第26回「小説でもどうぞ」最優秀賞 深夜に一発 渡鳥うき
第26回結果発表
課 題
冗談
※応募数241編
深夜に一発
渡鳥うき
渡鳥うき
深夜。住宅街から少し離れた郊外にポツンと建つ一軒家では、白人の男性がパソコンの前に座り、キーボードをカタカタ叩いていた。遮光カーテンをぴっちりと閉め、人影のシルエットが外に映らぬ配慮がなされている。
家の周りには四台の監視カメラ。五メートル内に人が近付けば、自動的にスマホに映像が映るよう設定してある。机の引き出しにはサイレンサー。クローゼットにしまってある鞄には複数名義のパスポートが隠してあった。
彼はとある大国の通信士。敵対する国に潜入し、ハッキングした軍事機密を暗号を使って自国に知らせるスパイだった。
密談は大概深夜に行われるため、彼は朝までが一番忙しい。ヘッドフォンをしながら、夜通しパソコンとにらめっこする。
周囲から疑われないよう、会社員を装い、朝の八時にスーツ姿で出勤する。ご近所さんににっこりと挨拶をし、オフィスビルにある貿易会社に仮の姿で勤務していた。
超ショートスリーパーの彼は一日三十分ばかりの仮眠で睡眠を補う。数年間軍事施設で厳しい訓練を受けてきたため、七十二時間以上の不眠不休でも平気な体に鍛え上げられた、非常に優秀な軍人だった。
監視してる国の暗号はほぼ把握しており、偽の情報の文章の中に紛れ込ませてある単語を拾い集めては解読し、それを自国の暗号に変換して国防指令官に送信する。
特にここ数週間は国同士での緊張感が高まっていて、敵国の短気な総統がいつ危ないおもちゃを持ち出すかと、ヒヤヒヤする日々が続いているのだった。
なので任務中は一秒足りとも画面から目が離せない。何時最悪の号令が下るか見張らなければならないのだが、彼も中身は生身の人間。尿意を覚えてトイレに立った。
二分にも満たない空席だったが、用を足している最中、パリンと窓が割れる音がした。
はっとして慌てて服を直し、部屋に戻ると黒いパーカーを頭から被った男がおり、手にはバールのような金属棒を持っていた。
敵国の殺し屋か。彼はすぐに戦闘態勢をとったが、ふいをつかれた上に、銃は届かない場所にある。とりあえず手近にあるスタンドで応戦したが、一瞬早く相手にバールで肩を強打され、勢いよく飛ばされた壁に後頭部をぶつけ、そのまま命を落としてしまった。
ずるりと崩れるように倒れてゆく彼を見ていた男は「え?」と声を漏らした。すぐに駆け寄って首下に触れたが、脈はもう途絶えていた。
「嘘だろ」
パーカーを外した男はたじろいだ。実はこの男、殺し屋でも敵国の人間でもない、ただのケチな泥棒に過ぎず、住人がもう寝ているであろう明かりの消えた家を狙っては窓を割って侵入し、金目のものを盗んでいた。
人目に付きにくいからこの家を選んだだけで、まさか敵国のスパイが住んでいるとは露とも思わず、しかも常にガードを固めていた彼がひと晩に一度しか行かないトイレの時間と偶然重なってしまったのだ。
善良な市民を殺してしまった。足下に横たわる男の正体を知らぬ泥棒は恐怖と罪悪感に震えた。
すまなかった。殺すつもりなんかなかったんだよ。泥棒はせめてもの気持ちでソファーにあったブランケットを男の体の上に掛け、立ったまま十字を切った。
その時だった。暗い部屋の中で皓皓と光るパソコンの画面が動いた。しかも次々にメッセージが送られてくる。
なんだ? 泥棒は男をまたいでゆっくりとパソコンに近付いた。もしこいつが友人や恋人とチャットをやっていたなら、突然返事が来なくなったら不審に思われる。窃盗ならまだしも、殺人で捕まるわけにはいかない。泥棒は彼を装うことにしたが、画面に書いてあったメッセージに思わず「は?」と口にしていた。
『さあ一発ジョークをかまそうぜ』
それは敵国のGOサイン。「ジョーク」は「開戦」を意味した。すぐに国防指令官に報告しなければならない緊急事態だが、当然泥棒はそんな意味も男の仕事も知らない。
ジョークか、とそのままに捉えて返信した。
『ハンバーガー屋でアルバイトをしてた時、年配の客が「私はベジタリアンだからお肉を使っていないバーガーがほしい」と注文してきた。だからおれは言ってやったのさ。「お客さん、うちで使ってるビーフの牛たちこそ、正真正銘のベジタリアンですよ」ってな』
しょうもないジョークだが、今はこんなのしか思い付かない。やはり長居は無用と泥棒は何も盗まずに逃げることにした。
その晩世界は静かだった。男がたまたま送った「ベジタリアン」は「対話を希望」を意味する暗号で、指令官は大統領にその旨を伝えた。早急に電話会談が行われ、敵国も渋々それに応じたため、一触即発を免れたのだ。ジョークが救った多くの命。かましてはみるものだ。
(了)