第37回「小説でもどうぞ」佳作 生存戦略 渋川九里
第37回結果発表
課 題
すごい
※応募数207編
生存戦略
渋川九里
渋川九里
白石敦子による深山あかりの第一印象は〝イタい子〟だった。
「とにかく人を入れてください。これ以上もちません」
敦子が上司に言い続けてやっと決まった派遣社員だった。期間は一か月だけだが、背に腹は代えられない。どんなタイプでも受け入れるという覚悟を持って初出社当日を迎えた。だが、あかりが職場に入ってきたとき、敦子の覚悟は一瞬で吹き飛びそうになった。レースが何層にもついた白のブラウスに、腰からふんわりと広がるミニの薄ピンクのスカート、十㎝はある厚底のショートブーツ、そして口から出てきたのは甘ったるく、舌足らずな甲高い声だった。
「深山あかりと言いますぅ。よろしくお願いしまぁす」
あかりの横に立つ上司が敦子を指して言った。
「深山さんは白石さんの指示に従ってくださいね。白石さん、あとはよろしく」
敦子はあかりを席に案内すると平静を装ってマニュアルを取り出し説明を始めた。すると今度はあかりの反応に引っかかった。
「わぁ、すごぉい。このマニュアル白石さんが作ったんですかぁ? とってもわかりやすいですぅ」
電話がなって敦子がすぐに出ると、
「すごぉい。ワンコールも鳴ってないのにぃ。はやーい。白石さんってデキル女って感じですよねぇ」
一事が万事この調子であかりは「すごぉい」を繰り返した。敦子は内心イラっとしながら淡々と仕事を渡した。
あかりが来て三日が経ち、敦子はあかりの仕事の飲み込みがとても早いことに気がついた。電話を敦子がとることはほとんどなくなっている。マニュアルは最初に説明しただけで、これまでの派遣のように読めばわかることを聞いてくることはない。間違いやすい部分だけポイントを押さえて質問してくる。マニュアルにはあかりの丸っこい字で情報がいくつも追加されていた。
こんなにスムーズに仕事ができる人間はそういない、と敦子は思った。だが、「すごぉい」は相変わらず気になった。
敦子はあるとき休憩室であかりに尋ねた。
「深山さんさぁ、よくすごぉいって言うじゃない? あれ何?」
「えぇ、そんなに言いますぅ? すごぉいって思ったらつい言っちゃうんですよねぇ」
「でも大したことないことまで言っていたら、頭悪いと思われちゃうよ。あなた仕事できるんだからもったいない」
あかりは少し困ったような笑い顔を浮かべた。
「そんなことないですよぉ。みなさんがすごいからぁ。じゃあ仕事に戻りますねぇ」
あかりは残りのお茶をグッと飲み干して席を立った。
一週間もすると誰の目にもあかりの優秀ぶりは明らかになってきた。どんな仕事も嫌がらない。仕上がりが早い。方法がわからないことも自分で調べたり工夫したりしてたいていのことは対処していた。
あかりの存在が大きくなるにつれ、敦子はこれからのことが気になり始めた。あかりの契約期間は一か月だ。上司に契約期間の延長を相談すると、あかりのたっての希望なのだと言う。敦子はあかりに直接交渉することにした。
「深山さん、ここに来て二週間だよね。仕事はどう? みんなかなりあなたに仕事頼んでいるから負担になっていないか気になっているんだけど」
「大丈夫ですぅ。お役に立ててうれしいですぅ」
「それならいいんだけど。こっちも深山さんに来てもらってかなりありがたいのよ。だからもし可能なら契約期間を伸ばしてもらえないかなと思っているんだけど」
あかりは一瞬固まり、すぐに笑顔に戻ってこう言った。
「そう言ってもらえてうれしいですぅ。でもすみませーん。一か月が限界なんですぅ」
「そっか。残念だなぁ……。正直、深山さんくらいの人ほんとにいないのよねぇ」
あかりは右手を大げさに顔の前で振った。
「そんなことないですよぉ」
あかりの最終勤務日がきた。一か月しかいない派遣社員とは思えないくらい、皆口々にあかりの退社を惜しんだ。終礼では上司から小さな花束があかりに手渡された。あかりは目を思いっきり細くしてそれを受け取った。
「すごぉい。きれーい。こんなことしてもらったことないのでうれしいですぅ」
最後に敦子があかりの使っていたロッカーの中を確認し、忘れ物や破損がないことを確かめて全てが終了した。だが敦子はどうしてもあきらめきれなかった。
「ほんと惜しいなぁ。よかったらまた来てもらえないかな。あなたなら正社員で十分いけるよ。上司にも掛け合うからさ」
「ありがとうございますぅ。でも正社員にはなれないんですよぉ」
「どうして?」
あかりはピタッと止まり、クルッと敦子の方を向いた。
「若い女の子はバカな方がいいんですよぉ。仕事ができるってバレると女子からは嫌われるし、男性は自分より仕事できると思うとカチンとくるらしいんですよねぇ。だから一か所一か月が限度って決めているんですぅ」
そしてあかりは敦子ににっこり笑いかけた。
「あ、あのマニュアル、私が書いた赤字の部分追記してもらうと、次の人もっとわかりやすいと思いますよぉ」
そう言うとあかりはロッカールームを軽やかに出ていった。
(了)