才能はいかにして開花するか3:「小説家になる」から「小説家をする」へ(薄井ゆうじ先生インタビュー)


書くことが好きかどうか
――才能の正体と言いますか、才能はもともとあるものなのでしょうか、それとも後天的に生まれるものなのでしょうか。
ないともあるとも言えますが、才能はあるなしではなく、磨かれるものだと思うんですよ。基本能力は全員が同じだとは思わないんですが、磨けば伸びていくものだと思うんです。
――才能というものがあるとして、それを調べる方法はありますか。
自分には才能があるだろうか、という質問に、私はいつもこう答えます。「作家になりたいというのなら、毎日書いてますか、毎日本を読んでますか、三ヶ月も小説を書かなかったらいらいらして、書きたくてたまらなくなりますか」と。
大好きであるということ、それが才能があるということなんだと思います。
書いていて楽しいですか? 読んでいて楽しいですか? もちろん苦しいときもありますが、その苦しさの中に楽しさはありますか? それだけモニターしておけば、才能があるかどうかは関係なくて、自分はこれが好きなんだ、あとは磨けばいいんだと気づくと思うんです。
――年齢による差はあると思いますか。
あるでしょうけど、私は人間ってすごい能力を持っていると思うんです。好きだったらどっぷり首まで浸かっちゃえばいいと思うんです。そうすれば年齢に関係なく分かってくることってあると思うんです。片手間にやろうとか、時間があったら書こうではなく、たとえば、一ヶ月間、食べることと寝ること以外はすべて書くことに費やす。書くことが好きで好きでしょうがない人なら、やり通せると思うんです。
――人の頭の中には、物語を作る機械というか、たとえて言うとジューサーミキサーのようなものがあって、ニンジンとかトマトとか素材を入れるとジュースという作品ができる。しかし、頭の中に物語製造機がない人は、ニンジンを入れるとそのまんま出てきてしまうみたいな。
私はワープロソフトは一太郎を使っていますが、一太郎8が出たとき、将来、一太郎800ぐらいまでバージョンアップしたら、題名と人物名を入れれば一時間もすると説ができあがるよって冗談を言ったのですが、でも作家はそれをやっているんです。
その機械はものすごく精密だと思うんです。時計の歯車のようなものが膨大にあって、小さな歯車一つ動かなかったらだめで、単語の一つひとつ、会話の一つひとつが全体を動かしている。小説にはそういう精密さが必要です。
――その機械は誰でも持っている?
たぶん持っていると思うんですよね。ただ、使っていない。使っていない能力っていっぱいあると思うんです。
できないのは、能力を使ってなかったからだと思うんですね。つまり、訓練をすればできるんじゃないか。六十歳から始めても訓練さえすればなんとかなるような気がするんですね。
よく自転車は一度乗り方を覚えたら一生忘れないと言いますが、さっき出てきたミキサーというのはそれと同じだと思います。今まで一度も自転車に乗ったことがない人が六十になって自転車に乗ろうとしたら、それは時間がかかると思います。同じように今まで小説を読んだことがない人が六十になって小説を書こうとしたらかなり難しいと思いますが、小説なら暇をみていつも読んでいましたよという方なら大丈夫だと思います。
最初は動きが悪くても、動き出せばこっちのもの。最初の二、三作はどうせ錆みたいなものだからそれは捨てていい。
でも、このあといいものが生まれてくるからがっかりしないで、いいものができるようになったらどんどん書けばいい。
作家は一人一業種
――小説を読んだことがない人は、普通は作家になりたいとは思わないものだと思うのですが。
ところが不思議なことにそういう方がいらっしゃって、作家というものになってみたい、なぜかと言うと、まわりを見返してやりたいと。
――いい作品を読んで感動したから、という動機もよく聞きます。
