公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

第37回「小説でもどうぞ」佳作 トイレのおばさん 土刀馬

タグ
小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第37回結果発表
課 題

すごい

※応募数207編
トイレのおばさん 
土刀馬

 最後の煙草を吸い終わり、立ち上がった。
 ゆっくりと歩き出す。周りは濃くて真っ黒な闇だ。夜明けまでまだ時間はたっぷりある。あわてず、確実に自分で自分を殺すんだ。
 この辺りは海に面した絶景が売り物の、全国有数の観光の名所だ。昼間は観光客だらけで、何をしても他人ひとの目に触れてしまう。
 だが、この場所にはもう一つの顔がある。全国有数の自殺の名所でもあるのだ。ついでに言えば全国有数の心霊スポットで、昔から幽霊の目撃談とか祟り話が絶えない。そのせいで真夜中には人気が全く途絶えてしまう。
 やがて懐中電灯の光の向こうにボンヤリと松林が見えてきた。小さな灯りも。近寄ってみると、公衆トイレだった。驚いたことに。こんな真夜中なのに「清掃中」の札があった。
 好奇心からつい、足を止めて中の様子を窺っていると、ゴム手袋に長靴をはき、手にブラシを持った人物がぬっと外に出てきた。
 小柄なおばさんだった。年齢は五十か六十代。昭和生まれだろう。ちょうどお袋と同じくらいか。
「え、えーと。こんばんは」
 一番月並みで無難な挨拶をしていると、おばさんはゴキブリの次につまらぬものを見たかのような表情と声でぶっきら棒に言った。
「あんたもここに死にに来たのかい」
「えっ?」
「そんな不景気な面ァしてこんな時間にこんなところにいりゃそれ以外ねーだろうがよ」
 ドスの利いた太い声だった。
「死にたいんだったら、あの松で首をくくるのがおススメだよ。枝が頑丈で、あんたみたいのが一人や二人ぶら下がったって絶対に折れない。きっと松下さんも大喜びするだろうさ」
「松下さんってお知り合いがいるんですか」
「知り合いだってえ!?」
 おばさんは大口を開けてゲラゲラ笑った。
「まァ確かに知り合いっちゃ知り合いだねえ。いっつも真夜中になるとあの松の木の下に一人さびしそーに突っ立っているんだよ。噂じゃ大分前にここで首を吊って死んだらしい。名前もわからないし、知りたいとも思わんねえ。松の下に出るから松下さんさね。あんたがあそこで死んでくれりゃあ仲間がふえてさぞかし嬉しいだろうさ。てっとり早く死にたけりゃあここの断崖から海に飛び込むんだね。ほぼ百パーセントの確率で死ねるし、死体すら浮いてこないよ」
「こんな時間にオバケが出そうなこんなところを掃除していてコワくはないんですか」
「そんなモンあんた、慣れだよ慣れ。オバケだって祟る相手を選ぶのさ。チビでデブでブスなこんなババアにゃハナもかけてこんわ。コワいかだってえ? あんたねえ、死んだ人間より生きてる人間のほうが遥かにたちが悪いよ。すぐに嘘つくし、全く信用できないね。幽霊なんて可愛いモンさ。人をダマそうにも嘘をつこうにも口がないんだから。ホラ、よく言うだろ。死人に口なしってさ」
 おばさんは再び豪快にゲラゲラ笑った。これから死のうというのにどうも調子が狂う。「そんなに生きてる奴ってのは性悪ですか」
「性悪さ。こんな姿形してっけど、あたしだって女だ。若い頃は人並みに恋愛とか結婚に憧れたし、夢だって見てた。言い寄ってきた男も一人や二人はいた。みーんなおだて上手で銚子が良くって口がうまくって、何より嘘つきだったねえ。なんだかんだとチヤホヤしてさ。こっちがボーッとなってる間に有り金持ってトンズラこきやがって。お陰でいい年こいてこんな時間にこんなところでこんなしんどい仕事をしなきゃならない」
「大変ですねえ」
 これから死ぬのも忘れ、心からそう言うと、
「あんたも気をつけな。えらそーな奴ほど平気で嘘をつく。決して信じるじゃないよ。子どもの頃、先生に言われたモンさ。おまえたちはこの国に生まれて本当に幸せだって。どんなバカでも一つの会社で定年まで頑張って働けば、辞めてからも死ぬまで食うに困らぬだけのお金がもらえるってね。世界にはな、どんなに年を食っていても、どんなに疲れていても死ぬ三日前まで必死に働かないと食っていけない国があるんだって。真ッ赤ッ赤な大嘘さね。今じゃこの国自体がそんな可哀相な国になっちまってる」
「ホントにそうですね」
 おばさんは苦笑いしながら」死ぬんならあたしがいなくなってから死にな」と言い残し、掃除道具を持って闇の中へと消え去った。
 数分後、駆けつけた巡査たちにとり押さえられた私は自殺を断念せざるを得なかった。どうやらおばさんが通報したらしい。
「実はねえ、あのおばさん自体も半年前自宅で突然死してまして。なのにトイレ掃除の契約期間がまだ残っているからと、毎晩真夜中に掃除しながら自殺者を救っているんですよ」
 巡査の話で、全てがわかった。嘆息が出た。死んでるくせに死にそうな奴の面倒までみている! まったく昭和の女って奴は!
(了)