第23回「小説でもどうぞ」選外佳作 その手は語る 秋田柴子
第23回結果発表
課 題
趣味
※応募数267編
選外佳作
その手は語る 秋田柴子
その手は語る 秋田柴子
初対面の自己紹介で「趣味は何ですか」と聞かれるのが、どうにも苦手で仕方がない。
何しろ私の趣味は“手を見ること”なのだ。
だがいわゆるフェチとは違う。なにも手そのものに異常な執着を持つわけではない。私はただ、誰かの手を見るのが好きなのだ。
もっともそんな風変わりな趣味を持つには、それなりの理由がある。
私の仕事は、役所の窓口対応だ。
役所というところは、実にいろんな人が来る。老いも若きも、既婚者も独身者も、裕福な人もそうでない人も、文字どおり、ありとあらゆる人が。
そしてみな窓口で書類を出す。その場で記入してもらうことも珍しくないので、そうなると嫌でもその人の手を見ることになる。
人の手というものは何とも興味深い。書く文字と同様、見事にその人を体現している手もあれば、その正反対の例もある。
見るからにイケメン系の男性の手が彫刻のごとくすらりと整っていると、それはもはや感動でしかない。一方で、女の私から見ても惚れ惚れする美しい手の女性が、聞くに堪えない罵詈雑言をぶつけてくることもある。
そうして毎日様々な手を目にするうちに、やがて好奇心の虫がむくむくと頭をもたげ始めてきたのだ。さてどんな人生の波が、この目の前の手を作り上げたのだろうか、と。
あまりに興味津々で眺めるせいか、窓口でも手を見ただけで、これは前にも来たことがある人だと判別できるほどだった。
そんなある日のことだ。ぼうっと帰り道を歩いていると、突然後ろから、がつんとものすごい衝撃に襲われた。思わず足が泳ぐと同時に、左の肩がふっと軽くなる。
引ったくり。
そんな言葉が頭に浮かぶより早く、私は手を伸ばすや、無我夢中でそれをたぐり寄せた。
「なにすんのよっ……!」
見れば少年ではなく、そこそこの歳の男だ。互いの拳が触れるぐらいの至近距離でバッグのストラップを掴み、全力で引っ張り返す。
だが相手は凄まじい力だ。握りしめて白くなった関節とみみずのような血管が浮き出た手を見た途端、ひらりと何かが頭をよぎった。
「警察だ! 何をしている!」
突然喧騒を破る大声が轟いた。同時に男がバッグをもぎ取るや、脱兎のごとく走り去る。
「あっ!」
「待てっ!」
駆けつけた警官の一人が後を追いかけ、もう片方が私を守るようにその場へ残った。
「お怪我はないですか? 今、若いのが追ってますから。盗られたのは?」
「ショルダーバッグ、です……」
小太りの警官は、ぼりぼりと頭を掻いた。
「最近、この辺で連続引ったくり事件が起きてるんで、もしかするとさっきの奴が……」
「〇〇区△町、シミズコウジ二十八歳です!」
私は、警官の言葉を遮るようにして叫んだ。
断言できる。あれは昨日、窓口に来た男だ。拳に黒々と残る、カニのような形の打撲痕をはっきりと覚えている。
腹の出た警官がぽかんと口を開けた。
「あの、犯人、知ってる人物なんですか?」
しまった。警察相手とはいえ、業務で知り得た個人情報を洩らしてしまったではないか。
「その……手に覚えがあって……」
「手?」
仕方なく事の次第を説明すると、警官は心底驚いたようにのけぞった。
「こりゃすごい! 名探偵だな、お嬢さん」
「いえそんな、ほんの好奇心っていうか……」
まさか手を見るのが趣味とも言えずに口ごもっていると、遠くでわっと声が上がった。
「お、確保したかな」
警官は踵を返して、そちらへ駆けていった。いきおい、私も後をついていく。
「おお、よくやった。よし、立たせろ」
若い警官が、犯人、推定シミズコウジの脇をがっちり固めて立たせた。
「お嬢さん、忙しいところ申し訳ないけど、署までご同行願えませんかね。いろいろお聞きしたいので……ほら、おまえもだ。行くぞ」
警官は人の好い笑顔で私にぺこりと頭を下げると、後ろから男の肩をぐいと押した。
日に焼けて節くれだった手。ヤニで黄色く濁った剥がれかけの爪。甲にうっすら斜めに走る傷跡。その瞬間、はっと気づく。
「その手、昨日の朝に××駅で……!」
そうだ。朝のラッシュで、私のすぐ前を歩く妊婦さんの肩を後ろから思いきり突き飛ばした手。間違いない。
小太りの警官がゆっくりと振り返った。
「――“好奇心は猫をも殺す”って知ってるかい? お嬢さん……ああそれと、これから階段には気をつけた方がいいかもしれないね」
半ば瞼に埋もれたその眼は、細く乾いた光をたたえて、静かにこちらを見つめていた。
(了)