。そうじゃなきゃ、こんなに上手くいくわけがない。
私も時々、鳴らしてみる。きっと、上手く行く。そう、自分の魔法を見つけたみたい。
就職。恋愛。そして、結婚。
「そんなシンプルな指輪でいいの?」
彼に聞かれて、笑顔で答えた。
「こういうのじゃないと、指の節が太くなった時、サイズを変更できないんだよ」
「君らしいな」
呆れる様子もなく彼は笑った。
そんな彼が結婚式の一週間前に交通事故にあってしまった。青信号で渡っていただけなのに。
「ごめん、こんなことになって」
彼の心配そうな顔。
「相手が悪いんだから、気にしないで。それより、毎日、お見舞いに来るからね」
「忙しいだろう。大丈夫?」
結婚式の延期の手続きをしなくてはならない。彼のご両親が手伝ってくれるから、新居への引っ越しだって大丈夫。
「大丈夫」
私はポキポキっと指を鳴らした。
(了)