第23回「小説でもどうぞ」選外佳作 趣味のフェラーリ 有薗花芽
第23回結果発表
課 題
趣味
※応募数267編
選外佳作
趣味のフェラーリ 有薗花芽
趣味のフェラーリ 有薗花芽
ある日突然、向かいの家にえげつない車がとまっていた。
「ええ! フェラーリ? す、すげえな」と車好きの夫は鼻血を出すほど大興奮だった。
「あれは、軽く三千万円はするぞ」
向かいに住む冴えないオジサンは五十代半ばぐらいで一人暮らしだった。うちとそう変わらないこぢんまりした家には、車一台分の駐車スペースがついていたが、雑草が伸び放題で、車がとまっているのを見たためしは一度もなかった。代わりにダサいママチャリが一台あって、毎日オジサンはそれに乗って、キコキコとどこかへ出かけて行った。こちらが挨拶をしても無言のままおざなりに頭を下げるだけなので、私は何となく苦手だった。
そのオジサンの家に、いきなり派手な黄色のフェラーリが登場したのだ。せっかくだから動いているところが見たいと、カーテンの隙間から覗いていたが、オジサンはいつもどおりママチャリで出かけていって、フェラーリに乗る気配はいっこうになかった。きっと週末にでも乗るのだろうと楽しみにしていたが、待てど暮らせどフェラーリのエンジン音は聞こえてこない。
「ねえ、オジサンはいつフェラーリに乗るの」
フェラーリ出現からかれこれ三週目となる週末に、しびれを切らした私は夫に言った。
「さあ、わからないけど、他人のことなんだから、そんなに気にするなよ」
そりゃあ、そうだ。……ごもっとも。すっかり覗きが趣味のドラマに出てくる家政婦みたいになっている自分を、私は少し反省した。
その日の夕方、夫と二人で買い物から帰ってくると、向かいの家のオジサンが駐車場に折りたたみ式の小さな椅子を出して、フェラーリを眺めながらビールを飲んでいた。
「こんばんは」と夫と一緒に挨拶しながら、私の目は点になった。
なんと、オジサンが二人に増えていたのだ。
そっくり同じ顔と体型のオジサンが二人並んで、フェラーリを肴にビールを飲んでいた。
「どうも、こんばんは」
片方のオジサンが愛想よく挨拶した。顔は同じだが、にこやかで感じが良いので、すぐにこっちがニセモノだとわかった。
「フェラーリ、いいですねえ」と夫が言う。
「ええ、兄が新しく買いましてね。納車されたっていうんで見に来たんですよ」
どうやら感じの良いオジサンは、不愛想なオジサンの弟だということが判明した。まじまじと凝視している私に「よく似てるでしょ。双子なんです」と、オジサンの弟は笑って言った。オジサンは弟に「向かいの家の人たちだよ」とぶっきらぼうに私たちを紹介した。
「そうでしたか。良かったらご一緒に、ビールでもいかがです?」とオジサンの弟に勧められ、私たちは何だかよくわからないフェラーリ飲みに参加することにした。
「で、走り心地はどうです?」と夫は不愛想なオジサンにしれっと聞いた。さすがだ。
「いや、それがねえ」と、おかしそうに隣から口を挟んできた弟をオジサンは「おい、やめろよ」とあわてて制止しようとした。
オジサンの弟は意にもかいさず続ける。
「くわしい事情はふせますが、兄は車の免許を持ってないんですよ。だけど大の車好きで、車雑誌を眺めるのが趣味でしてね。つまり、このフェラーリは兄の観賞用なんです」
むっつりした顔のオジサンとは対照的に、弟はアハハハと明るく笑った。
「いやはや趣味人にもほどがあるってもんでしょ? 兄はこのとおり偏屈でね、実は二十年以上も私とは疎遠になっていたんです。それが先日、母が亡くなる少し前にようやく交流が復活しましてね。で、母が遺言書に書き残したんです。遺産は貯金なんかせず、自分が一番欲しかったものを買うようにってね」
弟の言葉を聞いていたオジサンは下を向いてグスリと鼻をすすりあげた。
「母の遺言に忠実に従って、兄は夢だったフェラーリを買いました。迷いもせずにパッとね。見事なもんです。立派ですよ。私なんていまだに自分が一番欲しいものが何なのか、グジグジ迷ってばかりいるってのにね……」
オジサンの弟はチラリと自嘲気味な笑みを浮かべたあと、すぐに快活な調子に戻った。
「まあ、これからは私がたまに遊びに来て、兄を助手席に乗せてドライブに行きますよ」
缶ビールがちょうど飲み終わったので、夫と私はお礼を言って自分たちの家に入った。
リビングの窓からこっそり覗くと、双子のオジサンたちは、そのあともずいぶん楽しそうにフェラーリ飲みを続けていた。
「あーあ、まさか観賞用のフェラーリとはね。どうりで動かないはずだよ」と私が軽く舌打ちすると、夫は目をキラキラさせて言った。
「いや、あれは双子の兄弟がまた一緒に思い出をつくるためのフェラーリなんだよ」
物欲しげな顔で見つめる夫の視界をさえぎるように、私はシャッとカーテンを閉めた。
(了)