第37回「小説でもどうぞ」選外佳作 近所のすごい穴 高橋大成
第37回結果発表
課 題
すごい
※応募数207編
選外佳作
近所のすごい穴 髙橋大成
近所のすごい穴 髙橋大成
明け方、まだ眠りのなかにいる町にとんでもない轟音が響き渡った。全能の神がうっかり運んでいたコンクリートブロックを地面に落としたかのようだった。
ぼくや町の住人たちは布団を跳ね飛ばして飛び起きた。一体何だ、落雷か、地震か、はたまた知らぬ間に戦争が始まったのか。
ぼくはパジャマ姿のまま、同じくパジャマ姿の父を追って家の外に飛び出した。近所の人も同じように外に出て、あたりを見回している。音は公園のほうからしたようだった。ぼくは驚いた。公園から煙が上がっている。
「危ないかもしれないからタカシはここにいろ」
父はそう言ってつっかけサンダルのまま走り出した。もちろん黙って言うことを聞くわけがない。ぼくも父を追った。
公園にはすでに近隣住人が詰めかけていた。人混みの向こうに煙が上がっている。ぼくは人をかき分け前に出た。そして唖然とした。
地面に直径二メートルほどの穴が空いていた。煙はそこから上がっている。
「タカシッ、危ないぞ」
後ろから父の声がして、ぼくは後ろに引き戻された。
「お父さん、この穴はなんなの?」
町の交番に勤務している野田巡査がやってきて穴を点検し、さんざんもったいぶったあと皆に言った。
「この穴を調べてみなくてはなりません」
皆黙り込んだが、やがてひとりが言った。「どうやって?」
「本官が入ってみます」
「危ない。なにがあるかわからんぞ」父が言った。
「大丈夫です。非常事態の訓練は受けていますし、警棒もあります。いざとなったら……」
野田巡査は腰にさしてある拳銃に手をかけた。みなぎょっとして後ずさった。
「では、何かあったら大声で知らせますから」
大声で知らされたとしてそうしたらどうすればいいのか言わないまま、野田巡査は穴に入っていった。姿が消えると、みな穴の縁に詰めかけ、中を見下ろした。
しばらくなにも起きなかったが、やがて穴から野田巡査の声が聞こえた。
「これは……」声は反響している。「これは……すごい! すごいぞ!」
「なにがあった?」八百屋の店主の霧島さんが言った。
「なるほど……」野田巡査がまた言った。「そういうことだったのか……すごいな」
「なにがあったんだ?」霧島さんがまた言った。
「……これは歴史が変わるぞ……すごい」野田巡査が言った。
ぼくたちは顔を見合わせた。埒が明かない。
「とりあえず危なくはないみたいだな」父の言葉にみな頷いた。
「どうする?」クリーニング屋の森じいさんが言った。「入ってみるか?」
「おれは遠慮するよ」霧島さんが言うのと同時に父が言った。「よし、入ってみる」
「やめてよ、お父さん」
僕は父の腕を掴んだ。父は暗いところが大の苦手なのだ。だが父はこういうとき、かっこつけたがる癖がある。
「いや、行くぞ。野田巡査が大丈夫ならおれだって大丈夫だ」
「ああ……すごい」その間にも野田巡査の感動のため息が穴から聞こえてくる。
ぼくの制止も虚しく父は穴に入っていった。つっかけサンダルをすべらせやしないかと僕はひやひやした。父はすぐに見えなくなったが、声が聞こえてきた。
「おお、すごい!」
「おや、タカシくんのお父さん。どうです、すごいでしょう」
「ええ、こりゃすごいなあ! こんなのが公園の下にあるなんて」
「なんなんだ?」
森じいさんがつぶやいた。みな次第に恐怖よりも好奇心のほうが勝り始めてきたようだった。
「よしおれも入ってみるぞ」
霧島さんが言ったのを皮切りに「じゃあおれも」「わたしも」と声が上がり、皆ぞろぞろと穴に入り始めた。ぼくはまだ怖く、そんな大人たちの背中を見守った。大人が未知のものにどんどん向かっていく光景は恐ろしかった。
「うわっすごい!」「すごい、これは……」「初めて見た……すごい、こんなふうになっていたのか」「これは……世紀の大発見じゃないか?」
気づくとぼくを残して全員が穴に入ってしまった。立ち尽くしていると、お父さんの声が聞こえた。
「おおいタカシ! お前も入ってこい! すんごいぞお!」
「いやだよ!」
ぼくはそう叫び返した。だが、実を言うと、中を見てみたいのもまた事実だった。「すごい……」大人たちのため息が聞こえる。ついに好奇心に勝てなくなり、僕は勇気を出して穴に入った。
中はどうなっていたか?
本当にすごかった! 僕はあんなものを見たことがなかったし、圧倒された。大人たちの言う通りだった。これを読んでいるみんなにも教えたい。だが、穴の中のすごさは、文字で表すなど到底できそうにない。実際に穴に入って確かめてほしい。
公園に空いた「すごい穴」はやがて僕の町の観光名所になった。遠くから観光客が来るようになり、穴からは、中に入った人の「すごい」という言葉がひっきりなしに聞こえた。インバウンド需要で外国人もたくさんやってきた。やがて「SUGOI」という言葉は「KAWAII」を抜いて世界でもっとも有名な日本語になった。僕の町のすごい穴が発祥だと思うと、僕はすごく誇らしい気持ちになる。
(了)