第27回「小説でもどうぞ」佳作 あざ みなみ真子
第27回結果発表
課 題
病
※応募数314編
あざ
みなみ真子
みなみ真子
義母が一年前に突然倒れ、そのまま入院し、一カ月という短い闘病の末に亡くなった。義父との会話が少なくなったのはその頃からだった。 それまでは無口な人ではあったが、日常の会話は成り立っていた。それがここ半年はみるみるうちに話すことがなくなり、義父は一日中ぼーっと庭を眺めているだけになった。救いは一人で動けることとご飯を食べたことは覚えていてくれることだ。とはいえ義父から目が離せなくなり、私の生活も変更せざるを得なかった。小学四年生の娘と一年生の息子にも手が掛かり、私の時間は今まで以上になくなっていった。
子どもたちを学校に送り出し、義父の食事を準備しながらバタバタと動いていた。今日はデイサービスの日なので九時半にはお迎えが来る。週三日のデイサービスは私の時間を確保できる貴重なチャンスだ。義父を送り出し、コーヒーを入れながら大きなため息をついた。
私は大きな問題を抱えていた。単身赴任中の夫がどうやら浮気をしているようなのだ。自分の父親の面倒を私に押し付け、自分は新しい女と楽しい暮らしをしていると思ったら、全身の血が逆流するような怒りを覚えた。ただ、義父のことは好きだったし、最後まで面倒をみたいと思っていたので、別れるかどうかの決断ができずにいた。
食事を済ませた義父の着替えを手伝っていると、背中の辺りに擦り傷のような箇所を見つけた。床擦れ? いやいや、寝たきりなわけではないし、どこかでぶつけたのだろうか?
「お義父さん、背中のこの辺り、痛いですか? どっかでぶつけちゃった? 金曜日病院の日だからついでに診てもらいましょうか?」
問いの答えはなく、義父はぼーっと庭を眺めているだけだった。
最近は家庭内での虐待などがないか、アザや傷はデイサービスでもチェックされる。私はめんどくさいな、と思いながらデイの人にどうやって説明するかを考えていた。でも本当にあの傷はいつ出来たのだろう?
それからは毎朝必ず背中をチェックするようになった。その傷はなぜか少しずつ広がっていき猫の顔くらいの大きさになってしまった。病院でも診てもらったのだが原因は分からず、結局老化で皮膚が弱くなっているのでは? ということに落ち着き、塗り薬を出されただけだった。塗り薬を毎日塗っていても傷は治らなかった。それどころかところどころ皮膚は盛り上がり、まるでサルが大きな口を開けているような模様になっていった。当の本人は痛くも痒くもなさそうでいつも通り過ごしていた。
デイサービスから義父が帰ってきた。付き添いのヘルパーさんは嬉しそうに私に今日一日の様子を話してくれた。
「今日、お義父さんお話されてましたよ! 他の利用者さんたちも大笑いで! 私は声しか聞こえなかったんですけど、なんだかみなさん盛り上がっていて楽しそうでした」
信じられない。義父が話しておまけに盛り上がってる? 他の利用者たちは義父と似た症状かもっと認知症が進んでいる人たちばかりだ。絶対聞き間違いだ。ありえない。部屋に戻った義父は相変わらず外をぼーっと眺めている。
夕食の準備をしていると廊下の先の方から子どもたちの笑い声が聞こえてきた。廊下の先には義父の部屋があった。ボケ始めてからは子どもたちも義父の部屋に近寄らなくなっていたのだが、不思議に思い、様子を見にいった。部屋を覗くと義父はぼーっとしていて子どもたちは周りで笑っていた。
「あなたたち、おじいちゃんのお部屋で何してるの? 宿題終わった?」
「ママー! おじいちゃん、すごいんだよ! ふくわじゅつ出来るんだよ!」
息子は興奮気味に話した。
今度は娘が得意げに私に言った。
「私がヒカルに教えたんだよ。腹話術だって」
私は混乱し、子どもたちに「早く宿題やってしまいなさい」と言って部屋を出た。どういうことだ? 話す? 腹話術? 私が見た義父はいつもと変わらず外を眺めているだけなのに、子どもたちと話している? 自分の中で、これをなかったことにしてしまった。そうでもしないと頭がおかしくなってしまう。
その夜、いつも通り義父の着替えを手伝いながら背中を見た。すると突然サルの顔のような傷が話し始めた。
「いろいろすまない。もういいから。終わりにしなさい」
私はそのまま倒れた。気がついたとき、義父は布団の中で静かに眠るように息を引き取っていた。
(了)