第10回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 最期の馬券 翔辺朝陽
第10回結果発表
課 題
さだめ
※応募数276編
最期の馬券
翔辺朝陽
翔辺朝陽
私にはどうしても捨てられないはずれ馬券がある。この馬券は私が買ったものではあるが、私の馬券ではない。ヒデさんから頼まれて買ったものだ。
ヒデさんは石油プラントなどで使用する大型バルブの組み立て職人だった。その年に営業で配属された私は、ヒデさんに手配ミスをカバーしてもらったりして頭が上がらなかった。定年間近で腕のいいヒデさんは工場の人気者で、周りにはいつも人が集まっていた。
ある日、大きな手配ミスをして工場へ謝りに行ったときに、落ち込んでいる私を見てヒデさんが声をかけてくれた。
「あんた、日曜は暇か?」
突然の問いかけに戸惑っていると、「どうせ暇だろ? 気分転換に俺に付き合わんか?」と言って私を競馬場へ誘ってくれた。
ヒデさんの流儀は少し変わっていた。一日中パドックに腰を下ろし、じっと馬を観察している。馬券は単勝一点買い。本命は絶対に買わない。そして何より驚いたのはレースを一切見ないのだ。
理由を訊くと、「無事に走ってくれればそれでいいんだ。それに俺はここを離れたくないんだ。あんたと一緒だとずっとここにいれるから好都合だ」とだけ言って笑った。
本命を買わない理由も訊いてみると、「だってかわいそうじゃないか」と言った。
意味が分からずポカンとしていると、「少しでも気楽に走ってほしい。本命の馬券は他に頼るものがない人が買うものだ。あんたのような若者が買ってはいけない」と怒られた。
「ヒデさんは本命を一回も買ったことがないんですか?」と訊くと、しばらく黙った後で「一回だけある。二十年前だけどな」とポツリと言った。どんなときだったのか訊くと「もういいじゃないか」とかわされてしまった。
ヒデさんが本命を買わないのは、単にオッズが低くて馬券の旨味がないからといった俗な理由ではないことだけは明らかだった。
こうして特に約束していなくても毎週日曜日にパドックの定位置で落ち合うようになった。私もヒデさんと過ごす日曜がすっかり定番になっていた。
夏になり競馬が地方に行くと毎週日曜の競馬場通いはしばらく小休止となった。私も少しずつ仕事が忙しくなり、いつの間にかヒデさんと疎遠になっていたが、秋になってまたヒデさんと競馬場で会えるのが楽しみだった。
秋になって競馬が戻ってきた。早速日曜にパドックの定位置に行くとヒデさんの姿がない。翌週も翌々週もヒデさんの姿はなかった。
心配になり工場に電話をかけるとヒデさんは病気で休職中だという。どんな様子か連絡を取りたかったが、電話はおろかヒデさんの個人情報を何一つ知らないことに気付いた。
この秋は無敗の三冠馬が誕生し、史上最強の名馬が競馬を盛り上げていたが、私の胸にはヒデさんがいないという大きな穴が空いていた。
年の瀬が近づいたある日、会社の携帯に非通知の連絡があった。出るとヒデさんだった。
「ヒデさん、大丈夫ですか?」
私が大きな声で尋ねると、
「大丈夫だ。心配かけたな。実は俺は今月で退職することになった。競馬場で会えるといいんだが、少し難しそうだ。すまんが年末の有馬記念の馬券を買ってもらえんだろうか?」
声に少し元気がないように感じた。
ヒデさんに頼まれたのは、史上最強の名馬、無敗の三冠馬の単勝馬券だった。
「本命も本命、大本命ですよ。いいんですか?」
不思議に思って訊くと、「退職記念だよ。許せ」とだけ言った。
私は以前ヒデさんが、本命の馬券は他に頼るものがない人が買うものだと言っていたのを思い出し、胸騒ぎがした。
馬券はネットでも買えるが、ヒデさんは現物派なのでウインズに行って馬券を買い、レースを観戦した。結果、史上最強の名馬、無敗の三冠馬は二着だった。ウインズには呻きのようなざわめきが方々から沸き起こった。
翌日会社でヒデさんの訃報を知った。孤独死だった。私は取るものも取りあえず工場へ駆けつけるとヒデさんの同僚から話を聞いた。
ヒデさんは以前結婚していて子供もいたらしい。その一人息子を二十年前病気で亡くしているとのこと。生きていればちょうど私と同じ年頃らしい。ヒデさんは私に息子さんの影を見ていたのだろうか。一人息子を亡くした後、離婚してずっと独り身だったらしい。
『本命の馬券は他に頼るものがない人が買うものだ』と言ったヒデさんの言葉が頭を離れない。史上最強の名馬、無敗の三冠馬もヒデさんの命は背負いきれなかった。本命馬が負けたのはきっとヒデさんの馬券のせいだ。私は本気でそう思った。
「かわいそうだって言っていたのに」
私は目をはらしながらそっと呟いた。
(了)