第26回「小説でもどうぞ」選外佳作 君が笑うと僕は泣く 小口佳月
第26回結果発表
課 題
冗談
※応募数241編
選外佳作
君が笑うと僕は泣く 小口佳月
君が笑うと僕は泣く 小口佳月
「俺、バイトクビになっちゃった」
真由は、ハンバーグを切るナイフの手を、かちゃりと止めた。
「……どうして?」
「上司と気が合わなくて。俺がやったことに文句ばっかり言うの。俺、『じゃあお前がやれよ』って言ってやったよ。ごめんねー。またバイト探すから。っていうか俺の本業は役者なんだし、バイトなんてどうでもいいか」
「……役者の仕事、あるの?」
「今はないけど。まあ、最悪、俺やお前が働かなくなっても、百花に稼がせるから大丈夫だよね」
がたん、と椅子を引き、真由が席を立った。その音で一瞬、レストランの喧騒がぴたりと止んだ。真由が卓の上の伝票を取り、「帰る」と言ったので俺も慌てて立ち上がった。
「待てよ! 何怒ってんの? 冗談だって!」
客たちの雑談は再び始まっていた。けれどこちらをちらちらと見ているような気がする。
「……百花はまだ三歳なのに……どうしてそんなことが言えるの?」
「だから冗談だって! ……なにお前、冗談も通じないの?」
真由が唇を結んだ。
「なんか、冗談も通じないなんて子どもと話してるみたいだな。なにに対しても本気で怒るじゃん、子どもって。帰りたいなら、帰れば? 俺はもう少しここにいるけど」
パンプスの踵を鳴らし、真由は帰った。伝票を持って、きちんと会計をして。そんな真由を横目に俺は、いま真由がレジで金を払ったステーキ肉をがつがつと口に運んだ。
どうせいつもの
シングルマザーで、十歳年下の真由と付き合い始めて、もう一年になる。真由は俺がいつも行く映画館で働いていた。ナンパしたときは、まさか子持ちとは思わなかったけど。
付き合って半年が経った頃、初めて娘の百花に会った。恥ずかしそうに真由の脚に絡まり顔を隠し、俺と目が合うとにこりと笑ってくれた。そんな百花を働かせるなんて、本気で思っているわけないじゃないか。人をなんだと思ってるんだ。
むかむかする胸を押さえながら、俺はアパートの自分の部屋の床に転がって、寝た。真由から連絡が来るであろうスマホを握って。
しかし、三日経っても真由から連絡は来なかった。
「……どうしたんだろう」
スマホの待ち受け画面で笑う、真由と百花の顔を見つめ、ハッとした。もしかして事故に遭って連絡が取れないのではないか。それとも、なにか事件に巻き込まれたか?
俺は慌てて真由に電話した。しかし、電話は繋がらなかった。機械で作られた女性の声が、俺の耳に流れて来る。
「おかけになった電話番号への通話は、お客様のご希望によりお繋ぎできません……」
俺はサンダルをつっかけ、電車に乗り、数駅離れたところにある真由のアパートのドアを叩いた。真由はドアを開け、洗濯物についたカメムシを見るような目で俺を見た。厄介なのがいるなという、そんな目だ。
「……なに着信拒否してんだよ」
「いま、百花、お昼寝してるの。帰って」
「この間のことまだ怒ってるの? だからあれは冗談だって!」
「『冗談』っていうのはおかしくて、笑えるものでしょ? あんなつまらない冗談言う人とは、もう一緒にいられない」
ドアを閉められそうになったので、俺は慌てた。
「待って! そのことは謝るよ! 俺が悪かった。あれは本心じゃないから!」
唇をとがらせ、真由はうつむいた。
「俺、自分が情けなくて……四十歳になるのにバイトクビになるし、本業ではまだまだ稼げないし、歳下の彼女にメシ奢ってもらってるし。そういうの隠すために、あんなこと言っちゃったんだよ。ごめんな」
真由の伏せた睫毛が濡れている。どうやら泣いているようだ。
「これから俺の本心を言うよ」
俺は咳払いをした。
「俺はお前と結婚したい。百花の父親になりたい。絶対有名な役者になって、億単位稼いで、豪邸を建てる。外車を十台買う。そのうちの一台はお前にやる。絶対にお前に苦労させないから。これからもずっと一緒にいよう」
真由が笑ったので、俺も微笑んだ。嬉しくて笑ってくれているのかと思ったが、なんだか様子がおかしい。真由は腹を抱えて笑っている。目に浮かんだ涙を乱暴に拭って。
「……どうしたの?」
真由はまるで、すごく面白い冗談を言われたときのように、笑い続けている。
(了)