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第26回「小説でもどうぞ」選外佳作 カゲロウ 真夜中野マヤ

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第26回結果発表
課 題

冗談

※応募数241編
選外佳作 
カゲロウ 真夜中野マヤ

 夏の日差しはひどく乱暴で、プールサイドのような湿度は夕方近くなっても、ねっとりと私の肌に絡みついていた。ファミレスの自動ドアを抜けた先の冷蔵庫みたいな空気にようやく、私は皮膚呼吸を再開し席についた。
 土曜日の夕方、久しぶりに呼び出されたと思ったら、やっぱりそうだった。決定的な一言を待たずとも彼が今日その覚悟を持って来たことは、店に入ってきた瞬間に分かった。普段は着ないカッターシャツ、短く落とした前髪に、艶々つやつやと光る革靴。就活を始めてから、彼の服の好みはつまらなく変わった。髪の毛は暗く染め、バンドステッカーを貼っていたギターケースは、参考書が入った無地の黒い就活カバンになった。
 いつものように私はハニー・オレ、彼はアイスコーヒー。ドリンクバーにはしなかった。話は短いと分かっていたから。
 彼は二つ歳下の大学四年生で、このたび東京に就職が決まったらしい。就職したら別れてしまうような気はしてた。二歳差とは言え彼はまだ学生で、社会に善良な期待を抱いているように見えた。人一倍シャイで人見知り。初めて入るお店には「ついて来て」と甘えたことを言う。まさか東京で就活をしているとは思わなかったが、就職が決まっても「ついて来て」とは言われなかった。
「わたしも一緒に、東京に行こうかな」
 口に出すと途端に名案に思えた。インスタで見かける原宿のレインボーカラーの綿飴を食べてみたいと、ずっと思っていた。それでも言った刹那の彼の顔を見て、
「なんてね、冗談」
 と、打ち消した。可笑おかしくもないのに右の口角を上げ、自ら幸せな妄想を否定する。
 彼は紙袋に入った私の私物を「これ」と言ってファミレスのテーブルに置いた。無言の時間が外の湿度を取り戻したように、じっとりと二人の間に横たわる。彼が伝票をつかみ立ち去ろうとしたので、私は思わず手で制す。
「いいよ、私が」
「いや、だめ、いい」
「なんでよ」
「……最後くらい、俺にもカッコつけさせて」
 彼が微笑んだ。少しだけ、悲しそうに。別れたいと思ってるくせに、そんな顔をするのは反則だ。いやだ、別れたくない。いやだ、いやだ、いやだ。
「……ごめん、ありがとう」
 私はそっと、制した手を引いた。レジで会計を済ませ店を出ていく彼を、ソファに背を預け、ぼんやりと眺めた。
 少ししてから店を出ると、途端に湿った空気が再び肌の毛穴を塞いだ。夏も終わりだというのに、夕方になっても働き者の太陽にはうんざりする。ぬるりとした汗が吹き出し、息苦しくなったわたしは空を仰ぎ見る。…今頃、こぼれて来ても遅いよ、涙。
 原宿の綿飴みたいな色の夕焼けが、悲しみをたずさえて、東の空ににび色の夜を連れて来ていた。どこからか、肉じゃがのにおいがした。

 その時である。
「さやか」
 振り向くと、彼が立っていた。夕方の陽炎が見せる幻かとも思ったが、彼は近付いて来て、はらはらと私の頬に落ちる涙を、その手で優しく拭った。
「泣かないで」
「なんで……?」
 私は甘い期待が胸に広がるのが分かった。しかし出てきた言葉は、まったく予想に反していた。
「今……、内定先から連絡あって、会社倒産したから、内定……取り消しだって……」
 困った顔で彼が言った。
「………は?」
「どうしよう……」
 どうしようも、こうしようも、ない。東京で二人暮らしという甘い夢は、夏の日差しにジュッと焼かれて見えなくなり、残されたのは夕陽に染められた困り顔。
「……どうするの……?」
「どうしようね……。とりあえず……、ヨリ戻さない?」
 へらへらと、作り笑顔を浮かべながら私を見る彼。その瞬間、カッと、私の中で何かが燃え広がった。怒りである。
「……冗談じゃないッ、ふざけんな!」
 私はひとおもいに彼にビンタを喰らわせた。街行く人達が、ぎょっとして私達を見る。
 私はきびすを返し颯爽と、夏に熱された地面を歩き出す。くそくらえ。男なんて、くそくらえだ。夏なんて、くそくらえだ。なおも暑い熱を持って身体を焦がす夕陽を、私はきっ、と睨み付けた。冗談みたいな暑さの夏が、間もなく終わろうとしていた。
(了)