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完全!文章系応募マニュアル4:表記と作品と応募のルール

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原稿の表記に関するルール

ここでは、原稿の表記の仕方について説明していきます。

記号の使い方

「 」

直接話法のとき、または何かを強調するときに使います。

『 』

二重カッコは、「 」の中でさらにカッコを使う場合や書籍名などに使います。

( )

パーレンは注釈や補足説明に用います。

〝 〟

普通とは違う意味であることを表す場合などに用います。
〈例〉その 〝パソコン〟 は紙製だ。

マス目の中央に書くのでナカグロと言います。二つの言葉を統合し、「書籍・雑誌コーナー」といった使い方をしたり、「ザ・ロング・グッドバイ」「カート・ヴォネガット」のように外国語の単語の境目に用いたりします。

……

言葉が中途であることを示す場合などに用います。三点リーダーという記号(…)を二つ重ねます。「…」のように三点リーダーが一つだったり、「‥」のように二点リーダーを使っていたり、「・・・」のようにナカグロを三つ書いたりした原稿を見かけますが、誤りです。

――

思考線と言います。俗にダッシュと言われる記号を二つ重ねます。
〈例〉果たして本当だろうか――。

改行したときは一字空ける?

筒井康隆著『乱調文学大辞典』にはこう記されています。
「書き出しは升目をひとつあけて書く。それ以後も、改行するたびに一字分落して書く。会話の場合のカギかっこは一字目に書いてもいいし一字落してもよい」
ですが、カッコで始まる文章の場合、今は一字下げをしない人が多いようです(ただし、全角のカッコを使います)。

セリフのあと、一字下げていない作品があるようですが?

改行一字下げは、もとは出版社の符丁のようなもので、それが一般化したものです。だからいろいろな流儀があります。
たとえば、古い童話などでは、少年は注意深くあたりを見て、
「それ、今のうちだ」
と言った。
のように、セリフのあとを一字下げにしない流儀の出版社もありました。
これは「改行=段落が変わった」とする考えで、強調のためにセリフは独立させたものの、《と言った。》のところで段落が変わっているわけではないので、一字下げはしないという発想です。
これも誤りではありませんが、最近はほとんど見かけなくなりました。

?や!のあとは一字空ける?

前の文が?や!で文が終わり、あとに続く文がある場合に限り、文と文がくっついてしまわないように、?や!のあとを空けます。

一例

犯人は誰? なぜこんなことが?
ただし、一字空けるのは「?や!で文が終わり、あとに続く文がある場合だけ」

ですから、以下のような場合は、
「本当に愛しているの? 」とはせず、
「本当に愛しているの?」
のように一字空きにしません。

句点はどんな時に省略する?

通常の文は文末に句点(マル)をつけますが、?や!で文が終わった場合は、
そのとき、君はどこに?。
とはせず、
そのとき、君はどこに?
のようにマルを省略します。
また、セリフなどカッコでくくられた文章も、最後のマルを省略します。

一例

「なんだい、ごあいさつだね」

小説の場合の特殊なルール

ここでは、小説の場合の特殊なルールについて説明していきます。

カッコのあとに地の文が続いている場合、カッコのあとにマルをつける?

普通の文では、文末にマルをつけるのはご存じのとおりです。

一例

モーリヤックは「小説家は、あらゆる人間のうちで、最も神に似ている」と言った(「小説家と作中人物」より)。これ小説の場合の特殊なルールに対してサルトルは「小説家は決して神ではない」と反論した。

前記の例文の場合、二つのセンテンスがあり、その境界にマルがあります。普通はそうしますね。
しかし、主として小説では、セリフのあとに地の文が続いている場合は、閉じカッコをもって文は終わったと見なし、マルは省略します。
これは、おそらくは外国語の小説の表記に準じたもので、戦前からそのように表記されています。

一例

「当今は鮨も上りましたからね。小僧さんには中々食べきれませんよ」主は少し具合悪そうにこんな事を云った。

(志賀直哉『小僧の神様』)

内面の声は()で書く?

