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才能はいかにして開花するか1:才能は生まれつきのものなのか

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先天的か、後天的か

才能を先天的なものだと考える人は、無駄な努力はやめて、努力すべき道を見つけようという考えになるでしょう。
一方、才能は後天的な努力によって磨かれるものと考える人は、好きな道で精進し続けようと考えるでしょう。
あなたはどちらだと考えますか。
「栴檀は双葉より芳し」と言いますが、すべての技術を持って生まれてくるわけではありません。イチロー選手だって、なんの努力もしないで打席に立てば凡打の山でしょう。
では、イチロー選手はどんな努力をしていたでしょうか。小学校6年生のときの作文を見てみることにしましょう(一部加筆して紹介します)。

僕は3歳のときから練習を始めています。3歳から7歳までは(年に)半年くらい(練習を)していましたが、3年生のときから今までは、365日中360日は激しい練習をやっています。

 


イチロー少年は連日バッティングセンターに通い、結果、「一週間中で友達と遊べる時間は5~6時間」だったそうです。イチロー選手の桁はずれの動体視力はこの時期に培われたものでしょう。
では、これと同じ努力を凡人がしたらどうなるかと考えてしまいますが、残念ながら、凡人はこの努力というものができません。エルバート・ハバードという教育者は「天才は、ただ、努力の継続をできる人のことをいう」と言っていますが、逆に言えば努力できるならその人は天才です。
しかし、実のところ、才能がないから開花しないのか、才能はあったけれど、発芽の条件(熱意や環境、先生など)に恵まれなかったのかは、はっきりしないところがあります。

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才能ある者の不幸

才能を持って生まれてきたことがあだとなることもあります。たとえば、おだてられ、ちやほやされ、傲慢になってつぶれてしまうとか、何をしても筋がいいのですぐに上達するものの、それだけに目移りして自分の道が選べないとか。
図2は、ごく一般の人が習得できる技術と時間の関係をグラフにしたものです。
何かを始めた当初は習得する技術が基礎的なことばかりなので、誰もが短期間にぐんぐん上達し、才能のある人(筋のいい人)はさらにこの勾配が急です。しかし、いずれは、努力しても努力してもほとんど上達しなくなり、ややもすると、努力しているのに下手になったりします。ここが一番つらい時期です。
才能のある人は、なまじ早く上達してしまうだけに、日に日に上達するもっとも楽しい時期が短く、人よりも早くつらい時期に突入してしまいます。これが才能ある人の不幸と言えば不幸でしょう。
ただし、努力を続けていると、どこかのタイミングで自信をつけたり、コツをつかんだりして、また急激に上達します。
「化ける」というのがそうで、これは環境や心境の変化、師との出会いによってもたらされたりしますが、その前に、伸びあぐねるつらい時期を乗り越えなければ「化ける」は訪れません。

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遅咲き作家列伝:早咲きと遅咲き

川端康成、大江健三郎、三島由紀夫、村上龍、三田誠広、石原慎太郎、田中康夫、よしもとばなな、綿矢りさ、金原ひとみ……共通することはなんでしょうか。
若くしてデビューした作家? そう、当たりです。しかも、十代や在学中に新人賞を受賞、または、先達に認められてデビューしたような作家ばかりです。
このように作家には十代の頃に文学に目覚め、ほどなくデビュー、社会人生活を経ずに作家生活に入る早熟の天才たちがいます。
そうした人たちも努力はしたでしょうけれど、彼らは自分の中のどこかに鉱脈がないかと掘りまくった果てに才能を発掘したわけではなく、生まれたときから才能がむき出しになっていたような人でしょう。
なんというか、小説を書くことを誰かに教わったわけでもなく、呼吸をするようにごく自然に読み始め、そして、書き始めた人たち。
たとえば、よしもとばななは父親が吉本隆明ですから書く環境にもあったと思いますが、小学生のときにすでに作家志望で、大学は日大の芸術学部文芸科。そして、卒論で『ムーンライト・シャドウ』を書き、同時期に書いた『キッチン』でデビュー。小説を書くために生まれてきたような人生ですね。
ただ、十代でデビューするような作家は、純文学系の作家がほとんどです。この年齢の作家の強みは感性で、それまでの既存の小説にはない何かでぐいぐい押してくる。逆に言えば、老若男女を書き分けるようなエンターテインメント小説は書けないとも言えます。

92歳で才能が開花

こうした早咲きの作家がいる一方、なかなか芽がでない、または、作家になろうという気持ち自体ないまま年齢を重ね、五十代、六十代以降になって急に転機が訪れるような人もいます。
遅咲きの作家の筆頭は、2012年に『abさんご』で早稲田文学新人賞を受賞し、翌年、史上最年長の75歳で芥川賞を受賞した黒田夏子。氏は高校教師、校正者などをしながらずっと創作を続け、70代で急に芽が出ました。
芥川賞でいうと、2位には、それまでの最高齢、森敦がいます。森敦は若いときに横光利一に師事、印刷会社に勤務しながら執筆し、61歳のときに『月山』で芥川賞を受賞しています。
右記両名はともに純文学に分類される作家ですが、高齢と言っていい年齢で受賞しています。一般に高齢者には純文学は書けないと言われますが、これには例外があり、若いときに純文学志向で、その後も書き続けてきた人の場合は年齢は関係ないようです。
ほか、70代でデビューした人を探すと、メジャーな文学賞受賞歴はありませんが、75歳のとき、『信長の棺』でデビューした加藤廣がいます。
デビューは70代ではありませんが、70代になってからブレイクした方なら、漫画家のやなせたかしがいます。
60代はと言うと、69歳のときに『四十七人の刺客』で新田次郎文学賞を受賞する池宮彰一郎と、還暦を過ぎてから小説を書き始め、『影武者徳川家康』などの作品を残して急逝した隆慶一郎がいます。
二人とももとは脚本家として活躍し、その後、時代小説でデビューしています。
ほか、遅咲きの作家を探すと、銀行員、書店員を経て50代でデビューし、63歳で直木賞を受賞した赤瀬川隼や、古書店を営みながら創作を続け、50歳を目前に直木賞を受賞した出久根達郎がいます。
浅田次郎は自衛隊、会社社長などを経て作家になっているため遅咲きの印象がありましたが、作家デビューは意外と早く40歳前後でした。
小説家ではありませんが、遅咲きと言えば、モーゼスおばあちゃんことアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスがいます。
これまでに紹介した方々は若いときから小説を書いていたり、前職が著述業に近かったりしていますが、モーゼスおばあちゃんが本格的に絵筆を執ったのは75歳の頃、リウマチのリハビリを兼ねて油絵を始めたそうです。その後、101歳まで描き続け、アメリカを代表する国民画家になりました。
同様の例は日本にもあります。
92歳で詩を書き始め、昨年、101歳で亡くなった柴田トヨさんがそうです。
こうした遅咲きの方々がどんな努力をしてきたかは余人には分かりかねるところがありますが、そのことが好きで、やりたいという気持ちがなかったから芽も出なかったでしょう。やはり決め手は、才能の有無より好きかどうかですね。

 

※本記事は「公募ガイド2014年4月号」の記事を再掲載したものです。