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物語の型カタログ5:物語を物語る術

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語る順番を考える

前項では物語の型を紹介しました。型は数学の公式のようなものですから、あとは設定や登場人物という代入する数値を変えれば、ごく簡単な起承転結(ストーリー)はできるでしょう。
で、ここでは小さなシーンの〝順番〟について考えてみます。

直前に何を置くか

語る順番によって、印象(効果)は変わってきます。

「熊さんとこに強盗が入ったそうだよ」
「そりゃ、災難だね」
「でも、犯人はすぐにあがったってさ」
「熊さんとこは揚げ物屋だからね」

 

有名な笑い話ですが、このオチを先に言ってしまったら台なしになります。
怖い話の場合も同様です。
映画『十三日の金曜日』のジェイソン的な殺人鬼がいても、出てくると分かっていると怖くありません。それより、脅迫状が届いた夜に玄関のドアが叩かれ、「誰?」と聞くと、「ぼくだよ」と恋人の声。ほっとしてドアを開けると、そこに……という展開のほうが、ほっとした分だけドキッとします。

あとがいいか、先がいいか

先に書いたらネタ割れになることでない限り、必要な情報は先に書きます。
一方、あとで書いたほうがいいというか、そのほうが先に書いたことの解釈が塗り替えられるということもあります。
たとえば、以下のようなセリフ(両方とも同じ男性のセリフとします)。

「結婚したいと言って、できなかったら格好悪いしね」
「ぼくは結婚なんてしない」
これはごく普通の場合です。
「ぼくは結婚なんてしない」
「結婚したいと言って、できなかったら格好悪いしね」

 

説明がない分、最初は積極的に独身でいたい強気な男という印象がありますが、あとで印象ががらりと変わりますね。

語り順のトレーニング

何をどんな順番で語るかは、日頃から小説を読みつつ、「この順番なら効果的だけど、逆にすると艶消しだな」とか、「順番はいいけど、今より説明が多いと効果が出なかっただろうな」というように考えるといいですが、ここではコマ漫画を使ってシーンの入れ替えトレーニングをしてみます。
Aは、ごく普通のシーンです。
Bも同じですが、こちらはビール瓶にウェイトがあります。つまり、Aは「達人はいかに割ったか」であるのに対し、Bは「ビール瓶はいかに割られたか」になっています。
Cは、時間をおいてはらりと瓶が割れた感じです。まさに達人の技!皆さんもいろいろ入れ替えてみて、どんな順番にするとどんな意味が生まれるか試してみてください。

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物語を設計する

物語と枚数の関係

ざっくりとしたストーリーが決まったら、今度は実際に作品を書いていきますが、その前に決めておかなければならないことがあります。
まずは枚数。
といっても、公募の場合は枚数は決まっている場合が多いので、枚数と作品の関係と言えばいいでしょうか。
たとえば、前ページでは教養小説が出てきましたが、こうした作品は短編では書ききれるものではありません。少なくとも主人公の人生をすべて均等に入れ込むことは不可能です。
逆に、話らしい話のない身辺雑記の場合、これを大長編にしたら間延びしてしまうのではないでしょうか。
話にはその話に合った枚数がありますから、この枚数ならあまり複雑な話にはできないなとか、逆にこの枚数ならある程度の出来事がないともたないだろうなのように見当をつけてください。

視点人物をだれにするか

物語には語り手がいます。語り手は作中人物である場合もあれば、人格等が明瞭でない幽霊のような存在である場合もありますが、特定の人物に張りついて語
ったり、物語全体を俯瞰してナレーションを入れたりする語り手という存在がいることは理解しておいてください。
で、語り手は通常は誰かに焦点を合わせ、その人物を通して出来事を語ります。
その際、語り手が焦点化した人物のことを視点人物と言いますが、書き出す前に、それを誰にするか、さらに何人にするかということを決めておきます。
まず、視点人物を誰にするかですが、九割方は主人公で決まりです。
ただし、主人公が見たもの、聞いたものを書いてしまうと支障がある場合は、ホームズシリーズのワトスンのような形式主人公を立てます。
また、物語世界を説明する役目も負う視点人物という存在は、ある程度は理知的でないと務まりませんが、では、「野暮な主人公の野暮さ加減を表現した作品」の場合はどうでしょうか。
野暮な人は自分の野暮さ加減が分からないから野暮なのであって、自分を分析的に語ったらおもしろくない。この場合も脇にいる人物を視点人物にします。
次に、視点人物を何人にするかですが、主人公は何をどう見たかということを問うような心理的な小説や、舞台設定があまり大きくないような小説なら、主人公一人を視点人物にします。
ものの見方、見え方は、一人の人物を通して書くから分かるという部分があって、たとえば、川端康成の『伊豆の踊子』を、学生の視点、踊り子の視点、踊り子の親の視点、踊り子の兄の視点、他の踊り子の視点などを織り込んで書いたら、ストーリーは分かりますが、何が言いたいのかというテーマはぶっ飛びます。物語性よりもテーマ性を重視するような作品の場合は特に視点人物は一人に限定すべきでしょう。
一方、日米両国が舞台であったり、一人の視点では書ききれないような大きな事件の場合、あるいは、対立する二つの視点を交互に書いたほうが効果的という場合は多視点を考えます。
しかし、安易に視点人物を増やし、無自覚に視点の切り替えをすると読者は混乱しますし、どの人物に肩入れして読めばいいか分からず、感情移入しにくくなったりしますから注意してください。

人称をどうするか

人称には、一人称と三人称があります。
一人称は「私は」のように書いていく形式で、視点は主人公の「私」の一元視点ですね。一人称一元視点です。
三人称には、客観三人称(全知視点)と、視点そのものは一元視点である三人称一元視点がありますが、現代小説では全知視点だけで通すことはまずありませんから、選択肢は一人称にするか、三人称一元視点にするかのどちらかになります。では、どちらがいいでしょう。

 

うだるような暑さだと俺は思った。
うだるような暑さだと雅樹は思った。

 

三人称のほうは印象として客観的です。
物語と語り手に少しの距離があります。
その分、やや説明している感じ。
一方、一人称のほうは独白調で、内面を吐露するような小説に向いています。
日記の延長のようで書きやすくもあるでしょう。この書き方で書ける人や作品の場合は一人称でいいでしょう。
しかし、独白は10枚も書けば煮詰まってきますし、やはり、物語を俯瞰してコントロールする目も欲しい。それに一人称の場合は「主人公=語り手」だから、語り手は自分を離れることができません。
鏡でもなければ自分の顔すら描写できませんし、ちょっと窮屈です。
三人称のほうは物語と距離があって作者自身、乗りきれない面はありますが、物語性が強い作品ほど書きやすいという利点があります。
どちらがいいとは一概には言えませんが、冒頭だけ両方書いてみて、どちらかを選ぶというのも手です。

 

※本記事は「公募ガイド2012年10月号」の記事を再掲載したものです。