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6.6更新 VOL.26 すばる文学賞、ほか 文芸公募百年史

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VOL.26 すばる文学賞、ほか 


今回は、昭和50年代初頭に創設された文学賞ーー幻影城新人賞、奇想天外SF新人賞、すばる文学賞、問題小説新人賞、歴史文学賞、競輪文学新人賞、神戸文学賞の7賞を紹介する。
今も継続している文学賞から、短い期間に多くの有為な新人を発掘し伝説となった新人賞まで、バラエティーに富んだ賞を取り上げる。そんな賞もあったんだねという感じだ。

探偵小説雑誌「幻影城」が新人賞を創設

昭和50年(1975年)、幻影城新人賞が創設される。母体となっている雑誌「幻影城」は探偵小説の雑誌だ。同誌がミステリー界に及ぼした影響は計り知れないが、その割にその名が知られていないのは、発行されていた期間が昭和49年から昭和54年までとわずか5年しかないからだろう。

新人賞は創刊の翌年に創設されている。第1回の規定枚数は100枚以内、賞金10万円、選考委員は権田萬治、中島河太郎、横溝正史、中井英夫、都筑道夫。応募数は小説部門が321編、評論部門は42編だった。
幻影城新人賞は第5回の募集の途中で雑誌が休刊となり、第5回は受賞者の発表に至らなかったため、開催したのは実質4回しかない。にもかかわらず、その中にはのちに有名となる作家が何人もいる。主だったところを挙げてみよう。

第1回小説部門佳作 泡坂妻夫「DL2号機事件」
第2回評論部門佳作 栗本薫「都筑道夫の生活と推理」
第3回小説部門入選 李家豊(田中芳樹)「緑の草原に……」
          連城三紀彦「変調二人羽織」


これより大規模な小説賞が多々ある中、4回開催で4人の人気作家を発掘したのは大収穫と言える。評論部門は全4回を通じ、入選作を1回も出せなかったが、栗本薫を見出したのでそれでもうチャラという感じ。小説部門からはライトノベルのパイオニアで『銀河英雄伝説』の田中芳樹や、連城三紀彦、泡坂妻夫といった人気作家を輩出している。連城三紀彦と泡坂妻夫はのちの直木賞作家だ。

「幻影城」の編集方針は、戦前の探偵小説を中心とする忘れられた名作の再評価、および新人の発掘であり、日本のミステリーに与えた功績は大きい。探偵小説雑誌は戦前の「新青年」や昭和20年代の「宝石」があったが、昭和50年の時点ではどちらもなく、ミステリーファンとしては待望の雑誌だったはずなので、もっと続いてもおかしくなかったと思うが、商売上手ではなかったのか、他誌に押されたのか、いずれにしても残念なことだ。

SF雑誌「奇想天外」の新人賞

昭和52年(1977年)には、奇想天外SF新人賞が創設され、第3回まで開催されている。募集したのは広義のSF小説で、規定枚数は60~90枚、賞金50万円、選考委員は星新一、小松左京、筒井康隆の3氏。いや、ちょっとよだれが出そうな面々だ。
応募総数は1268編(第1回)もあったが、結果は厳しく、3回とも該当作なし。SF作家ビッグ3のお眼鏡にかなう作品はなかったようだ。
しかし、惜しくも選に漏れた人の中に、のちに著名となった人もいる。

第1回佳作 新井素子「あたしの中の……」
第2回佳作 谷甲州「137機動旅団」
第3回候補作 斎藤肇「俺達……」


新井素子はこのとき、高校生で、かなりとがった文体だったそうだ。選考委員のうち、星新一には絶賛されたが、小松左京と筒井康隆が異を唱え、それで佳作となった。 とはいえ、小説の世界では話題となり、「SF界のプリンセス」と呼ばれ、その後はSFだけにとどまらず、ご存じのようにコバルト作家として一時代を築く。

SF雑誌の老舗は早川書房の「S-Fマガジン」だが、「奇想天外」はこれに次ぐ第2のSF雑誌というポジションだった。といっても「S-Fマガジン」が横綱なら「奇想天外」は関脇ぐらいか。新人賞に関しても早川書房は昭和36年にハヤカワ・S-Fコンテストを創設し、奇想天外新人賞ができたときも実施されている(現在の表記はハヤカワSFコンテスト)。

「奇想天外」は筒井康隆がやっていた同人誌「ネオ・ヌル」に掲載された作品の中から優れた作品を再掲する「ネオ・ヌル傑作選」という企画をやっていた。その中に夢枕獏「カエルの死」があり、氏の雑誌デビュー作となる。また、夢枕獏はSF翻訳家の柴野拓美の同人誌「宇宙塵」にも『巨人伝』という中編を投稿しており、この作品はのちに柴野匠美の紹介で「奇想天外」に掲載される。

今、同人誌に載った作品が商業誌に載るのは考えにくいが、当時は同人誌も相当の力を持っていた。新潮社には同人雑誌賞(昭和29年~42年)という同人誌掲載作品を対象にした文学賞があり、文藝春秋の「文學界」には「同人雑誌評」という同人誌掲載作品を評価するコーナーがあった。石原慎太郎の「灰色の教室」を発掘したこのコーナーは現在はどうなっているかというと、「文學界」ではやっていないが、「三田文學」が引き継いで現在も募集を継続している。

