第10回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 ベランダにて 吉田孝治
第10回結果発表
課 題
さだめ
※応募数276編
選外佳作
ベランダにて 吉田孝治
ベランダにて 吉田孝治
「白石君は将来、私と結婚する。それがあなたの運命よ」
理沙がそんなことを俺に言ったのは、中学校を卒業する数日前のことだった。
「なんだよ、急に。そんなわけねえじゃん。もし、そうなったら俺は自殺するね」
俺がそう言うと理沙は、ふんと鼻で笑ってそのまま立ち去って行った。俺は理沙の後ろ姿を見ながら、気持ちの悪い奴だなと思ったものだが、その日以降、このことは忘れていた。しかし、俺は今、このときの言葉を鮮明に思い出しているところなのである。
俺は中学を卒業し、普通の高校へ行き、普通の大学に進学し、そして、普通の会社に就職した。理沙は勉強がすごくできたのに、俺と同じ高校、大学に進学し、同じ会社に入社したのだった。その間、何度も俺は恋をしたが、理沙とは一度も付き合うことはなかった。理沙は俺のタイプではなかったのだ。
一方、理沙は俺のことが好きらしい様子を見せていたが、かといって俺にアタックしてくることはなかった。それはいまだになぜだか分からない。しかし、あることがきっかけで急速に接近することになったのである。
それは、俺が入社してから五年目のこと。仕事に慣れてきて油断してしまい、俺は大きなミスをしてしまったのだ。上司が激怒するほどのミスだ。叱られている間、俺は黙って聞いているしかなかった。
ようやく上司の怒りも収まり、自分の机に戻り、さて、どうしたものだろうと悩んでいると、理沙が話しかけてきた。中学三年生のとき以来、初めてである。
「手伝うわよ」
理沙はすぐに仕事の全容を把握し、俺がどうすればいいか適切にアドバイスをしてくれたのだった。
「ありがとう。悪いな」
「お礼なんていらないわ。そんなことよりも、あとはひたすらパソコンで修正していかなければならないわよ。私も手伝うから、頑張りましょう」
仕事は何とかし終えることができた。理沙のおかげだった。俺はただ、理沙の言う通りにしていただけだった。もし、理沙の手助けがなかったら、もっと長い間、残業の日々を送っていたことだろう。本当に理沙は優秀だった。
お礼に食事を奢ったのだが、これがきっかけとなり、何かとプライベートで会うようになった。俺から誘ったことは一度もなかった。情けない話だが、その頃から理沙の言うことに逆らえなくなっていたのだ。
理沙は支配欲が強く、いつの間にか彼女によって俺は支配されていたのである。時折、どうしてこうなってしまったのだろうと考えたものだが、まったく分からなかった。俺のプライドはズタズタになっていた。そして、当然の帰結として、交際することも結婚することも、理沙から望まれると俺は断れず、言うことを聞いてしまったのである。
しかし、理沙が俺のタイプではないということに変わりはなく、むしろ、結婚前よりもひどくなっていて、嫌悪感さえ抱くようになっていた。
そんな状態だから、外に安らぎを求めるのは自然なことだった。俺は浮気をした。当然、それはすぐに発覚した。理沙は勘の鋭い女だった。
「許さない。あなたを殺して、私も死ぬ」
理沙は包丁を手に、俺にそう言い放った。
俺はいつの間にか、ベランダまで追い詰められていた。理沙の表情は、怒りで真っ赤になり、物凄い目で俺を睨みつけていた。
ここで俺はいつかの言葉を思い出したのだ。
「もし、そうなったら俺は自殺するね」
俺は小声で「どうしても、俺を殺すのか」と聞いた。理沙は無言のままだった。きっと、俺を殺すことはあるまい。二度と浮気させないために脅しているだけなのだろう。いつもの手だ。そして、決して離婚に応じることもない。そんな気がする。俺は、絶望的な気分になった。
そのとき、俺は心の中で、
「結婚するさだめ。自殺する運命」
と呟いた。
チラリとベランダの外に目をやった。ここはマンションの五階だ。一瞬のスキをついて、ベランダの手すりに乗った。咄嗟の出来事に、理沙は怒りの表情を忘れ、驚いた表情になった。
「じゃあな」
俺はそう言うと、理沙の悲鳴を聞きながら、
(了)