第10回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 夫婦のさだめ 東妻蛍
第10回結果発表
課 題
さだめ
※応募数276編
選外佳作
夫婦のさだめ 東妻蛍
夫婦のさだめ 東妻蛍
「はい。今日は今週の夕飯の献立ドラフト会議を行っていきたいと思いまーす!」
「ちょっ、なんで今言うの! もう一通り決まってます!」
「えー。まあちょっと付き合ってよ。ね?」
「せめて買い物に行く前に言いなさいよ。さっき一緒に行ったのに」
どうも夫は先ほど大型食料品店で買ってきた食材の事を忘れてしまったようだ。週末に一週間分の食材を一番安いところで購入する。結婚当初からの決め事だったはずなのに。
どれもこれも全部アレのせいだ。呆れながら夫が手に持っているカメラを睨む。副収入にと始めた動画配信業のせいで夫は近頃私との生活を疎かにしている。どうせあの再生回数では彼の小遣い稼ぎにすらならないのに。
私の恨み言にすっかり慣れっこになった彼は最早私の話など聞いていない。次の動画の内容を何にするかに夢中になっているのだ。
動画配信を始めると言っても、彼にはさして誇れるようなスキルなんてなかった。絵が上手いわけでもなく楽器が弾けるわけでもない。一体どうするのかと静観していたのだが、どうやら彼は野球が好きなことに関して特別な自信があるらしくそれを題材にしようと思い立ったらしい。しかし好きなだけで別に上手いわけでもない。どこからそんな自信がわくのやら。
もちろん指導なんてできるわけもないので、夫がやっているのは謎の企画ばかりだ。私の料理の美味しさで打順を組んでみただとか先ほどの献立ドラフト会議だとか。四月に心機一転と始めたものがまさか年の瀬まで続くなんて。しかも別に誰に見てもらえているわけでもないのに。どこにそんな執念があるのやら。それくらいの執着を私にも向けてみてもらいたいものだ。
「そうだ。なあ、このマイク買ってもいい?」
「……一応聞くけど、何に使うの」
「年末に生放送しようと思っててさあ。いいのが欲しくて」
「動画用なら動画で稼いだお金から出せばいいじゃない。それなら自由にどうぞ」
「そんなこと言うなよぉ。動画で稼いだ金も夫婦の収入なんだから、な?」
夫婦の収入といえば聞こえはいい。しかし私は動画の収入の明細なんて見たことがない。本当に稼げているのかも分からない。まあ彼の言い方からするとマイク代も賄えないようだが。
「これが当たれば視聴者も増える。そしたらそれから返すからさ。な?」
そんな夢物語のようなことをよくも真剣に語れるものだ。深くため息を吐いた私を見て夫がどう思ったのかは分からない。だが彼は私が何か言うよりも早くマイクを通販サイトで購入してしまったのだった。
動画が当たればなんて言っているけれど、一体何の生放送をするのか。彼の作業スペースに散らかしてある企画書とも言えないお粗末なメモを見る限り碌なものではなさそうだ。野球動画という割に野球の知識は使おうとしない。一体どこ向けの動画なのか。
一体彼の自信はどこから湧いてくるんだろう。まあ、そんなところが好きになったんだけれど。惚れたが負けとはよく言ったものだ。
しかし好き勝手させてばかりもいられない。収入が見込めない以上、必要だからとか言って支出ばかり増えさせている余裕はない。だが彼が楽しんでやっている以上応援もしてやりたい。さて、どうしたことやら。
悩みながらごみを捨てに外へ出る。ふと、まとめた新聞の見出しに目を奪われた。ああ、もうこんな季節か。昔の同級生はどうしているだろう……いや、これはもしかしたら使えるかもしれない。早々に資料をまとめなければ。
そして年末。大掃除も手伝わないで、夫は生配信とやらを始めたようだった。ここ一年の動画の総括をしているようだがどうにもグダグダだ。台本くらい作っておけばいいのに。というか別にこの内容なら生放送である必然性がない。ため息を吐いて画面に割り込む。さて、チェンジの時間だ。
「ちょ、生放送中だよ!」
「そんなグダグダで何が生放送よ。私が持ち込む企画の方がましです」
「は、え?」
モニターを見るとコメント欄には『夫婦喧嘩か』とか『盛り上がってきたぞ』とかの文字が踊った。視聴者の数も増えていっている。その数字を見て夫は渋々私に話の続きを促した。
「来年のお小遣いについて、契約更改を行いましょう」
「……え?」
「好きでしょう、そういうの」
笑う私とは裏腹に夫は顔面蒼白だ。それもそうだろう。このところの状況ならダウン提示しかありえない。てきぱきと昨今の物価高と対する給料の上り幅等を説明し、減棒を告げた。
「で、でも動画が当たれば……」
「動画収入は査定に入ってません。あなたが使っていいです」
反論ができないのだろう。夫はすっかりうなだれてた。よほど私が鬼嫁に見えているのかコメント欄の盛り上がりも最高潮だ。でもこの減棒はなにも意地悪だけではないのだ。
「で、お金を貯めてプロ野球の試合に行きましょう。一緒に、ね」
私の提案に、夫は驚いたように顔を上げた。夫が家計を気にして観戦に行けていなかったのはよく知っている。私だって行かせてやりたかったのだ。
それに夫には言ってなかったが、私は学生時代は野球部のマネージャーをしていた。本当は夫と同じように野球が大好きなのだ。運命というよりは割れ鍋に綴じ蓋。まあそんなもので。
喜んだ夫がカメラのことも忘れて私に抱き着く。コメント欄はついに祝福の言葉であふれかえった。まあ『末永く爆発しろ』なんて書かれちゃったけど、それはそれで仕方ないわね。
(了)