純文学の王道、すばる文学賞創設

奇想天外SF新人賞と同年の昭和52年、すばる文学賞が創設される。雑誌「すばる」は昭和45年(1970年)創刊で、創刊7年目にして文学賞をもったわけだ。集英社は昭和の頃までは漫画の版元という印象が強かったが、文芸誌を持ち、新人賞を創設したことで有為な新人を発掘、育成し、今や押しも押されもせぬ文芸出版社となった。

第1回の規定枚数は50~150枚、賞金は50万円、選考委員は秋山駿、井上光晴、黒井千次、田久保英夫、三浦哲郎の5氏。応募総数は1017編だった。第1回は該当作なしで、第2回のときに森瑤子を発掘して以降、やや低調だったが、その後、有意な新人をばんばん発掘する。以下、主だった受賞者を挙げると……。

第2回  森瑤子「情事」
第7回  佐藤正午「永遠の1/2」
第8回  原田宗典「おまえと暮らせない」(佳作)
第9回  藤原伊織「ダックスフントのワープ」
第11回 松本侑子「巨食症の明けない夜明け」
第13回 辻仁成「ピアニシモ」


第14回のときはトレンディー俳優だった大鶴義丹が「スプラッシュ」で受賞した。タレントが受賞するといろいろ言われるもので、このときも「タレントだから受賞できたのでは?」と言う人もいた。ある出来事がなぜ起きたか納得できないとき、人は出来事と出来事を勝手に因果関係で結んで独り合点する。大鶴義丹は結果的には作家として大成しなかったが、物事を因果関係で安易に考える人は「大鶴義丹は劇作家の唐十郎の息子」とあとで聞いて納得した。こちらも因果関係というほどの根拠はないのだが。

第16回のときに「惑う朝」で佳作に入った瀧口明は、のちの白石一文で、氏は当時、文藝春秋者の編集者だった。それが他社の文学賞に入ってしまったということで、上司に呼び出されて意向を聞かれたという。文藝春秋の編集者には小説を書いてはならないという不文律があったそうで、「作家になるなら退職しろ。残るなら小説は書くな。どうする?」と確認されたそうだ。そんな不文律があるとは。

問題小説新人賞、歴史文学賞、競輪文学新人賞、神戸文学賞

昭和50年代初頭に創設された大きな文学賞はこれまでに紹介した3賞になるが、ほかにも様々な小説賞が生まれている。それらを駆け足で見ていくとしよう。
古い順に行くと、まずは昭和50年創設の問題小説新人賞。「問題小説」は徳間書店の文芸誌で、規定枚数80枚、賞金30万円、選考委員は宇能鴻一郎、菊村到、陳舜臣、筒井康隆、問題小説編集長の5氏。第10回をもって終了している。ちなみに「問題小説」は現在は後身の「読楽」に引き継がれている。

昭和51年には歴史文学賞が創設されている。主催は雑誌「歴史読本」を発行していた新人物往来社だ。規定枚数は50枚~100枚、賞金30万円、選考委員は尾崎秀樹、杉浦明平、中野好夫、南條範夫、新田次郎。平成19年(2007年)まで31回実施された。
歴代受賞者の中には、以下のような受賞者がいる。

第12回佳作 宮部みゆき「かまいたち」
第27回 植松三十里が「桑港(サンフランシスコ)にて」
第28回 岩井三四二「村を助くは誰ぞ」
第29回 葉室麟「乾山晩愁」


第27回(2002年)~第29回(2004年)はとんでもない大収穫だが、これで第31回で終了してしまったのはいかにも惜しい。歴史小説の公募は絶滅危惧種なのでなんとか頑張ってほしかったが、会社がなくなってしまったのでは致し方ない。

昭和52年には、競輪文学新人賞が創設されている。日本競輪選手会が㏚活動の一環として創設したもので、競輪に関するものであれば私小説、推理小説、SFなど不問という募集内容だった。昭和50年代はバリバリの文学賞だけでなく、広報宣伝的な文学賞も生まれている。

同年、神戸文学賞が創設されている。名前からすると自治体文学っぽいが、ちょっと違い、主催は「月刊神戸っ子」だ。応募資格は西日本在住者で、神戸女流文学賞とともに創設された。

一つ余談。「月刊神戸っ子」はほかにもよく公募を主催していたが、あるとき、公募ガイド社に電話がかかってきた。公募ガイドに掲載したい旨、連絡していたので、その返事だったわけだが、そのとき、電話に出た新人編集者が、「お電話です」と言う。 「どこから電話?」と聞くと、「それが、私には『月刊公募ガイド』と聞こえたのですが」と。
そんなバカな、月刊公募ガイドが月刊公募ガイドに電話するわけあるかーいとなった。
編集部の面々は興味津々で見守り、電話が終わったあと、「どこから電話だったんですか」と聞いてきた。お察しのように相手は「月刊神戸っ子」だったのだが、そう言うと編集部中が爆笑の渦に包まれ、しばし仕事にならなかった。昭和の終わり頃の話だ。

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