公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第24回「小説でもどうぞ」佳作 会いたくて 山本絢

タグ
作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第24回結果発表
課 題

偶然

※応募数266編
会いたくて 
山本絢

 一体、どれだけ走れば、あの人にまた会えるのだろう。森美雨は、信号待ちの交差点で軽くため息をついた。前方の車は左にウィンカーを出している。直進する美雨は、前方の車が発進してから一呼吸置いて、アクセルを踏んだ。左折の車が横断歩道の手前で停止しても、スムーズに進めるようにと、村上健が教えてくれたのだった。
 昨年、短大二年目の夏休みに、美雨は自宅の最寄り駅から、三駅先の自動車学校に入学した。周囲の友人は、高校を卒業してすぐに運転免許を取得していたが、コロナ禍で不安になった美雨は先延ばしにしていた。就職のためにも取得しないとまずい。美雨は最短コースを選び、連日教習所に通い詰めた。
 教習所は美雨と同じくらいの、若者ばかりだった。場内で初めて車の操縦をした時の感動は、免許を取得して一年経過した今でも、昨日のことのように覚えている。作り物めいた道路のアスファルトの地面を照らす夕日の綺麗さも。五十分の教習はあっという間に終わってしまう。場内で美雨は補修がついてしまった。その補修で指導員の村上健に出会った。年齢は三十二歳で、左手の薬指に既婚者の証をはめていた。
「僕と森さん、ちょうどひとまわり、違うんだね。午年でしょ」
 場内の外周を走行中に、村上は嬉しそうにそう言った。
「へえ、二十代かと思いましたよ」
「一九九〇年生まれは、おっさんだよ」
「いいえ、若いですよ。もっと、おっさんがいっぱいいるじゃないですか」
 思わず美雨が本音を言うと、村上はおかしそうに目を細めた。実際にそうだった。教習所の指導員は四十代か五十代ばかりで、中にはおじいさんみたいな風貌の人もいた。そんな中で、まだ二十代の名残がある村上は、凛々しく、若々しかった。
 村上は教え方も上手だった。仮免許試験に合格した美雨は、希望の指導員に村上を指名した。複数教習と高速教習以外は、村上がほとんど美雨を担当した。その時は指導員としてしか見ていなかった。
 卒業検定の日に、合格した美雨は、村上に「今までありがとうございました」と挨拶をした。村上は大層驚いた様子で、マスクをしていてもわかる満面の笑みで「合格、おめでとう」と言ってくれた。
 教習所マジック――教習生が指導員に恋愛感情を抱いてしまうのは、よくあることらしい。吊り橋効果とか、密室効果とか、原因は様々である。しかし、美雨が村上への恋心に気づいたのは、免許を取得して、時々父の車で公道を走るようになってからだった。
 もう卒業したのだから、教習所に会いに行くわけにはいかない。美雨が思いついたのは偶然、村上に再会すること。それしかなかった。教習コースさえ走っていれば、いつか会えるはずだ。そう信じていたが、それは浜辺で目当ての貝殻を探すのと同じくらい、途方もないことだと、実際にやってみて気づいた。
 美雨が教習コースを走りに行くのは、主に土曜日で、一日中走っているわけではなく、せいぜい二時間程度だ。もちろん教習車には必ず遭遇するが、ほぼ村上以外の指導員が乗っていて、一度だけ卒業検定で検定員を務めた指導員と交差点で目が合い、笑顔で会釈をしただけで、村上には会えなかった。
 偶然とは、意図して作り出すものではない。
 人間の力が及ばない、ある意味、神様の計らいか悪戯のような現象なのだろう。美雨は諦めることにした。ちょうど、職場で他に気になる人ができたのもある。
 水原駿は会社の先輩で、美雨の二つ上だった。帰りの駅のホームで偶然、一緒になり、急接近した。駿は朴訥な雰囲気で、どことなく村上に似ていた。
 駿がボーナスをはたいて買った中古の軽自動車で、週末になると、二人はドライブデートをした。御殿場のアウトレットに行こうと話が出た時、高速道路が不安だった美雨は、YouTubeで予習しようとパソコンを立ち上げた。
 ペーパードライバー講習や首都高の走り方のチャンネルの下に、美雨が通っていた教習所の一コマがあった。思わずクリックすると、教習所チャンネルだった。今年から、発足したようだ。
 オートマ車の乗り降り、発進の仕方を、運転席で、村上が説明していた。マスクをしていたが、若々しい振る舞いも、笑い方も、教習の時のままだった。
 ――やっと、会えた。
 会いたくて、会いたくて、たまらなかった人に。美雨は人差し指で、目じりを拭った。
 やっぱり好きだ。と、小さな画面を見ながら、美雨は思う。実際に会えなくても、胸の内で、心のどこかで、村上を好きなままでいようと。美雨はチャンネル登録と高評価ボタンをクリックして、一人、微笑んだ。
(了)