公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第24回「小説でもどうぞ」選外佳作 ダイヤモンド、光る 七積ナツミ

タグ
作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第24回結果発表
課 題

偶然

※応募数266編
選外佳作 
ダイヤモンド、光る 七積ナツミ

 急ぐ車の中から、瞬間ごとに表情を変える山肌を見た。初めは墨絵のようだった。夜から朝に変化する大気は一瞬、全てが薄い灰色に満ちて、道路や家の街並みも一切が消え、まるで平面の単色の世界に見えた。多分、二十秒くらい。そこからは目の前に続く黒い道が遠くまで見渡せた。その先に目を凝らすと、空を三角に二分するように蒼暗い山の形が沈んでいる。集中力を欠くとその稜線は空と見分けがつかなくなる。束の間、刻刻と光量が増し、三角の暗部と山際の明部が明らかにコントラストを得ていく。朝が来た。富士山は青青と空の中に聳える。その内に朝焼けの赤を受け、頂上から四割ほどが斜めに赤く染まった。裾野は深い濃紺のまま。光量が増すと赤も紺も消え山全体が黄金に映えた。日の出が近い。車の速度を更に上げる。
「ダイヤモンド富士」をうまく見るためには、季節、天気、時間、場所、それぞれにクリアしなくてはならない条件がある。特に場所は、時々によって変化し、少しでも間違うと、山の丁度てっぺんに太陽が重なりダイヤモンドが光るようには見えない。一日のうちに日の出と日の入り、二度見るチャンスがある。まさに今日の日の出こそ、全てが調う絶妙なタイミングを迎える。場所や方角も正確に調べた。すでに下見を済ませていた道の駅の駐車場に車を停め、外に出る。朝の空気が清々しい。茹だるような暑さを迎える前の静かな、澄んだ大気だ。日の出時刻まではあと三十分程。計画通りの時間配分だ。トランクから撮影のための三脚を取り出し、よく見えるポイントまでしばらく歩く。駐車場にはすでに何台か、車が駐車してあった。そのうちの何台かはやはり撮影の準備をしているようだった。駐車場を抜けるとすぐに、高原の裏手に回る通路に出て、見渡す限り牧草地が広がる。その景色の半分を覆うように日本一の山が悠然と聳える。日の出前の山の端は一層濃い群青を深める。一帯は静けさを増していた。少しだけ高さをつけてある見晴台の階段を上がる。ここが今日の観察スポットだ。知る人は知っていて、すでに数名、山を見上げて日の出の時間を待っていた。撮影するための準備を調えている人もいる。天気予測が正確であれば、あと二十分で日が昇る。私は見晴台の後方位置に三脚を立て、スマートフォンをセットする。画面を映すと、見晴台の全景と、先に広がる高原、その全てを覆うように佇む富士山が画面の半分以上を占めた。カメラの角度を調整し、見晴らし場を見切ってみる。山中心に映るが、どうも落ち着かない。画角を戻し、再確認する。やはりこちらの方が落ち着く。一度深く、朝の空気を吸い込んで、吐き出す。清々しい朝だ。日の出まであと十五分。スマートフォンのタイムプラスのスタートボタンを押す。ここからの風景は、全て一定の間隔を空けて撮影され、コマ送りの動画として保存される。
 朝日がいよいよ近くなり、山際が太陽の光を反射してキラキラと光り出す頃になると見学の人もぐっと増えた。私は後方でじっと日が昇るのを待った。逆光を受け、山は更に色濃く、深く、吸い込まれそうな空洞にも見えた。まばたきの瞬間に、キラリと大きな輝きが富士山の頂上から零れた。その光は急速に光量を増し、更に強く純白に光る。その場にいた誰もが真っ直ぐに日の光を見つめていた。息を呑む美しさだった。実際に目の前で見たのは初めてだった。こんなに近くに住んでいて、なんてもったいない時間を過ごしたかと思う。と、同時に、これまでの忙しい日常が頭を巡る。「ダイヤモンド富士」が見られる時間は始まってから約二分。目の前で起こる光の変化は留まることなく、続く。
「あれ、これもう、最後の方なんじゃん?」
 背後から若い女の声が聞こえた。もう大方撮影できたので、帰ろうと立ち上がる。
「ああ、ちょっと遅かったかな」
 女の声に呼応する男の声に聞き覚えがあり、即座に振り返った。出張に出ているはずの夫だった。目が合い、お互い固まる。
「えー、もっと早く起きればよかったあ」
 間の抜けた女の言葉が落ちていく。あまりにも突然の出来事に身動きが取れない。夫も固まっている。女だけが呑気に歩みを進めて私の視界から消えた。咄嗟に私は左手の薬指にある結婚指輪を外した。夫から目線を指輪に移す。輝くシルバーに私たちにとっては大きなダイヤモンドが光っている。振り返り、一気に投げた。朝日の方に、思いっきり。
「ああ!」
 夫が声を上げた。私はそのまま三脚を掴んで、走った。無我夢中でそこから先はあまり覚えていない。家に帰って、撮影した動画を再生すると、走り出して画面が揺れる直前、富士山のてっぺんに向かってキラリと小さく光が映った。ダイヤモンド富士じゃねーよ、と、ただただ怒りが込み上げた。
(了)