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第37回「小説でもどうぞ」佳作 ぜんぜんすごくない! 万巻千里

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小説でもどうぞ
第37回結果発表
課 題

すごい

※応募数207編
ぜんぜんすごくない! 
万巻千里

 砂浜に座っている伸子の小麦色の身体が近づいてきた。私は水をかく両腕の動きを加速させた。やがて砂浜に到着し、伸子の隣に座った。熱くザラザラした砂の感触が、まとわりついた。
 ここは鬱蒼とした木々に隠された小さなビーチで、ほとんどだれもやってこない。今は伸子と私、二人きりだった。
「千絵子姉ちゃんはすごいね。あんな悠々と泳げて。まるでイルカみたい」
 どう答えていいか分からず、わざとらしく笑った。
「あはは。ぜんぜんすごくないよ。私よりも泳げる人は、この島にはいくらでもいる」
 それは事実だった。この島にひとつしかない高校で、私は水泳部に所属していたが、成績は中の上くらいだった。
 一方、伸子は泳げなかった。中二にしてはよく発育した身体つきをしていたが、運動はからっきしだった。だからビーチにやってきても、砂遊びをするか、浅瀬で戯れるくらいだった。島の子だからといって、だれもが泳ぎが得意になるわけではない。
 伸子は落ち込んでいるみたいだった。私は自分の前髪に挿してあるヘアピンを外した。幼い頃、近くの島の水族館で買ったものだ。
「これをあげるよ」
 それはイルカをかたどったデザインだった。伸子は目を丸くした。
「いいの? これ、大事なものなんじゃないの?」
「伸子がイルカのように自由に泳げるようにね。私はこれをつけていたから、きっと泳ぎがうまくなったんだ。今度は伸子の番だよ」
 伸子は目を輝かせながら受け取り、その短い髪にはめた。よく似合っている。伸子は目を細めて微笑んだ。私たちは日が沈むまえに家に戻った。家は林を抜けた三分とかからない場所にある。
 戻ってみると、叔母が子供を連れて遊びに来ていた。崇という小学五年生の男の子だ。私と伸子はこの子と数回会っていて、いっしょに遊んだことがあった。お父さん、お母さんを含めて六人でなごやかに夕食をとった。叔母から明日、崇の面倒を見てほしいと頼まれた。叔母はなにか大事な用があるらしい。
 次の日、午後から三人で例のビーチに遊びに出かけた。崇は小学校で表彰されたことがあるほど、泳ぎがうまいということだった。
 崇は思春期に入る頃だからだろうか、変に私たちを意識し、距離を取ろうとした。顔を赤くし、ずっとうつむいていた。数年前はこうではなかったのに。ビーチにやってきても、私たちから離れ、ひたすらに泳ぎ続けた。
 平泳ぎ、クロール、バタフライ、なんでもできるみたいだった。この年齢でこれほど泳げるなら、将来どれほどのものになるだろう。伸子は浅瀬で泳ぐ練習をしながら、じっと崇を見つめていた。その不器用さが痛々しかった。
 時が過ぎた。私は伸子といっしょに砂浜で寝そべっていた。崇は私たちを避けるように延々と泳ぎ続けていた。だが突然、崇に異変が起こった。両腕をバタバタさせ溺れ始めたのだ。
 息を飲んだ。助けに向かうか? いや、下手をすると私も溺れ、二次災害になりかねない。あいにく、浮き輪もロープもここにはない。少し離れたところに民家がある。まず、そこに向かおう。もしだれもいなければ、わが家に行くか、電話で救助をお願いしよう。
「伸子、ここで待ってて。絶対助けようとしちゃ駄目だよ」
 全速力で走り、民家のドアベルを押した。しばらくすると中年の太ったおばさんが現れた。
「大変です! お願いだから助けてください!」
 すぐさま声を振り絞るように叫んだ。おばさんはうろたえた様子で、目を白黒させた。
「いったいあんたはなんなの?」
 大急ぎで事情を説明した。私たちは浮き輪を持ってビーチに向かった。
 私は目の前に現れた光景を見て、なにが起こったのか理解できなかった。
 崇は溺れていなかった。浅瀬でなにごともなかったかのように突っ立っていた。崇は私に気づいて言った。
「あっ! ごめん。心配かけたみたいだね。片足がつっちゃったんだけど治ったよ。水泳は得意なのにバカみたいだ」
 そして、自分の背後を指差した。
 伸子が泳いでいた。ゆっくりではあったが、ちゃんとした平泳ぎだった。私は驚きで胸が震えた。それから二人に砂浜に戻るように言った。
 話を聞いた。伸子は溺れている崇を見て、いてもいられず、無我夢中で海へ駆け込んだという。すると、いつの間にか泳いでいたということだった。
「えへへ、私すごい? これも千絵子姉ちゃんが、イルカのヘアピンをくれたおかげだね」
 伸子が誇らしげに笑った。
「ぜんぜんすごくない! まったく、助けにいっちゃ駄目だって言ったのに」
 私は目頭が熱くなるのを感じた。それから伸子の額を小突いた。でも、よかった。二人とも無事で。私は伸子を、それから崇を抱擁した。
 離れて見ていたおばさんが口を開いた。
「お取り込み中、悪いんだけど、あんたら三人ともすごいね。いくらひとけのない場所だからって、丸裸で泳ぐのはどうかと思うよ」
(了)