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文章を書く7大お悩みを解決!⑤:お悩み中級編 内容がありきたり・伝わらない2/2

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解決策②:直接的に書かず、察してもらう!

心情は書かず、情景やモノに託す

「きれい」や「頑張った」といった抽象的な概念は、頭では理解できるが、イメージがしにくく、これだけでは伝わらない。
なかでも「寂しい」「悔しい」といった生の感情は説明しても伝わらない。
では、どうするか。読むことを通じて読み手にも同じ体験をしてもらうのが早い。そのためには情景、出来事を書くといい。
たとえば、「貧しい生活」では伝わらないが、「父親は給料日になるとカップ麺を箱で買ってきた。これで家族5人、ひと月食いつなげというのだ」と具体的に書けば、そのときの心情は読み手が埋めてくれる。
心情を書くなら、体験した人しか言わないようなことを言わせたほうがいい。
たとえば、伴侶を失った人がいたとして、「寂しい」とは言わせず、「車の助手席を見るたび、もう君はいないんだなと思うんだ」と言わせる。
心情は抑え、モノに象徴させる方法もある。
この2月に亡くなった俳人の金子兜太さんは、心情をモノに象徴させた例句として、「クリスマスたったひとつのグラスかな」を挙げている。
これを「クリスマスたったひとりで寂しいな」では言いすぎ。
作者は事物を提示するだけで、そこにある心情は察してもらう。
それが文章の余韻、余情となる。

伝わる文章を書くには?

事物に託す

本文にも書いたように、心情や感清は直接的には書かず、事物や情景に託す。それはヒントのようなもので、読み手はそれを手がかりに問題を解く。答えを書いては読む楽しみがなくなる。

書きたい題材を選ぶ

伝わる伝わらない以前に、伝えるものがなければ伝わらない。
公募のテーマありきで考え、入選の傾向などを考えすぎると、書きたい題材ではなく、入選する題材を書いてしまいがち。

写生をする

事物や情景に託す手法が写生。
写生はまさにスケッチをするように言葉で写す。感情という主観は書かないが、写生という客観描写を通じて表現するのは主観。ただの風景描写ではない。

書くときは冷静に

書いている人が泣いていたら、読む人は泣かせられない。悲しい気持ちを込めるのはいいが、書くときは自分を他人として見て冷静になる。どう伝えようかと考えると冷静になれる。

樋口先生流基本の文章術

自分しか言えないことを探せ

高齢者の交通事故が多発している問題について「免許証を返上したほうがいい」と言えば、これはみんな言っていることなので、ありきたりの文章になります。しかし、無責任に「返上しないほうがいい」とも言えない。このようなときは結論がありきたりになるのは仕方ないので、文章のどこかで1 つでも2つでも、まだ誰も言っていない社会に対する鋭い指摘を入れる必要があります。
そのためには、テーマに引きつけて自分の得意な分野に持ち込み、自分しか言えないことを入れる。するとオリジナリティーが出ます。たとえば、ファッション業界に勤めているなら、そこで得た知識をテーマにつなげる。持ちネタにこじつけるわけです。

具体的にリアルに書く

心情を伝えるときは、自分しか感じられないような感情を入れるといい。平昌オリンピックで金メダルを獲った小平奈緒さんは「まわりが何も見えないくらいうれしかったです」と言いましたが、ただ「うれしかったです」より伝わります。
文章表現としてのコツは、1 .5割増しで大げさに言うこと。「飯がのどを通らないくらい」も「大好きな焼き鳥が目の前にあっても食べる気にならなかった」と言う。
学生の志望理由書でも「コミュニケーション能力がある」ではなく、その能力を発揮したときのことを具体的に、少し大げさに書けと言っています。抽象的では伝わらないのです。