内面の声をパーレンでくくるのは、神の視点で書いた場合です。神の視点(全治視点、作者視点、客観三人称とも言いますが)の場合、小説に書かれたことは作者または語り手によるナレーションです。よってこれと人物の内面の声を区別し、カッコでくくるわけです。

一例

庄助は、英国商館の庫に積まれている黄色い羅紗生地のことを考えた。
(あれは、売れなかった)

(司馬遼太郎『韃靼疾風録』)

一方、人物視点では、作中に書かれたことはすべて視点人物が見たもの、聞いたもの、思ったことです。つまり、すべてが内面の声です。よってカッコで区別する必要はありません。

一例

ストリップ・ショーのステージにでも立っているみたい、と彼女は思った。いいわよ。見たいだけ見ればいい。渋滞に巻き込まれてきっと退屈しているんでしょう。でもね、みなさん、これ以上は脱がないわよ。今日のところはハイヒールとコートだけ。お気の毒さま。

(村上春樹『1Q84』)

作品に関するルール

どこまでが盗作ですか?

一行でも他人の著作物を使えば、それは盗作になります。
偶然の一致や無意識による行為ということもありますし、実証は難しいですが、第三者の著作物をそのままを写すような行為は許されません。

盗作に当たらない場合は?

引用やオマージュです。引用は以下のような転用を言います。

ロボットのR2‐D2とC‐3POが荒野を歩くシーンは、黒澤明の『隠し砦の三悪人』の藤原釜足と千秋実扮する雑兵が歩くトップシーンと同じアングルで撮られている、というのは有名な話です。
(中略)あのシーンはまさに「下敷きにさせて頂きました」というルーカスの思いなのです。

(柏田道夫『エンタテイメントの書き方1』)

この引用自体がオマージュの説明なのですが、オマージュならやり放題かと言えばそんなことはなく、やはり限度はあります。境界は曖昧ですが、柏田先生の『エンタテイメントの書き方1』によると、良心が痛むかどうかが分かれ目になるとのことです。

似たストーリーもダメ?

ストーリーの骨格や展開、アイデア、トリックなどに著作権はありません。名作のストーリーを借り、そこから別の作品を作るのはだめでないですし、創作トレーニングの基本でもあります。
ただ、既存の作品そのまんまでは著作権上は問題なくても、作品の独創性ということで問題があります。

エッセイにウソを書いてもいい?

エッセイはノンフィクションですから、創作のようなウソはいけません。
ただし、すべて事実でないといけないかと言うと、そうではありません。たとえば、著者は70歳、そして恋人と旅行に行ったときの話を書くとして、そのまま書くと、どうしても70歳の恋人というほうに読者の関心が向いてしまいます。しかも、話そのものは「恋人と」ということと直接は関連しない。このような場合は、ウソも方便で「友人と」と書いても責められません。
ただし、これも程度問題で、話を効果的にするためならなんでも許されるということではありません。

未発表オリジナル作品とは?

未発表というのは、どの新聞、雑誌にも公表しておらず、受賞もしていない作品です。個人のブログや非流通の自費出版物、同人誌はいい場合もありますが、それぞれの公募の規定によります。
オリジナル作品とは、個人で創作した、盗作、剽窃でない作品。この個人は会社や団体による集団制作ではないという意味で、共作とは違います。

落選が決まったものは応募可能?

落選が決まっているものは未発表に入ります。応募しようとする公募の規定に「未応募のもの」という条件がなければそのまま再応募できますが、一次で落ちたような作品はどこかに致命的な欠陥があるのですから、それを直さない限り、何度応募しても同じことです。

自分の作品を書き換えたら?

他人の作品を盗めば盗作ですが、自分の作品を本人が書き直すのは著作権上、問題ありません。
ただ、エッセイで入選した作品を手紙として書き直すような場合、読んだ人に「同じだ」と思われない作品であることが望ましいです。

応募に関するルール

速達で出したほうがいいか?

