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第28回「小説でもどうぞ」佳作 誓いの丘 酔葉了

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結果発表
第28回結果発表
課 題

誓い

※応募数272編
誓いの丘 
酔葉了

「そこに車を停めてくれ」
 後部座席に座る私は御付きの運転手に声を掛けた。運転手は「はい」と頷いて車を停めた。私は車をゆっくりと降りる。ここは大きな町を見下ろせる少し小高い丘の上、来るのは三十年来になる。そう、学生の頃によく来た場所だ。
 初春の風が流れてきた。その香りに懐かしさが込み上げる。
「あいつ、今頃、どうしているだろう……」
 私は銀行に入行する寸前にこの場所で誓いあった彼を思い出していた。彼は同じ大学から同じ銀行に入行する友人だった。
「将来の目標は?」
「もちろん頭取になることに決まっている」
 彼の問いに私は何の迷いもなく答える。当然、本気ではない。だが、人生を賭ける話だ。偉くはなりたかった。私には相当の野心があったのだ。
「そうか……。じゃあ、僕は君に仕える常務くらいまでいければいいか」そう言って彼は笑った。
「よし、約束だ」私は彼とがっちりと握手した。その手の温もりは今も残っている。
 そうして長い月日が流れ、私は今、銀行の常務になった。ここに来るまでに相当の努力を重ねてきた。多くの危ない橋も渡った。眠れない夜も数多くあった。
 入行する前、両親に実家の小さな和菓子屋を継いでくれと泣きつかれたが、あんな店の主人になどなるつもりは微塵もなかった。それ以来、親とは会っていないが後悔はしていない。私にはまだ頭取という最終目的がある。これからも多くの人間を蹴落とさなければならない。私は自分の選択に間違いはないと思っているし、人生の勝利者だと自負している。
 それに比べて……と、彼を思い出す。あいつは初任店でつまずいた。後輩を庇い上司の課長と喧嘩をし、そしてバツをつけられた。銀行員は一度、バツをつけられるともう陽の目をみることは二度とない。どうでもいい上司の話など軽く聞き流せばいいものをマジメに受け取るから馬鹿をみる。下手な正義感や優しさなどいらない。それから奴は地方の店を転々とし、いつの間にか銀行を辞めていた。最後に私宛てに電話があったようだが、当時の私は忙しく、そんな下っ端を相手にする気もなく放置した。奴と私の住む世界は差があり過ぎたのだ。
 奴は今頃、哀れな人生を歩んでいるだろうことは想像できた。仕事を転々として何とか食いつないでいるだろう。一度くらいはご馳走してやってもいいがな……。
 今日も接待だ。連日、接待でスケジュールは一杯だ。二次会は久しぶりにあの店のあの娘にでも会いに行くか。私は愉快になり丘の上から大笑いをした。運転手が怪訝そうに見ている。

「社長、どうしますか?」若い部下が楽しそうに聞いてくる。
「君はどうしたい?」
 ベンチャー企業を立ち上げてから随分と経つ。好きなことをして稼ぐ。それが自らの夢だった。銀行を選んだのはノウハウを学ぶため。だが、あんな古い企業体質の銀行にノウハウなどないことはすぐに分かった。実力が求められる企業経営には何の役にも立たない。考えず、言いなりの人間が生き残るのが銀行だ。僕は見切りをつけて辞めた。ただ、人を見る目だけは養えた。
 そして充実した生活が始まった。厳しいことの方が圧倒的に多かったが、なにより自分の考えで仕事を進めることができる。それは大いに遣り甲斐のあることだった。
 後継者不在の老舗を支援するプロジェクトも手掛けた。ある小さな和菓子屋を救ったが、老夫婦は本当に喜んでくれた。いやいや、こちらの方こそだ。息子に店を継いで欲しかったようだが難しかったらしい。人にはそれぞれ事情がある。あんなに美味い老舗がなくなるなんて日本の損失。今や行列の絶えない店になっている。
 気がつくと食堂のテレビで僕が昔、勤めていた銀行名が連呼されている。
 テレビを観ると、並んで座る役員の中に見覚えのある顔があった。僕は古い記憶を辿る。
「そうか……彼だ」と思い当たった。だが昔と違って顔色が悪く歪んでいる。意地悪な顔だった。いい人生を歩めていないのか。だが間違いない。昔、あの丘で誓い合ったことも思い出した。あの時、彼は言っていた。夢は頭取になること。ただ実家の和菓子屋の行く末も気にする優しい男だった。大丈夫、あの店は僕が助けたから。
 テレビは以前からの財務内容の悪化に加えて、反社への大口融資が発覚し、別のメガバンクに実質吸収合併され、役員は全員クビになるという銀行のニュースを流していた。
(了)