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第27回「小説でもどうぞ」佳作 背中を探して 篠原ちか子

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結果発表
第27回結果発表
課 題

※応募数314編
背中を探して 
篠原ちか子

 ――また母がいなくなった。
 ハッとして枕元の時計を引き寄せると、光る針は真夜中の一時を差していた。
 バタン、と玄関ドアの閉じる音を確かに聞いて目が覚めたのに、うっかりまた眠ってしまったらしい。介護って本当に大変だと心の底から思う。片時も目を離せない疲れが溜まっていた。
 急いで起きてパジャマの上にジャンパーを羽織り、裸足にサンダルをつっかけて家を飛び出した。門を出て左右を見回したがすでに母の姿はどこにもない。
 九十歳の母が認知症になり、徘徊癖はいかいへきが始まった。それまでは年齢相当の物忘れはあっても、畑仕事も楽しみ、テレビを観ながらわたしが仕事から帰るのを待っていた。それが去年の冬の寒さに風邪を引き、しばらく寝込んでしまったのが悪かったらしい。
 風邪は治ったが、ふらりと家を抜け出してあちこち彷徨さまよい歩く。さんざん探し回って警察に連絡を入れたら、パトロール中に保護されていて、派出所まで迎えに行ったこともあった。 
 家に帰る、って言い張るんですけど、とあのとき若い巡査さんは困り果てたていで言った。じゃあ住所を教えてくれ、って訊ねても無言で首を振るだけで……。
 六十年以上も住んでいる自宅、その町名や番地、電話番号すらもすっかり忘れてしまったらしい。連れて帰ってとがめると母は目をそらし、「……を探しに行ったのよ」などと意味不明の言い訳をブツブツつぶやくばかりだった。
 今夜はどこへ行ったのか……月のない夜は暗く、所々に街灯はあっても曲がり角の多い住宅街は見通しも悪かった。通行人は誰もいないし、母を見かけなかったか聞いてみることもできない。 
 一時間以上も探し回ったか、ついに隣町まで来てしまい、マンションの谷間の小さな公園にたどり着いたときにはもうくたくたになっていた。ベンチに身体を投げ出すように座り、ハア、と大きくため息をついてしまう。
 かなり遠くまで行ったのか、見つからなかったらまた警察に探してもらわねばならない。
「まったく、母さんたら」
 徘徊をくり返す母に、心配を通り越してもはや怒りすら覚えてしまう。母は昔、ことあるごとに死んだ祖母の介護に苦労したと愚痴をこぼしていたが、自分だって同じじゃないか……。
 祖母も足腰だけは丈夫で、ふらりと家を抜け出してはたびたび迷子騒ぎを起こしたのだそうだ。年寄りの足とは信じられない遠方まで平気で行ってしまう。亡くなったのも徘徊が原因で、いなくなった二日後、五キロも離れた橋の下で保護されたが、肺炎を起こしてそれきりになってしまった。
 苦労したのならせめて自分はそうならないよう気をつけられなかったのか……問い詰めてやりたかったが、無駄なこともわかっていた。病気なのだから責めても何もならない。当人がいちばんつらいのだから……。
 今ごろ母も疲れ果て、どこかでうずくまり、途方に暮れて暗い夜空を見上げているかもしれなかった。一刻も早く見つけだし、連れ戻さなくてはと焦るが、痛む足が言うことを聞かなかった。夢中で探すうちにサンダルの片方を失くしてしまい、右足の裏が赤くすりむけている。諦めたくはなかったが、こんな足でこれ以上探せるとも思えなかった。 
「とにかく少し休んでから家に戻ろう」
 戻ってから警察に連絡しよう、わたしは砂でざらつくベンチにゴロリと横になって目をつぶった……。

 どれくらいそうしていたか、突然耳元で泣くような声が響いた。
「……お母さん、一体こんなところで何してんのよ、心配してどれだけ探したか」
 懐中電灯の光にまぶしく横顔を殴られて、わたしはボンヤリ目を開けた。誰かがわたしの肩をしきりに揺さぶり、涙ながらになじっている。
「もう何べん同じことを繰り返してみんなに迷惑をかけていると思っているの。こんな真夜中に家を抜け出したりして、どこへ行くつもりだったのよ。またどうせ、亡くなったおばあちゃんを探していたなんて言い訳するんでしょ」
 娘の腕に身体を引きはがされてベンチからヨロヨロと起き上がり、わたしは差し出されたサンダルを右足に履いた。
 ――そう、そうなのよ、でもどうしても見つからなかったの……。
 わたしは疲れ果ててまわらぬ舌で一生懸命に説明をした。
(了)