第23回「小説でもどうぞ」選外佳作 趣味? 仕事? 山田万博
第23回結果発表
課 題
趣味
※応募数267編
選外佳作
趣味? 仕事? 山田万博
趣味? 仕事? 山田万博
「コロナ禍で、キャンプ用品の売り上げが伸びています。今後もアウトドアマーケットの活況が続きそうです」
ネットニュースの自動読上アプリの音が低く響いていた。幸治はまだ覚めきらない頭で、昨晩のうちにガリレオン株を買い付けたことを思い起こしていた。アウトドア人気を背景に業績を伸ばしつつある株だ。
「買い増しておくか」
そう呟きながら、最近は医療系や衛生系の株が上昇基調だったことも気になりはじめていた。やおらベッドから起き出しながら、今日は買い一辺倒だっ、と勢いづいた。
「おはよう、起きてる?」
しばらくすると、部屋のドアの向こう側から母の微かな声がして、カタカタという食器音がした。いつものように朝食をおいていったのだろう。 母にはいつ幸治が寝て、起きたか分かるはずもない。それでもいいタイミングで朝食が出るのは、幸治がベッドから起き上がるときのわずかな床のきしみ音や、早朝のトイレなどを頼りにして用意をしているのだ。
幸治は一人っ子で、未婚だった母は女手一つで育ててきた。看護師という職業柄、早番や夜勤などがあって不規則な生活だったため、幼い幸治は寂しい思いもしてきた。母の口癖は、ごめんねコウちゃん、だった。
それでも母は、常に命と向き合い、緊張感を伴う看護師という仕事に誇りを持っていた。気の休まることはなかったが、患者たちの不安や悲しみに寄り添うことができるし、なにより深い歓びに触れることができるからだ。 幸治が成人し、就職したときは肩の荷が降りてほっとした様子もあったが、すぐにその会社を辞め、再就職することもなく今のような生活になってからは、心配の種の尽きない日々が再来していた。
毎朝、母は幸治の昼食を作り置きして、八時過ぎには仕事にでかける。 母が出かけると、家は幸治一人になる。終日、ほぼ誰一人訪ねてくることもない。そんなふうにこの十八年近くを幸治は過ごしてきていた。
幸治が朝食を終えてトイレに向かったときだった。偶然を装って母がやってきた。
「働き口探したら?」
これまで何度となく言われてきたセリフだった。
「はい、はいっ」
幸治は、またかと軽くかわすつもりで返した。 普段なら時間に追われて会話もこれで切り上げられるのだが、今日はあいにく夜勤のある遅出の土曜とあって、母はさらにたたみかけてきた。
「翔馬くんを見習ったら」
「翔馬がどうかしたの?」
「バンコクに転勤みたい、ご家族と一緒に」
どこから仕入れてきたのか、高校の同級生で幼なじみでもあった旧友の消息を口にした。
「翔馬は翔馬、俺は俺」
実際、翔馬の会社は、海外に多くの拠点を持つメーカーで業界トップだった。そのバンコク支店の所長になるというのだから栄転だろう。羨ましさはないが、恩義めいたものは感じていた。なぜなら幸治が今の生活を始めて一番初めに、恐る恐る買った株が他でもない翔馬の会社の株だったからだ。今では、保有株の評価損益や配当を入れると、翔馬の会社だけでも、年間で数十万円くらいの黒字となっていた。諸々を含めると、ざっと月にして十万ちょっとの収入である。同年代の社会人には及ばなくともアルバイト程度の収入には相当し、むしろ得意げだった。
「いい加減、ちゃんと働いたらどうなの」
「一応収入もあるし、これでも十分働いてるつもりだけど。知ってる? ミニッツトレーダーって」
「何言ってるの! 引きこもって趣味に興じてるだけでしょ、コウちゃん」
「収入もあるし、れっきとした仕事でしょ」
「収入のありなしで決まるわけじゃないのよ、仕事は」
「じゃあなんだよ」
「コウちゃん、誰のためにミニッツなんとかをやってるの?」
「ミニッツトレーダーだよ、誰のためって……、別に誰にも迷惑はかけてないし」
「自分のための自己満足だけでしょ、多少収入があるからって。だから趣味って言ったのよ、たとえ何千万円稼ごうとね」
「……」
「誰かのためにと思ってやってれば、迷惑をかけるかどうかは二の次。自分だけよければって感覚が趣味だって言ってるのよ」
幸治は、表情を強張らせた。図星だった。
「コウちゃんからは一円ももらってないけど、毎日の食事だって今の母さんにとっては仕事なのよ、分かるっ?」少し呆れ顔で幸治を一瞥し、母はいたずらっぽく舌を出した。
(了)