第27回「小説でもどうぞ」選外佳作 よかったですねの裏側 Y助
第27回結果発表
課 題
病
※応募数314編
選外佳作
よかったですねの裏側 Y助
よかったですねの裏側 Y助
朝。想定外の着替えに手間取り、十分遅れで玄関を飛び出した私は、ランドセルを揺らしながら、小学校へと向かった。
ママが突然、会社をクビになったのは、二ヶ月前のこと。よほど、悔しかったのだろうか。その日を境に、ママは私に対し、八つ当たりをするかのように、口うるさくなった。
以来、ママと私の口喧嘩が、毎朝の恒例行事となっていた。今朝だってママが、私が着ていたブラウスに、無理やり文句をつけるから……。
息を切らし駆け込んだ、通学路の途中にある小さな公園。そこにはもう、微笑みながら私の到着を待つ、友だちの姿があった。
「ねえ、テレビ見たでしょ……」
開口一番、友だちが選んだ話題は、朝のニュースで流れていた、野生の親子熊のこと。どこか遠くの農村に現れ、作物を荒し逃げ回ったあげく、撃ち殺されてしまったという、秋ならではの出来事だった。
よかったですね、これで、安心して暮らせますね。と、テレビ局のお姉さんが、地元の住人に、微笑みながらマイクを向けていた。
冬眠に備え、餌を食べていただけの、熊の親子が殺された。でも、よかったですねと、テレビ局のお姉さんは言っていた。だからきっと、撃ち殺されたのは、よかったことなのだと、私と友だちは、微笑みながら頷いた。
学校にたどり着いた私は、自分の席へ腰を下ろすと、何気なく、空いたままの隣の座席へと視線を向けた。
そこはもともと、大人しい男の子の席だった。でも、クラスの中の数人から、陰湿ないじめを受け、自ら命を絶ってしまった。
いじめていた生徒の中には、地元でも有名な、若手政治家の子供の名前も入っていた。
いじめなどなかったと、その政治家がなんの根拠も、検証もなく言い張ると、学校も加害者の親たちも、素直にその言葉を支持した。
やがて、声高にいじめを訴えていた被害者の親が、なぜか突然口を閉ざして、一件落着。どこかの誰かに、何かをされたのだという、黒い噂も流れたが、耳を貸す人はいなかった。
生徒が一人死んだけど、大事にならずに、よかったですねと、先生や加害者の親たちが、ひそかに微笑む姿を、私は物陰からじっと眺めていた。
一日の授業が終わり、その帰り際。先生から、いいお知らせがあった。それは、近所で頻発していた放火事件の犯人が、逮捕されたという話だった。何件もの家が焼かれ、けが人が出て、何人かの人が焼け死んだ。
「犯人は多分、死刑になると思います」
生徒からの問に、そう答えた先生は、悪い人が捕まって、よかったですねと、微笑みながら胸を撫でおろした。
焼け崩れた家と、焼け死んだ人。そして、それを悲しむ被害者の家族。それでもやっぱり、よかったですねと、微笑んで見せれば、それで全て片づいてしまう。
下校前。私はトイレに行こうしたけれど、思いとどまり、家まで我慢することにした。
その理由は、学校の女子トイレには、盗撮用の小型カメラが、いたるところに仕掛けられているからだ。
犯人は……、校長先生。
しかし、先生や大人たちは、それを問題にしない。そんなことをして、校長先生の機嫌を損ねたら、大変だから。生徒の言葉など、無視していれば、明日もまた、よかったですねと、笑っていられるのだから。
見たくもない、聞きたくもない、不都合なこと。説明のできない、不条理なこと。そんな面倒なことを全て、『よかったですね』に変えてしまえば……。そうすれば、誰もがみな、微笑みを浮かべ、暮らしていられる。
私は、そう理解していた。だから……。
家に帰り、トイレを済ませ手を洗うと、おやつを食べにキッチンに向かった。すると、冷蔵庫の前に、白目をむいたママが、仰向けになって倒れていた。
今朝、恒例の口喧嘩となったとき、私がそこで、ママのお腹を刺したのだ。出刃包丁を持ちだして、何度も何度も刺したのだ。
返り血を浴びて汚れた、白いブラウスを急遽、着替えることにはなったけど。でも、これでもう、口うるさく言われることもない。無駄な口喧嘩だって、しなくてもいい。
面倒くさいママを、「よかったですね」に変えたから、私は微笑みながら、平穏に暮らせるようになったのだ。
先生も、友だちも、そして、テレビ局のお姉さんたちもみんな、よかったですねと、微笑んでくれるはずだ。
私は、血だまりの中に横たわるママをまたぎ、冷蔵庫を開けると、大好きなプリンを一つ取り出した。
丁寧に蓋を開け、頬張ると、ほろ苦いカラメルの味が、口いっぱいに広がった。
(了)