第25回「小説でもどうぞ」選外佳作 不幸な人 髙谷慎太郎
第25回結果発表
課 題
幽霊
※応募数304編
選外佳作
不幸な人 髙谷慎太郎
不幸な人 髙谷慎太郎
誰かを驚かせてやりたい。常々とその気持ちがあるのだ。人のマヌケな顔が見たい。男は切にそう願っていた。消防車のサイレンが鳴り止み、外にはまた静寂が訪れた。この部屋の壁一枚隔てた向こう側は永遠に続く暗闇なのだ。男は毎週のようにやって来る夜の一瞬を待った。今日は何だか、できそうな気がした。男の不幸な話は説明すべきではなかった。何せ、とてつもなく不幸な人生なのだから。誰かを呪ってやりたい、絶望させてやりたい、拷問して苦しませながら最後は……彼は毎晩の眠る前、ほとんどそんなことを考えていた。聞かない方がいい……。
と男の周辺は恐ろしい金切り音に包まれた。来たぞ。来たぞ……男の背中からは汗が噴き出し、シーツは一瞬で水浸しみたくなった。体は完全に硬直し、指先までもがピクリとも動かなくなった。それに比べて心臓の方は派手過ぎるくらいに暴れ回っていた。動かせるのは思考と瞼と眼球のみ。男はまだまだ慣れることのない恐怖の中、願い続けた。自分の体が浮かんでいきますように……自分の体が浮かんでいきますように……男は過去に一度、幽体離脱をした経験があった。そのときはベッドからたった数センチしか浮かぶことができず、すぐに元の体へと戻っていったのだ。科学的な根拠はどうでもいい。男はもう一度、宙を飛びたかった。まだまだ続く耳鳴りと金縛り。これを初めて経験したときは普段の日常と同じ、ストレスでしかなかったが、今はどこか心地がいい。むしろ、週に一、二度のこれを待ち侘びているようになっていた。男は目を閉じながら、イメージし続けた。自分がまたもう一度、ふわふわと飛んでいく姿を何度も繰り返し。これを逃したら、また絶望の日々の始まりだ。憎き朝がやって来る。男は日々そんなことを考えながら、いつもこのベッドに横たわるのだ。自らこの体とおさらばする勇気はなかった。頭に浮かんではずっと消えない憎き奴らに面と向かってどやしつける度胸もなかった。だから男はこうやって、幽体離脱を願っているのだ。ちゃんと自分の意識があるうちに。そもそも、死んでしまったら自分が幽霊になって連中を苦しめられるかどうかわからないじゃないか。日頃の行いは会社でも日常でも悪いことなんてほとんどと思いだせないし、きっと無理やり天国へ連れてかれてしまうはずだしな。それから、もし今外に飛び出せたのなら、姿は全くそのままでも、全くの別人のように振る舞えるような気がしてならなかった。もちろん、善き振る舞いではないけども。顔中に汗が伝い、それは枕にも滴り落ちた。先ほどの消防車のサイレン、どこで火事が起きたのだろうか。男はまた腹を立てた。きっと面白半分の野次馬たちが集まっては、不幸な人を見物しているんだろう。これはこの世のお決まりだ。自分に無関係な人の不幸に人々は笑い、死人さえ出なければ見向きもされない。不幸な人はこんな遅い夜中にだって、一息つく暇もないのだ。
と段々と男の体は、何かに押さえつけられていた感覚から、強固な錠が外されたように軽々とした感覚になり、視線の真横の壁が床にめり込んでいくかのように下がっていったのだった。来たぞ。来たぞ……ついにやった……男の体はまだ軽度の硬直状態が続いていて、自在に動くことはできなかったものの、目をぐるぐると回して確認する限り、完全に宙に浮かんでいるのだ。男は歓喜した。まだ声にはならなかったが。このまま部屋を飛び出して、自分を
(了)