第26回「小説でもどうぞ」選外佳作 冗談のつもりが六十年 ササキカズト
第26回結果発表
課 題
冗談
※応募数241編
選外佳作
冗談のつもりが六十年 ササキカズト
冗談のつもりが六十年 ササキカズト
「マス江っちゅうのか。じゃあ、わしと結婚すればええ。桝マス江になって、ますますええ。なーんてな、わーっはっは!」
冗談のつもりで言ったのがきっかけで、結婚してもう六十年が過ぎた。
「それはいいですね。私を『ますますえ』にしてくださいます?」
「はっはは、冗談やがな」
「そんなこと冗談で言うものじゃありませんわ。言うなら本当にお嫁にもらってください」
会社の飲み会の席での会話だ。事務員として入社したマス江の歓迎会だった。とある食品会社の地方支店。市街地のはずれに小さな事務所を構え、営業が俺と先輩の二人、支店長と事務員の計四人の職場だった。事務員の田中キョウ子が寿退社となり、代わりに入社したのがマス江だった。マス江は、田中キョウ子が結婚した相手の妹で、キョウ子の推薦で入社した。
マス江はテキパキと仕事をこなし、職場にもすぐに溶け込んだ。五歳年下のマス江に対し、初めは特別な感情を持っていなかった俺だが、あの冗談をきっかけに、なんとなく意識するようになった。というか、マス江のほうから冗談のように「いつお嫁さんにしてくださいます?」などと、皆の前で言ってくるものだから、支店長や先輩から、「そうだそうだ」と囃し立てられ、俺も意識せずにはいられなくなっていったのだ。
三度目のデートのとき、「もう面倒やから結婚しよか」と俺が言うと、「面倒ってなんです!」と、初めてマス江が怒るのを見た。
「嫁にせえ、嫁にせえ、うるそうてかなわん」
「桝さんが歓迎会で『ますますえ』になれって言ったのがきっかけです。面倒は取り消してください」
「わかった、わかった。すまんかった。大切にするんで、わしと結婚してください」
「はい。よろしくお願いします」
マス江の笑顔は可愛らしかった。
それは六十年経った今も変わらない。今日こうしてテーブルの前にいるマス江を見ても、あのときと変わらないと思う。結婚六十年目を記念した、レストランでの二人の食事。昔話をしていたら、次第にマス江の機嫌が悪くなってきた。
「あなた。冗談がきっかけで、よくわからんうちに結婚したって、いつもいつも同じ話をしすぎですからね!」
興奮をおさえるように、ワインをぐっと飲みほすと、マス江はこんなことを言いだした。
「六十年間内緒にしてきたことがあります」
「な……内緒に?」
「ええ。嫌われるかもしれないので、お墓まで持っていこうと思っていましたが、なんだか話したくなってきたので話します」
「な……なんか怖いんやけど」
「私、実はあの会社に入社する一年くらい前から、あなたのこと知ってたんです。毎朝同じバスに乗っていて、私一方的に、いつもお顔を拝見していたんです」
「は?」
「初めて見かけたのは、私が就職して三年目のことです。駅に向かういつものバスにあなたが乗ってきた。転勤してきたんでしょうね。そして間もなく私の勤める会社にも営業に来ました。遠くの席から見てるだけでしたから、あなたは気づかなかったでしょうね」
「初めて聞いた……」
「言ってませんでしたから。私、気になって、あなたの会社の住所を調べて行ってみたんです」
「なんでそんなこと」
「それは……、そこはいいの! とにかく、仕事を終えて事務所から出て来るあなたと、会社の人たちを見て、私、驚いたんです。事務員の田中キョウ子さんは、中学の同級生だったんです」
「そうやったっけ?」
「そうなんです。私は偶然を装ってキョウ子に会いました。中学時代はそれほど仲がいいわけではなかったけど、まずキョウ子さんと仲良くなりました。そして、時期を見て兄を紹介したんです。まんまとキョウ子さんは兄と結婚して、あなたの会社の事務員の席が空きました。私はキョウ子さんに、今の仕事が嫌だと言って、あなたの会社に推薦してもらったんです。そしたら歓迎会で、冗談でも『わしと結婚すればいい』って言ってくれたので、よし!って思いました。いろんな策がうまくいって、こうして結婚してるんです」
俺は言葉を失っていた。初めて聞く告白に衝撃を受けていた。あぜんとする俺に、マス江がまた驚きの言葉を発した。
「冗談です。今の話。全部作り話です」
はあ? こんな冗談あるか?
この話、冗談なのか、本当なのか。俺は混乱していたが、マス江はクスクスと笑っていた。あのときと変わらない、可愛らしい笑顔で……。
(了)