第23回「小説でもどうぞ」選外佳作 趣味欄 楠朋子
第23回結果発表
課 題
趣味
※応募数267編
選外佳作
趣味欄 楠朋子
趣味欄 楠朋子
夏美は履歴書を前にもう何度目か分からない溜め息をついた。
夏美は履歴書の趣味欄にいつも悩んできた。空白で提出するわけにはいかないし、面接の際に聞かれることもあると思うと、実像と離れたエピソードも書きづらい。
大学を卒業して四年あまりが経つ。心身の調子を崩しているうちに新卒の就職活動の時期はとうに過ぎていた。
髪はぼさぼさで、服装は誰も見ないからと、いつも古びたスエットだ。卒業年から現在までの空白期間について聞かれたら、うまく答えられる自信がない。これが夏美の実際の姿だった。
ふと顔を上げると、読みかけの懸賞雑誌が目についた。あ、懸賞はどうだろうか。趣味と言えそうなものといえばこれではないか。
でも、当選品目当てで葉書を書いたり、せっせとネットで応募したりしていることをせせこましいと思われはしないだろうか。却下。
夏美にはほかに趣味と言えるものがない。懸賞の葉書を投函するためなら、外にも出られる。夏美を外に連れ出す動機と言える唯一のものが懸賞なのだ。
夏美は頭を掻きむしりたくなった。とりあえず、落ち着こう。気持ちを静めて、落ち着いて考えればいいアイデアが浮かぶかもしれない。
夏美は席を立ち、ハーブティーを淹れようと台所に向かった。ティーポットに湯を沸かしながら考える。
ストレスを和らげてくれるお茶なら、ジャスミンティーやカモミールティーがいいだろう。体の中のデトックスなら、松葉茶がいい。苦みが脳に活をいれてくれそうだ。
結局、夏美は松葉茶に決め、茶葉をポットに一つまみ入れると煮え立つのを待った。
あ、これはどうだろう。そのときの気分に合わせてお茶を淹れることは好きだ。
だが、これが趣味と言えるだろうか。こだわりが強くて付き合いづらい面倒な人だと思われたら、採用にはマイナスだろう。却下。
お茶をマグカップに注ぐと、再び、テーブルの上の履歴書に向き合うことになった。
ふと、ビニールのテーブルクロスにお茶の染みがうっすらと残っていることに気がついた。いけない、いけない。いまは、履歴書に集中しなくては。趣味欄を埋めなくては、提出ができないのだ。
この茶色い染みは、紅茶だろうか。紅茶を飲んだのは確か一昨日だったはず。
夏美は台所に飛び込んで、中性洗剤を布巾に染みこませると力いっぱい拭き取った。汚れがなくなると、気持ちまですっきりした。
あ、これはどうだろう。趣味は掃除。これなら、悪いイメージにはつながらないのではないか。お金もかからないし、なにより丁寧に日々を生きているイメージを与えられるかもしれない。
だめだ。夏美はかぶりを振った。掃除に意識が向くのは、大抵は何か別のことに行き詰ったときなのだ。
普段の夏美は、二日前の染みがテーブルクロスに残っていても気にならないくらいなのだから。それに、もしも面接官に興味を持たれて、掃除のコツやおすすめの商品などを詳しく聞かれたら、夏美には答えられない。履歴書の趣味欄の白さが恨めしかった。
時計の針は七時に差し掛かっていた。もうこんな時間か。夕ご飯のことなどすっかり忘れていた。
最後に外出したのはもう一週間ほど前のことだった。ネットで注文することさえ忘れていたせいで冷蔵庫は空っぽだ。そうだ、夕ご飯の買い物がてら、ちょっと外出して気分転換してこよう。
出かけるとなると、やはり、ある程度は身だしなみにも気を使わなければ。
化粧をして、飾りのついたゴムで髪をまとめる。ネットで買ったものの、まだ一度も袖を通していなかったワンピースと同じくタグがつけっぱなしだったサンダルを身に着け、夏美は久しぶりに部屋の外に出た。
夜風が肌に心地よかった。ショーウインドーに映る小花柄のワンピースは我ながらよく似合っていた。せっかく、外に出たのだから
ちょっと遠いスーパーまで足を延ばそうかな。夏美は久々に華やいだ気分になった。たまにはこうして歩くのもいい。
あ、散歩はどうだろうか。
散歩なら、健康的なイメージがあるし、さらになにか詳しく質問を重ねられて答えに窮することもないだろう。早く部屋に帰って履歴書を書きあげなくては。
夏美は足早に来た道を引き返した。
(了)