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第35回「小説でもどうぞ」佳作  美の名人 雪宮鷺

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小説・シナリオ
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小説でもどうぞ
第35回結果発表
課 題

名人

※応募数234編
美の名人 
雪宮鷺

 一人の平凡な女がいた。器量も何もかもが平均的で、一見すれば、取るに足りない大衆の一人。しかし、女には一つだけ、人と違うところがあった。女は、鏡を買ってきては粉々に割るということを、人知れず繰り返していた。
 ある日、女のもとに、一人の男がたずねてきた。
「お嬢さん、あなたは常日頃から、鏡を割っていますね」
 いきなりの問いに、女は驚いた。
「あら、どうしてそれをご存知なの」
「実は、私は悪魔でしてね」
「なんですって」
「驚くのも、ごもっともです。しかし、事実、そうなのでございます」
「そんな簡単に、信じられないわ」
「それでは、あなたが鏡を割る理由を当ててみせましょう。あなたは、醜形恐怖症を患っている。それで、ご自身の醜い姿を映す鏡が、どうしても許せない」
 女は再度驚き、観念したように言った。
「恐れ入ったわ。確かに、あなたは悪魔のようね。誰にも話したことのない、病気のことを知っているんだもの」
「信じていただけたようで、何よりです。それにしても、大変な病気をお持ちですな」
 悪魔の能天気な口調に、女はいらだった。
「それで、悪魔が私に何の用なの。まさかそれだけ言いに来た、ってことはないでしょう」
 悪魔は、その言葉を待ってました、と言わんばかりに、目を輝かせた。
「実はですね、私は悪魔の中でも、美に関して、なかなかの力を持っているんです。きょうは、あなたを美しくして差し上げようと思って、ここへ来た次第なのです」
 悪魔の言葉に、女の目つきが変わった。
「それは、本当なの」
「ええ、本当でございます」
「でも、それには何か、大きな代償を払わなくちゃならないんじゃないの。私の、魂とか」
 その言葉に、悪魔は微笑んだ。
「いいえ、代償などいりませんよ。あなたからは、何もいただきません。無償で、やってさしあげます」
「そんなうまい話、あるわけないわ。騙そうったって、そうはいかないわよ」
「私は、嘘をつかない悪魔ですから」 <
br>「面白い冗談ね。悪魔なんて、嘘をついてなんぼでしょう」
「信じないのなら、それはそれで結構ですよ」
 悪魔の、意外にそっけない言葉に、女は少し焦った。
「じゃあ、私から代償を取らない理由を教えてよ」
 悪魔は、やれやれと言った様子で答える。
「実を言いますとね、最近、大量の魂を一度にいただけたのですよ。だから、あなたからはいらない、といったのです」
「ああ、そういうことなの。まあ、それなら、納得はいくわね」
「そうでしょう。こんな機会、もう二度とありませんよ。また、あの苦しい整形手術を受けたいのですか。私の力なら、お金もかからないし、痛みなく、確実になりたい姿にしてあげられますよ」
 女の胸がどくん、と鳴った。確かに、これまで幾度も整形手術を受けたが、お金を払って痛い思いをしても、一向に理想には近づけなかった。最大限よく表現しても、せいぜいマイナスがゼロになった程度。もう、あんな思いはしたくない。
 女は決意した。
「わかったわ。あなたにお願いするわ」
「そう来なくては。それでは、少しのあいだ、目をつむっていてください」
 女は言われたとおりにした。そして、悪魔の合図で恐る恐る目を開いたあと、差し出された鏡を見て、驚愕した。
 そこには、絶世の美女が映っていた。白玉の肌に、ルビーの瞳。筋の通った形のよい鼻と、蕾のように愛らしい桃色の唇。それらが完璧な位置に置かれ、美の相乗効果を生み出していた。誰が見ても、はっとするような、華やかな顔。それが、すらりとした美しい体に、控えめに乗っている。
「ご満足いただけましたかな」
 悪魔の問いかけに、女は勢いよく答えた。
「ええ、最高よ」
「では、美しく生まれ変わったお祝いに、私から、鏡をプレゼントいたしましょう」
「あら、こんなにたくさんくださるの」
「ええ。あなたはこれまで、たくさんの鏡を割ってしまったようですし、その分だけ、差し上げますよ。失ったものを、取り戻せるように」
「ああ、あなたは何てやさしい悪魔なの。いえ、私にとっては悪魔なんかじゃないわ。美の名人よ。どんな執刀医にも表現できない、私の究極の理想を叶えてくれたんだもの」
 涙を流しながら感謝を述べる女に、悪魔はにこりと笑い、こう言った。
「いいえ、私は悪魔ですよ。それ以外の、何者でもありません」

 悪魔が帰ったあと、女はたくさんの鏡を部屋に並べ、悦に浸った。どの鏡を見ても、そこには、完璧な美女が映っている。私は、生まれかわったのだ。これからは、薔薇色の人生だけが、私を待っている。 
 女は気分が高揚し、うっとりとしながら、鏡に語りかけた。
「鏡さん、きれいな私を映してくれて、ありがとう」
 その瞬間、部屋中の鏡が一斉に割れた。そして、飛び散ったたくさんの破片が、まるで意志を持ったかのように、勢いよく彼女めがけて襲いかかった
(了)