鈴木先生流文才の要らない文章術:埋めていい不足と埋めてはいけない不足がある

書くうちに発見があればありきたりでなくなる

—————ありきたりを脱する方法はありますか。
書いたことを疑い、壊すことです。
教え子が卒業するにあたってぼくが書いた文章があります。書きたくて書いたのではなく、書いたらこうなったという文章です。
まず「卒業おめでとう」と書きそうになって、違和感を覚えました。つまらない言葉だなって。そこで「「卒業おめでとう』という言葉は祝辞であって賛辞ではない。」と書きました。これは次への弾みとする言葉だと。褒められた3年間であったのか、生徒には自問自答してほしかった。だから「本当に〈次への弾み〉としたいなら、過去への反省がなくてはならない」と続けました。
だけど、そう書いたあと、せっかくの晴れの日に、なんでこんなことを自分は書いてるんだと考える。で、思い出すんです。
以前、マラソン大会で優勝した生徒が「何度か本当に死ぬかと思いました」と漏らしたのを。つまり、そんな頑張り屋への憧れがぼくにはあったんですね。「一番先にゴールした者こそが一番苦しんだに決まってる」自然とこんな言葉も出てきました。
しかし、なんだか生徒を糾弾するだけの湿っぼい文章だなと、これも壊しにかかります。偉そうに説教を始めそうになっている自分を冷ややかに眺め、どんな話をすればマラソン大会のエピソードにつながるかと考えました。そしてある一文を発見します。
「卒業までの道のりを君たちはどう駆けたのか再び問えば、この晴れの日にあまりに世知辛い。しかし、問わずにはいられないのは、それが自戒の言葉だからだ。卒業は生徒だけのものではない。教師もまた、この節目の日にはrああもできた、こうもできた」と唇を噛むのである」
そもそもおまえはできていたのかという気持ちがあったからこそ、こんな一文が出てきたのだと思います。
「卒業おめでとう。よく頑張った。未来を切り開け。前途は明るい」
と書こうとしたら、全然違う文章になりました。人は書きたいから書くのではなく、書くべきことを発見するために書くのです。

思いは読者のために残しておくもの!

—————伝わる文章とはどんな文章でしょう。
やるべきことは淡々と情景を描写すること。これはいくらやっても嫌味にはなりません。ところが、そこに思いを差し込むととたんに嫌味になる。思いというのは主観の押しつけなんですね。
客観的に出来事を写し取ることにならいくらでも付き合う読者が、主観を差し込むと、ましてや身内を持ち上げるようなことを書かれると、とたんにすうっと離れてしまう。これは小説でもエッセイでも同じです。
思いというのは、埋めてはいけない不足ということですね。
不足を埋めるからといって、その不足を全部書いていいのかという問題があるんですね。全部埋めちゃうとどっちらけになる。どういう状況なのかという描写はいくら書いてもいいですが、感想とか思いを言っちゃうとだめです。その不足の情報は読者が埋めるものなんです。
読者は押し付けられたものは嫌うくせに、自分でつかみ取ったと思える情報は大事にする。
読者が自分でつかみ取ったという満足感をほどほど残しておかなければならないんです。

思いを書きすぎた悪い見本

夫に早く先立たれた母は、まさに女手一つで三人の子どもを養い育てた苦労人だった。
だが、明るくて慈悲深い性格の母は近所の人気者だった。家計はいつも逼迫していたが、困っている人を見れば迷わず金品を差し出し、自分はボロを着て頓着することがないのである。そんな人徳からか、町の婦人会では母はなにかと代表を務めることが多かった。

思いを抑制したいい文章

1943年初め、中国戦線に展開していた支那派遣軍工兵第1 1 6連隊の私たちの小隊に、武岡吉平という少尉が隊長として赴任した。早稲田大理工科から工兵学校を出たインテリ少尉は、教範通りの生真面目な統率で、号令たるや、まるで迫力がない。工兵の任務は各種土木作業が主であり、力があって気の荒い兵が多い。統率する少尉の心労は目に見えていた。(中略)
決死隊5人は帰ったが、少尉だけが片耳を飛ばされ顔面血まみれだった。なんと、少尉が先頭を走っていたという。
戦後30年たった戦友会で、武岡少尉に再会した。戦中と同じ誠実な顔をされていた。大手製鉄会社で活躍、常務となって間もなく亡くなった。

(久田二郎「決死隊の先頭を走った少尉」)

 

※本記事は「公募ガイド2018年4月号」の記事を再掲載したものです。

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