第29回「小説でもどうぞ」選外佳作 スタンツ 若林明良
第29回結果発表
課 題
癖
※応募数288編
選外佳作
スタンツ 若林明良
スタンツ 若林明良
「レゲエパンチじゃねえよ。レゲェパンチ! 山口、何度言ったらわかるんだ」
「ふつう、メニューにはレゲエパンチで載ってません?」
「店が小さいェで打ってきてんだからいいんだよこれで。ずっとこれで載せてきたんだろ。大体、ふつうって何だよ。お前のふつうなんか要らねえよ。客の要望がすべてなんだよ!」
飲料会社の一画、居酒屋メニューをパソコンソフトで作成する部署。その会議室に山口を連れ込んだ。半年前に中途入社してきたこいつはたびたび指示を無視する。
たとえば居酒屋が指示書に打ってきたメニューのカルーアミルクをカルアミルク、レッド・アイをレッドアイと勝手に変えて作成するのだ。チェックが甘いとそのまま納品されてしまう。
アイテム名を勝手に変えないで欲しいとクレームを付けてくる店が当然ある。そのたびに山口に注意するのだが、いっこうに改善する気配がない。
「お前なんでいつも自分の感覚で変えちゃうわけ? これ仕事だぞ。これで金もらってんだぞ。お客様あっての俺らだぞ。わかってんのか!」
「うーん、癖になってますし、自分の感覚に沿わないことはしないと決めていまして。これ、ぼくのスタンツですから」
「はあ? スタンツってなんだよ。スタンスの間違いだろ、カッコつけてんじゃねえよ」
「いえ間違いではありません。スタンスが単なる態度を示すのに対し、スタンツは自己の身体支配の能力や勇気を養うような活動全体を指す、と辞書にあります。仕事の場においても自己の感覚を貫く。これはわりと勇気を養う能動的活動といえますから、スタンツと表現しております」
「意味わかんねえよ! あそこは要望通りやらねえからって、お前のせいで仕事減らされたらどうしてくれるんだ。えっ」
「コンプ」
「コンプライアンス違反ってか、俺の発言が。へっ! どーぞどーぞ、コンプラ窓口にどうとでも言えや」
リーダーの発言態度が酷すぎるとの何名かの密告により、今まで何度も俺は社のコンプライアンス委員会から是正勧告を受けてきた。
仕事の品質を保つためにはっきりと指摘することの何が悪い。こいつらがアホすぎて弛みまくってるからケツを叩いてやってるだけなんじゃ。事実、無視を決め込んでも委員会の奴らは何も言ってこないではないか。
山口が澄んだ目をまっすぐ俺に向けた。
「コンプレックスの塊なんですね、坂井さんって。人は自分が扱われたとおりに他人を扱う。たぶん坂井さんも、むかしはかなり厳しい指導を受けて来られたんですね」
視線を外した。そうさ、俺は生意気な新人だった。無駄で意味のない慣習にたて付き、歯に衣着せず文句を言いまくった。その結果、先輩からの壮絶ないじめに遭った。
指示が細かく要望の多い、つまりめんどうな店の仕事を押し付ける。質問をしても知らんふりする。重要事項の回覧を回さない。
しかしまあ、あれで鍛えられたものだ。結果、上には媚びへつらい、下にはとことん厳しく。俺の処世術が構築されたのだった。
睨み返した。
「お前上司に向かってその言い草は何だ。よく今までの職場でやってこれたな」
「ここが初めて勤める会社なんです」
山口敏光、三十五歳。俺より七つ上のこいつ、ニートだったのかよ。この浮世離れした感じ……よくこの大企業に入れたな。
「豚貴族でアルバイトしたことはあるんです。でもぼく、豚が苦手で、臭いからしてダメなんで一日で辞めました」
豚貴族は豚串をメインとした全国千店舗もあるチェーン居酒屋だ。居酒屋業界の中でも当社の飲料を最も多く取り扱っている大得意先で、この部署では毎日何件も豚貴族のメニューを作っている。
「なんで豚が苦手なのに豚貴族で働こうと思ったんだよ。アホか」
「ぼくのお父さんの会社なので」
すぐさまスマホで豚貴族のページを確認した。代表取締役、山口敏郎。……おいおいおいおい。この情報は俺の耳に入ってないぞ。職場に友人がいないと、こういう目に遭うらしい。顔を上げる。
「……山口さん。こういうことは、先に言ってくださいね」
山口は父親によく似た、色白で小太りの豚みたいな顔でにこにこしている。
「今日、よかったら夕飯、一緒にどうですか? 山口さんは、飲めるのですか?」
「ぼく、こんな職場にいながらおかしいんですけど、まったく飲めないんです」
「あ、そうなんですか」
「お父さんからもらったガストの株主優待券がいっぱいあるんです。いま食べ放題やってます。これ、どうですか。デザートも食べ放題ですよ。ぼく、甘いものは大好きなので」
「ガスト。うん、いいですね、ガスト行きましょう」
俺はいま、人類で最も気が合いそうにない奴を、処世のために、勇気を振り絞り食事に誘った。これをスタンツと呼ぶのだろう。
(了)