第23回「小説でもどうぞ」佳作 彼女の趣味 柚みいこ
第23回結果発表
課 題
趣味
※応募数267編
彼女の趣味
柚みいこ
柚みいこ
いい趣味をしているなと思った。
俺の前を歩いている老婦人は、恐らく相当な金持ちだ。一見、ごく普通に既製品の洋服をセンスよく着ているだけに思えるが、多分、老舗のオーダーメイドだ。耳に付けている真鍮のイヤリングだって、高価なアンティーク品に違いない。
これは金になるかもしれないぞと、ゆっくりと近づいた。
「あの、突然すみません」
婦人は最初こそ訝し気にこちらを伺っていたが、古物商だと名乗ると興味を示してきた。そうして、まんまと彼女の家に上がり込むことに成功した。
思った通り、玄関に飾られた壺は有名作家の作品だし、その上に掛けられている絵も壺の作風とよく似合っている。
玄関を褒めると、婦人が機嫌を良くした。
「そう? 好きなものを飾っているだけよ」
「ならば、あなたの趣味がとても良いってことですね」
もし、これが只の成金だとしたら、こうはいかない。壺にしても絵画にしても、ひたすら値段の張る有名どころばかり揃えてしまい、結果、一つひとつは一流品なのに全体がバラバラになる。
婦人に促されてリビングルームに通された。
当然ここもセンスがいい。テーブルやチェストなどの家具類は飴色のアンティークデザインで統一されていて、品のいいクッションやラグが適度に色を添えている。
「見て頂きたいものはこれよ」
彼女が奥から出してきたのは、木箱に入った蝶の標本だった。
「亡くなった主人が集めていたものなの」
正直、ちょっと期待が外れた。てっきり壺や掛け軸が出てくるかと予想していたからだ。深い瑠璃色の蝶はどれも美しいが、こういったものは余り詳しくない。
それでも商売だと思い口を開いた。
「私の専門外ですが、買い手は見付けられると思いますよ。お売りになりますか」
そう言ってやると、婦人が迷い出した。
その間、こちらは壁に目をやる。そこには古そうな仕掛け時計が掛けられていたからだ。
「あの時計、拝見してもいいですか」
断ってから、壁の時計を外して裏側のメーカーや製造ナンバーを確認する。間違いないX社の本物だ。
いつの間にか笑顔になっていたようだ。婦人が好感の目で見てきた。
「アンティークがお好きなのね。わたしと趣味が合いそう」
まあ古物商ですからねと答えると、彼女が感じの良い笑みを返してきた。
「ほかにもいろいろあるのよ。お見せしたいわ」
婦人は年寄りとは思えないような優雅な仕種でスッと立つと、こちらへどうぞといざないながら歩き出した。
廊下に出た婦人は、突き当たりのドアを開けた。そこは地下へと続く階段になっていた。彼女は先に立って下りて行く。何があるのだろうと、高揚する気持ちを抑えながら後に続いた。
地下室の扉が開くと、待ちきれないとばかりに彼女の頭越しに中を覗いた。
そこはまるで美術館の倉庫だった。彫刻や絵画の類いから、小品のオブジェや食器類まで様々な骨董品が所狭しと詰まっていた。
「凄いですね」
興奮気味でいると、婦人はもっと凄いものがあると言う。
「奥に鏡があるでしょう?」
彼女が指差す方を見ると、確かに一番奥の壁に大きな姿見がある。いつの時代のものなのか、縁に細かな装飾が施されてあった。
「どうかしら」
じっくり見ていると婦人が傍らに立った。
「あ!」
鏡に映った彼女の姿を見て、思わず声を上げてしまった。年老いた女が、見目麗しい若い女になっていたからだ。
確認すべく隣を見ると、鏡の中通りの美女が微笑んでいた。どういうことかと混乱する頭を振るった。
女の形の良い唇が動いた。
「これがあなたの理想の女性なのね。素敵だわ。死んだ夫は、わたしをこんな風にしてくれなかった」
その日から、毎日この家に入り浸るようになった。この女と寝食を共にし、時が経つのも忘れて二人で美術談義に明け暮れた。
女が楽しそうに口ずさむ。
「夫はわたしの趣味じゃなかったの。だから捨てちゃった。あなたはわたしの趣味よ」
捨てちゃったの意味が気になったが、それを考えるのは無意味に感じた。自分には関係のないことだ。
この人は、俺の趣味そのものなのだから。
(了)