小説家と他のモノを作る仕事との違いは、人と同じものを作ってはいけないということです。感銘を受けたからといって、同じものは書けない。そうすると、そこに個性とか、自分ならこう書くが出てくる。人が殺されて犯人が捕まる話ならごまんとあるし、男女が知り合って別れる話もごまんとある。でも、私ならこう書く。その一点が他人との差別化というか、自分が作家として椅子に座れるということだと思うんです。
――他の誰でもない作家になるにはどうしたらいいですか。
ジャンルなんて言い方があるけれど、私は作家は一人一業種だと思っています。
私は薄井ゆうじというお店、他の方はその方の名前のお店、作家の数だけお店があって、全部業種が違うと思っているんです。それをジャンルという言葉でくくろうとするけれど、どんなに細分化してジャンル分けしても、どこにもたどり着けない、空き地なんて見つからない、つまり、自分の座るべき場所なんてどこにもないように見える。そういう場所には必ず誰かが座っている。だったら、空き地なんて見つける作業はやめましょうよというのが私の提案なんです。そんなことをして分析していくよりは、私だったらこう書く、私はこの書き方しかしたくないんだというところまでたどり着いて、それを世に問う。
よく椅子取りゲームという言い方をしますが、じゃあ空いている椅子なんてあるのかというと、ない。もう音楽は鳴り終わっているみたいな世界だと思うんですよ。だから、空いている椅子を探そうなんて思わずに、自分で音楽を鳴らし、自分で座るというそういうやり方もあるんじゃないかと。
作家になる、作家をする
――いいものが必ずしも売れるとは限らず、作家も職業として捉えると厳しいですね。
売れる小説はいい小説と言った人がいましたが、それは間違いだと思うんです。
書き手の側からはそういう言葉は出てこない。自分の思うことをやって、それに付随して売れるということがあればそれでもいいですが、売れないからといって自分のやり方を曲げていくのも変な話だと思うんですよね。
――作家志望者が多いということはそれだけ小説家の社会的地位が高いということで、そういう地位につきたいというのも志望動機の一つでしょうね。
小説を書こうとする動機はなんでもいいんです。最初の動機は、お金が欲しいでも、異性にもてたいでも、有名になりたいでも、一生に一冊本を残したいでもなんでもいい。動機なんて不純なほうがいいってぐらいで、あまり純粋でもモチベーションが下がりますから。ところが、書いていくうちに動機なんて忘れるぐらいに書くという作業がおもしろくなってくる。そうなったらしめたものです。もちろん、苦しいですよ。寝不足だったり、疲れていたり、次の一行が書けなかったり、そんな苦しさも含めて、書くのがおもしろいと思える人、それが才能ある人だと思うんです。
――以前、薄井先生から「作家になるには作家と付き合うのが一番いい」とお聞きした記憶がありますが、それはどのような意味だったでしょうか。
作家と付き合えば、作家も同じ人間だ、特別な人間ではないと分かります。普通の人間が書いているということが分かれば、「俺にも書けるな」と思えます。
――夢を忘れてしまいそうなとき、仲間や作家の方との付き合いがあると、小説の世界に自分を戻してもらえます。
小説の仲間だけでなく、役者さん、映画関係者、踊りを踊っている人とか、そういう人と付き合っていると楽しいし、いろんなものが得られます。小説だけをやっていると痩せ細ってしまいます。
――書きたい人が多い一方で、需給関係を考えると、すべての人が作家になれるわけではないという現実があります。
これからは「作家になる」というのではなく、「作家をする」、つまり、日曜日だけ一坪菜園みたいなのをやっている人がいるじゃないですか、それと同じで、日曜作家とかね。「日曜は何してるの?」
「休日は作家をしてるんだよ」と。そうすれば気楽ですよね。「趣味は作家です」いいじゃないですか。作家は誰かにならせてもらうものでもないし、賞を獲ったら作家になれるわけでもない。しかし、自分が作家ですと言った瞬間に作家です。だったら、「俺は一生作家をするのだ、仕事をしながら作家をしているのだ」と思えばすごく気が楽ですよね。
