第26回「小説でもどうぞ」佳作 冗談教えます 湯崎涼仁
第26回結果発表
課 題
冗談
※応募数241編
冗談教えます
湯崎涼仁
湯崎涼仁
大きな笑い声がスナックに響き渡る。得意先の社長もスナックのママも、そこにいる全員が篠田の話に聞き入り、彼の飛ばす冗談に大笑いしている。三年前に私の所属する営業一課に入ってきた篠田は、ぱっと見は特徴がない。ただ、彼には特殊な技能があった。初めて会うお客でもすぐに笑顔にしてしまうのだ。私が教育係になり、ルート営業に連れて行ったところ、篠田はたちまち取引先に顔と名前を覚えられた。次に私一人で訪問したとき、「今日は篠田さんはいないのですか?」と言われてしまうくらいだ。
「それで、社長、契約の件ですが」
冗談ついでに篠田が上機嫌の社長に尋ねると、「もちろん成約だよ、篠田くん」と言うので「じゃあ、シャンパン入れましょう! シャンパン!」と景気よく篠田が喜んで手を叩いた。
しかし、あの契約はまだ詰めないといけない部分が山ほどある。私がそれとなく匂わすと、「そんな話は後でいいだろう」と社長はしかめっ面になった。またやってしまった。まじめ一筋でやってきた私には篠田のような技能がない。接待の帰り道、とぼとぼと駅前を通ると、『冗談教えます』という立て看板を張り出した怪しげな教室があるのが見えた。興味は覚えたが、いかにも怪しい。その日はそれを見るだけで家路についた。
営業成績表が月に一度張り出される。篠田は今月もトップ。一方で私の方はビリから数えたほうが早い。前からいいな、と思っていた営業助手の女子社員、道本さんが篠田の席で営業成績表のことを楽しそうに話しているのが見えた。どうにかしてこの状況を変えなくては。そんなわけで私は『冗談教えます』の看板に頼る決意をした。
「冗談と一口にいっても、様々な種類があります。ジョーク、ダジャレ、エピソードトーク、エトセトラ、エトセトラ。しかし、何と言っても一番大事なのは度胸です」
私と同じスーツ姿の生真面目なサラリーマンが机を並べ、真剣な様子でメモを取っていた。講師はアロハシャツにサングラスというふざけた格好をしている。周りの空気に押されて、『一番大事なのは度胸』とぼくも手元の紙にメモを取った。
「では、今日から毎日誰かに冗談をいってください。種類はなんでも大丈夫です」
「ええっ」とその場にいるほとんどの人が声を上げた。それができたら苦労はない。
しかし、せっかく高い月謝を払ったのだから何かしら成果がほしい。手始めに道本さんに冗談を言ってみる。「今日来る途中でUFOを見てね」すると道本さんはそれを本気にして、スマホで撮影してテレビ局に売るべきだ、と大真面目に返してきた。それでもめげず、ある日はわざと少し遅刻してきて「水牛の群れにひっかかっちゃって遅刻しました」なんて言ってみる。すると部長からは大目玉を食らったが、一部の同僚や道本さんからはウケた。それで少しコツをつかんだ。講師が言う通り、話の内容よりも堂々としていること、面白いことを言っている雰囲気が一番大事なのだ。それで自信がついた私は、意気込んで篠田と一緒に接待に出かける。これがものすごくウケた。取引先もスナックのママにも大ウケだ。「先輩って冗談なんか言わない、って顔で冗談言うから面白いですよね」と篠田からも好評だ。
だが、いいことばかりではない。道本さんが私のデスクに来て「契約内容のことなんですけど」と神妙な顔をした。
そうだ。篠田の契約書は詰めるべき箇所が詰められていないのだ。誰がいつまでに納品し、いつ入金するか、受け渡し場所はどうするか。道本さんは困り果てて私のところにやってきた。私は反省した。冗談を飛ばすことばかり気にするあまり、後輩のフォローを怠たり、営業助手の道本さんに迷惑をかけていたのだ。私が謝ると、道本さんは逆に恐縮して答えた。
「これ、いつも先輩がやってくれてたんですよね。営業成績が何位なんて言ってみんな浮かれてますけど、本当の功労者は先輩なんじゃないかって私思っちゃいました」
我ながら単純だとは思うが、その日から無理に冗談を言うのはやめてしまった。少しずつ篠田にも書類仕事を教えているが、なかなかうまくいかない。私の成績は下降傾向だが、無理して冗談を言っていた頃よりもずっと円滑に仕事が回っている。道本さんはあれから営業成績発表のたびに私にだけお菓子を差し入れてくれる。「影の功労者様へ」とメモ付きだ。私はそれだけで満足だ。あともうひとつどうでもいいようなことだが、あれから篠田が酔っ払うたびに「先輩、一緒にコンビを組んでM1めざしましょうよ」と絡んでくる。まあ、変化といえばそのくらいだ。
(了)