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第37回「小説でもどうぞ」最優秀賞 すごくかわいい 十六夜博士

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第37回結果発表
課題

すごい

※応募数207編
すごくかわいい 
十六夜博士

 なんだったっけ? しばらく言い合いになり、お互い売り言葉に買い言葉の矢を打ち尽くしたタイミングで、なんでカノコが怒り出したのか、もう思い出せなかった。
 目の前の食卓には食べかけのカレーが寂しそうに次の一口を待っている。カレーの味を誉めなかった? いや、テレビを観ていて何か不適切なことを言ったのだろうか。
 悶々と原因を考えていると、「とにかくシンジは、『すごい』しか言わない。他に言葉知らないの?」とカノコが睨んだ。
 ぼんやりとしていた頭がカッと熱くなり、俺はバンとテーブルを叩いた。
「カノコだって、『かわいい』しか言わないじゃないか! 語彙が少ないのはカノコの方だ。バカか」
「あっ、バカって言った! 少し学歴が良いからって。シンジはあたしを見下してる」
 カノコは両手で顔を覆って泣き始めた。
 しまった――。今は俺が悪い。別に見下しているつもりはないけれど、人を容易にバカと言うのは良くない。でも、時すでに遅し。目の前でシクシク泣くカノコをどうすれば良いか途方に暮れた。
 カノコと俺は職場で出会い、三年前に結婚した。同期入社だったけど、カノコは高卒で俺は大卒だったからカノコは四つ歳下だ。カノコは技術部の事務を引き受けていて、明るい性格がみんなに愛されていた。
「カノちゃん、これお土産」
「やだ、かわいい!」
 部のメンバーは、出張したときにカノコにお土産を買ってくることが多く、お土産をもらうたびに「かわいい!」とカノコは喜んだ。
 お土産はかわいいキャラが付いたキーホルダーのときもあったけど、大抵はお菓子だったので、「かわいい」は違うだろと思ったが、その頃は何でもかわいいというカノコが可愛かった。だからいつしかデートに誘い、運良くカノコもオレを気に入ってくれて結婚に至った訳だけど、そうなるとなんで「かわいい」と言うカノコを責めてしまうのか……。
 昔のカノコを思い出していたら、カノコを泣かせた俺がやっぱり悪い気がしてきて、「カノコ、ごめん」と謝った。でも、カノコは泣いたままだ。ごめん、もう泣かないで、となだめてもなだめてもカノコは泣き止まなかった。だんだん俺は自分がとんでもないことをしてしまった気がして、絶望的な気持ちになった。カノコの言うとおり、俺は「すごい」が口癖であることは自覚していた。だからこそ、指摘されて腹も立ったのだが、こんなことになるなら、「すごい」は封印すべきかもしれない――。
 ピンポーン!
 世界の不幸を集めたように澱む我が家を目覚めさせるがごとく呼び鈴が鳴る。モニターを見ると、親友のタイチが顔を覗かせていた。
「ちょっと取り込んでて……」
 インターフォン越しに言った。泣いてるカノコを見せるわけにはいかない。
「そうか。でも、届け物だけ渡していいか?」
 土産でも持ってきたのか。タイチには悪いが、玄関で受け取るだけにしよう。
「ほうら、かわいいだろ」
 玄関を開けると、タイチが、持っていた段ボールを俺の顔先に近づけた。中には、子犬がいて、俺に少し不安げな顔を向けていた。
「かわいい……」俺は思わず言った。
「カノちゃんも飼いたいって言ってただろ。知り合いのところで沢山産まれたんで、貰ってきたんだ」
 タイチは玄関に段ボールを置いた。
 俺は子犬から目が離せなくなり、段ボールを覗き込んで、「かわいいなー」を連発。そのたびに、「だろ。かわいいだろ」とタイチが言った。しばらく、二人でかわいい合戦をしていると、後ろから声がした。
「かわいいしか言えないの?」
 振り向くとカノコが立っていた。玄関でワチャワチャしているのが気になったのだろう。目は少し赤かったが、もう泣いていない。
「カノちゃん、かわいいだけじゃないんだ」
 タイチは子犬の前に手を出すと、「お手!」と言った。子犬はピョコンと左手をタイチの手のひらに乗せる。
「すごい!」カノコが驚いた。
「だろ。頭も良いんだ」
 カノコもしゃがんで、「お手!」と子犬に指示を出す。子犬はカノコにもお手をした。
「すごい! かわいい!」
 いつものカノコが戻ってきた。少し違うのは、カノコもすごいと言ったこと。思い出せば俺もかわいいと言っていた――。
 そしてしばらく三人で、「すごい」と「かわいい」だけで盛り上がった。
 世の中にはきっと「すごい」と「かわいい」だけあれば良いんだよ――。そう思いながら、子犬と無邪気に戯れるカノコを俺は、あの頃のように、すごくかわいいと思っていた。