第24回「小説でもどうぞ」選外佳作 偶然にチャレンジ 藤岡靖朝
第24回結果発表
課 題
偶然
※応募数266編
選外佳作
偶然にチャレンジ 藤岡靖朝
偶然にチャレンジ 藤岡靖朝
スマホの目覚ましが起床時刻を知らせる。
今朝もまた、パッとしない会社へパッとしない仕事に行かなければいけない。パッとしない俺はうんざりした気分で体を起こした。
朝メシ抜きで普段通り支度をし、出かける前にスマホを見た。返信が必要な連絡は来ていなかったが、迷惑メールが数通あって中には毎日届く《今日のラッキーハッピー》という占い風の怪しげなものがあった。どのみち大した内容ではなく、ある日などは『今日のあなたのラッキーカラーは緑色です』とあったかと思うと、まずそうな青汁の広告バナーがついてくるという代物だったのだ。ただ、今日のそれは少し語感や雰囲気が違っていて『駅までの道を変えてみるべし』とあった。俺は気まぐれにその言葉に従うことにした。
家を出ると、私鉄駅へ真っ直ぐに向かわず、いつもと違う遠回りのルートを選んだ。少し歩いた四つ角まで来たときだった。前を歩く初老の紳士が何かにつまずいたのか、バタリと手をついて転んだのだ。
「大丈夫ですか」
俺はあわてて駆け寄り体を起こしてやった。
「いやぁ、すみませんな。ありがとう」
紳士は手を払いながら礼を言った。
「いつもは車で出勤しているのですが、運転手が急用で田舎へ帰ってしまいましてね、今朝は電車で行こうとしたら、このザマですよ。まったく運動不足ですな、困ったものだ」
俺は同情とも相槌ともつかない愛想笑いを浮かべていたつもりだったが、相手はそこに好感を感じたらしく、こう言った。
「キミは車の運転は出来ますか? 免許を持っているなら、今から私を会社へ送ってもらえないだろうか」
突然の依頼に驚いたが、聞けば、都心にある大きな会社の社長だそうで、話の成り行きが面白そうだったので、俺は引き受けることにした。パッとしない俺の会社へはあとで、今日は休みますとメールを送っておけばいい。どうせ誰にもどこにも影響はないのだから。
すぐ近くの社長の家――大きな邸宅だった――まで引き返すと、車庫のベンツを動かし、社長を後部座席に乗せて出発した。事情を聞いた、上品そうな奥様が見送ってくれた。
車の中で俺は実にいろいろな話をした。今の勤め先や仕事のこと、何の成果もない今までのこと、先の見えないこれからのこと……社長はじっと聞いていたが、どこをどういうふうにかわからないが俺を気に入ってくれた様子だった。もうすぐオフィスに着く直前の信号待ちの時間に言ってくれた。
「キミ、よかったら私の会社で働かんかね。実は現在の運転手は来月で定年になるんだよ。キミが後任の運転手兼秘書として働いてくれないかな。明日から、いや今日からでも仕事を見習うつもりでどうかね」
俺は大きな会社に入れるというのがうれしかったが、きっと周りは優秀な社員ばかりだろうと想像すると少し気が重くなった。
「実は三流私大の卒業でして……」
と、コンプレックスに思っていたことを告白すると、社長が、「そんなことは社会に出たら全然関係ない。私は高卒でここまでやって来たんだぞ」
と、ありがたいことに逆に励ましてくれた。
ビルの最上階にある広々とした社長室で、手近な部署の人たちに俺のことを紹介してくれたが、何度も俺の名前に「今日から入社してくれることになった……」と前置きの言葉をつけてくれるのが何とも気恥ずかしく、パッとしない勤め先の会社へ一刻も早く退職届をメールで送らないと、と焦る思いがした。
秘書の仕事にはもうひとり、俺と同じ年くらいの若い女性が就いていた。彼女は聡明な瞳をたたえた笑顔が魅力の可憐な女性だった。俺は見た瞬間に体温が上がるのを感じた。
社長がそろそろ退社する頃、彼女が俺のところに少し恥ずかしそうな様子でやって来た。
「あの……今日入社されたばかりの方に何だか失礼で言いにくいんですけど…、実は今日お友達と映画を観に行く約束をしてチケットを二枚取っていたんですけど、突然、彼女が行けなくなってしまって……それで……もしよろしかったらご一緒にどうかな……と思って……」
俺は心臓が飛び上がるほど喜んだ。社長を自宅まで送り届けてすぐに電車で戻れば充分間に合う時間だったから、迷わずOKした。
彼女と一緒に映画のあと、可愛い笑顔を見ながら食事をし、次のデートの約束もしっかり取り付けて、夢のように幸せな時間を過ごした。今朝の鬱々とした気持ちがこんなにも幸福に変わるとは信じられない。今朝、たまたまあの怪しいメールの占いに従った結果、人生が大きく変わるような一日となったのだ。
俺は考えた。明日の朝、また新しいメールの占いが入っていたらそれに従うだろうか? また違う偶然にチャレンジするだろうか? 俺は拳をグッと握った。つかみかけた幸せを決して逃がさないようにと。
(了)