小説家の社会的地位
短歌の近藤芳美先生は、戦中中国戦線にいて捕虜となったとき、敵兵に職業を聞かれ、「建築家で歌人」と英語で言おうとして「architect」はすぐに思い浮かんだものの、歌人の訳語が分からず、仕方なく「poet」と答えたそうです。
すると敵兵の態度が変わり、待遇がよくなったそうです。西洋では建築家と詩人は社会的地位が高く、とても尊敬される。日本では小説家の地位が高いけれど、あのとき、「novelist」と答えたら待遇は変わっていなかったかもしれないと先生は言っていました。
しかし、日本でも江戸の戯作作家の地位はさほど高くなかったでしょう。
内容も通俗的なものですから、人々は楽しみはしても作家を尊敬するまでには至っていないと思われます。
明治になると、そうした娯楽小説とは別に近代文学が生まれますが、そこで書かれたものは、翻訳ものや思想的なもの、あるいは自然主義文学で、そうしたものを書く人は偉い作家先生と思われていました。
さらに大正期になると小説家は経済力もつけ、文士の偽物事件まで起こっています。文士(小説家)と言えば、偉くて稼いでいるという印象は、この頃にはすでにあったようです。
なりたいものとなれるもの
クラスに男子が十人いれば、その八人から九人が野球少年という時代がありましたが、その中には、別の種目、たとえば陸上競技や格闘技をやったら一流になれそうな子もいました。
実際、長じるに従って野球の才能はないと分かり、別の競技を始めて才能を開花させる子もいました。
しかし、他の競技なら一流になれたのに、野球のほうがスターになれる、
プロの道があるといった理由で野球を選び、結果、二流にもなれないで終わる子もいたように思います。
文芸では、この野球にあたるものが小説です。
島崎藤村は詩人として出発しますが、明治39年に『破戒』を出版し、小説家に転身します。小説家になったのは詩では食えなかったからというより、時代の趨勢が詩から散文へと流れていたからでしょう。
同様に石川啄木も、文学的運命を試験するため妻子を残して上京、小説家への転身を図り、『雲は天才である』等々の小説を書きます。しかし、評価はされず、女を買ったりしながら無為な生活を余儀なくします。
啄木は溢れ出る思いを即興で言葉にするのは得意でも、物語を構築するのは苦手だったのかもしれません。
小説家は食える職業か
坪内逍遥「文学と糊口」にこうある。
〈文学を一種の新職業と思惟し、名誉、金銭、地位を得るに最軽便なる者と思えるもあらん。(中略)是れ一大謬見なり、(中略)文化、文政の頃にても、最初より著作家にして、優かに生計を立てし者は、殆ど絶無なり。(中略)一ケ月の下宿料も、之を得ること容易ならず、(中略)勢い俗受けを主とせざるを得ず。〉
文学では一ヶ月の家賃も払えない。
それでも書こうとすれば俗受けするようなものになると警告しています。
小説家が儲かると思われるようになるのは大正になってからで、きっかけは江馬修の『受難者』。この爆発的なヒットに新潮社を起こした佐藤義亮は、
〈天下の青年に、異常の刺戟を与え、長篇一つ当れば、『文学的成功』、もっと下品な言葉で言えば『文学的成金』になれるといった気持ちを起さしたことは否めない。〉と書いています。
夢の印税生活という思いは今もあると思いますが、現実には〈方今文学を一種の営業として成り立たしめんとせば、新聞紙、雑誌の記者たるにますものなかるべし〉(坪内逍遥「文学と報酬」)で、一部の作家を除き、専業ではやっていけないのは今も同じですね。
参考文献 山本芳明著『カネと文学』
薄井ゆうじ(うすい・ゆうじ)
1949 年、茨城県生まれ。1988 年に『残像少年』で第51回小説現代新人賞を受賞。1994 年、『樹の上の草魚』で第15 回吉川英治文学新人賞受賞。著書は『彼方へ』『イエティの伝言』『台風娘』『狩人たち』『青の時間』『天使猫のいる部屋』『くじらの降る森』など多数。
※本記事は「公募ガイド2014年4月号」の記事を再掲載したものです。