通常は普通郵便でかまいません。速達にしないといけないのは、締切日にポストに行ったところ、最終集配時刻を過ぎていた場合です。この場合は本局まで行き、さらに速達にすれば当日の消印になります。
応募は宅配でも受け付けてくれますが、消印はつきませんので、住所の書き間違いで到着が遅れたらアウトです。
また、160‐8549のような住所記入不要の専用郵便番号は郵便局だけに通じる番号ですから、宅配便を使う場合は住所を書かなければ届きません。

梱包はどのようにしますか。

A4判なら角2封筒などサイズの合った封筒を使用し、開封したらすぐ読める状態で送りましょう。二重の包装、台紙、クリアファイルなどは不要です。

封筒はどんなものがいい?

事務用の茶封筒を使います。審査に影響はありませんが、社名や団体名入り、および新聞チラシで作ったお手製の封筒などは避けましょう。

挨拶文は添えたほうがいい?

手紙とは違います。「応募原稿、お送りします」「ご査収ください」といったものは不要です。とにかく余計なものは添えないに限ります。

別紙とはどんな紙?

住所等を書く別紙は、作品とは別ということであって、紙質まで別のものにする必要はありません。よくメモ紙のようなものに書く人もいますが、サイズも作品と同じでいいです。

原稿に香りをつけたいが?

まったく無意味ですし、あなたにとっていい香りが、誰かにとっていい香りとは限りません。コーヒーの染みとかなんだかよく分からない汚れなども論外です。

新人発掘と読者サービス

「小説○○新人賞に応募するには、小説○○の読者でないとだめですか」という質問を受けたことがあります。その人いわく、「新人賞を主催する出版社からすれば、自社の雑誌の読者から新人が出ることを望んでいるだろうから」とのことでした。
一瞬、うなずいてしまいそうになりましたが、これはちょっと違います。
たとえば、卑近な例で言うと、本誌の「小説の虎の穴」のようなコーナーは本来的には読者サービスで、購読いただいた方に創作を楽しんだり、学んだりする場を提供しているわけです。本当に読者かどうかまでは調べていませんが、趣旨は読者サービスです。
一方、文学賞の目的は新人発掘です。母体となる雑誌はあっても、受賞する人が読者であるかどうかは二の次です。
というより、むしろ読者でない人がどんどん参画し、文芸の世界を盛り上げることを期待しているのではないでしょうか。
ですので、「小説○○賞」に応募するにあたり、「小説○○」を何年購読しているかアピールしても意味がありませんし、逆もまた真なりです。

文芸誌は読むべきか

大手出版社が主催する文学賞には母体となる文芸誌や読み物誌があり、それぞれカラーがあったりしますので、どんな雑誌かぐらいは知っておくべきです。
それは明らかなジャンル違い、系統違いを防ぐためです。
「『ヰタ・セクスアリス』ばりの純文学を書いて応募したが、雑誌を見たらエンターテインメントに徹した漫画誌だった」
これでは、どんな秀作でも落選間違いなしですね。
しかし、母体となる雑誌を見て、その雑誌のカラー、他誌との違いを見分けるには、それなりの小説経験と知識が必要ではないでしょうか。
極端な例を出せば、小学生が文芸誌を見比べたところで、たぶんほとんど区別がつかないでしょう。同様に、「小説○○」誌購読10年という人だって、ぶっちゃけ、分からない人には分かりません。
逆に、洞察力、分析眼のある人は、どんな作品が求められているか、どんな作品が受賞するか、一瞬で見極めます。
ある人気作家は言っています。
「すべての文芸誌を買って読んでいる人なんていないよね。買わなくても情報は得られるんだから。それに良い小説を書けばどの文学賞だって受賞できるんだから、違いを知る必要もないよね」
確かにそれは一理あります。
しかし、まあ、どんな雑誌かぐらいは、一応知っておいてください。

 

※本記事は「公募ガイド2013年9月号」の記事を再掲載したものです。