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第23回「小説でもどうぞ」選外佳作 趣味の呪縛 ササキカズト

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第23回結果発表
課 題

趣味

※応募数267編
選外佳作 
趣味の呪縛 ササキカズト

 シャガールの絵の前で僕は、軽いめまいに襲われた。よろよろと後ろに下がり、置いてあった長椅子に、尻餅をつくように座った。
 平日の閉館直前の美術館はすいている。この広い第三展示室に、僕の他に一人しか鑑賞してる客がいなかった。その一人が「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。同世代くらいの若い女性。彼女は、今見たシャガールの色彩豊かなイメージと重なり、とても美しく見えた。僕は「天使……」と、つぶやいていた。
「え? なんですか?」と彼女。
「あなたは、僕の……救いの天使ですか?」
 朦朧としていたためか、思いもよらない言葉を発して、自分でも驚いた。
「すみません。何でもないです。ちょっとバランスを崩しただけで、大丈夫です」
 変なことを言ってしまった恥ずかしさから、僕は逃げるようにその場を去った。美術館を出て、すぐ脇のベンチに座って休んだ。夜八時前。辺りはもう暗かった。さっきの彼女も美術館を出てきた。彼女は、ベンチに座る僕に気づいて、「ほんとに大丈夫ですか」と、また声をかけてくれた。……やはり天使。
「ちょっと疲れてるだけです。ありがとう」
「あの……、さっき天使がどうのって……。あれって一体……」
 僕は、「いやいや、あの、あれは……、すみません、変なこと言っちゃって」と、赤面した。だがそのあと、意を決してこう言った。
「あなたが僕の、救いの天使に見えたんです」
 彼女は少しあきれたように微笑んで「どういうことですか」と言った。
「ちょっとだけ、僕の話を聞いてもらえないでしょうか」と言うと、彼女は少し考えてから「じゃあ、聞かせてください」と、僕の座るベンチに腰掛けた。
「実は僕、趣味の呪縛に押しつぶされそうなんです」
「趣味の呪縛?」
「僕は、都内のOA機器販売会社で事務職をやってます。入社四年目の二十五歳です。ほとんど定時に帰れるので、帰宅後と休日は、趣味の時間にあてています」
「いいじゃないですか」
「ええ。でもちょっと極端なんです。まず、毎朝六時に起きて、音楽を聴きながら、英語の睡眠学習の復習をします。それから室内の観葉植物とベランダのプランターの花と野菜に水をやり、熱帯魚と亀に餌をやります。朝の約三十分集中して本を読み、それから気になるドラマを倍速で見ながら朝食を取ります。駅までの徒歩二十分は落語を聞き、電車ではスマホで小説を読みます。九時から昼まで仕事。昼休みはコンビニの弁当を食べながら、タブレットで漫画を読みます。音楽も聴きながらです。五時に仕事が終わると、月曜は陶芸教室、火曜日はギター教室、水曜日は合気道、木曜日はボルダリング、金曜日は俳句教室に、それぞれ通っています。帰宅は九時ころ。夜はサブスクでアニメや映画を夜中の二時まで見ます。寝る前に三十分英語の勉強をして、英語の睡眠学習をしながら寝ます。三時間半ほど寝て、また朝六時に起きる。この繰り返しの毎日です。休みの日は、演劇やライブ、映画館に美術館、動物園、水族館、植物園、寺社仏閣などを見に出かけます」
「なるほど、なかなかですね」
「とにかく時間が足りないので、起きている時間は一分も無駄にせず趣味に集中しています。でも最近、そんな生活に疲れて、もういっそすべての趣味をやめてしまいたいとも思うようになりました。でもまるで中毒のように、やめることが出来ないんです。どうしたらやめられるのかと考えると、やはり好きな人が出来るしかないんじゃないかと思うんです。好きな人のためなら、すべての趣味をやめて、その人のために時間を使うようになるのではないかと。もしかしたら、それがあなたなんじゃないか。あなたが僕を趣味の呪縛から解放してくれる天使なんじゃないか。僕に声をかけてくれたとき、そう思ったんです」
 彼女は下を向いて少し考えてから言った。
「私の話も聞いてください。私は一年ほど前から美術館巡りにハマっています。ある占い師に、〈美術館で運命の人に出会う〉と言われたのがきっかけでした。占いなんて半信半疑で、運命の人のことなど忘れてましたが、今日久しぶりに思い出しました。あなたが運命の人かどうかわかりませんが、良かったらお友達から始めてみませんか」
「ほ……本当ですか!」
「はい。でも美術館巡りには付き合ってくださいね。今、都内と近郊の美術館のすべての企画展を見るために、休みは分刻みのスケジュール作って美術館をハシゴしてます。遠い美術館に朝一に行って、遅くまでやってる美術館を最後に見ます。食事は移動中に飲むゼリーとかで済ませて、それから……」
 ……今度はこの天使に縛られるのかな。まあ、それもまたいいか……。
(了)