第37回「小説でもどうぞ」選外佳作 すごい 湯崎涼仁
第37回結果発表
課 題
すごい
※応募数207編
選外佳作
すごい 湯崎涼仁
すごい 湯崎涼仁
「見ろよ、年商三億だって。すごいよな、この人」
最近テレビでよく見る青年実業家の記事が載った雑誌を後輩に見せた。会社近くの町中華で料理を待つ間、雑誌で暇を潰していた。黒縁メガネにひょろっと痩せた後輩は聞いてきた。
「誰っすか?」
「お前知らないの? 最近テレビによく出てるじゃん。ほら、『何事も気合です』って言う」
「知らないっすね。自分、家にテレビないんで」
どこか浮世離れしていて無気力なところのある後輩は、会社の休憩時間に昼飯を食いに行く仲だが、まだまだ謎が多い。配属初日に寝坊して遅刻してきてから上長から目をつけられているが、仕事はそつなくこなすし地頭も悪くない。評判ほど性格も悪くないから職場ではよくつるんでいる。
「テレビないって。家で何してんだよ」
「普通に漫画読んだり、音楽聴いたり、パソコンいじってたりっすね」
今どきの若者って感じだ。ふーん、と言っている間に後輩は雑誌をパラパラめくり、「うへ」と舌を出した。「先輩このインタビュー読みました? 社員全員三日間泊まり込みですって」
「ああ、気合だよな」
「効率悪いし、前時代的ですよ。あと、ほらここ。思いつきでインドに行って商談まとめてきたって」
「その行動力、憧れるよな」
「無鉄砲ですよ。成功したからいいっすけど、準備不足で現地に行って成果がなかったらそれこそ目も当てられないっすよ」
話しているうちに頼んでいたチャーシュー麺がきたので、俺たちは黙ってそれをすすって会社に帰った。
最近の若いやつは上昇志向とか、成り上がってやろうとかいう気概がない。偉い人との飲み会は率先して参加してお酌してまわり、場を盛り上げ、いい気持ちになってもらう。そうしたら仕事上の情報も円滑に取ってこられる。それが処世術というものだ。なのに後輩を含めた若い連中ときたら定時で帰って飲み会も断り、自分の仕事が終われば周囲が残っていようとさっさと帰る。若いうちは仕事がないか聞いてまわるくらいの熱意が必要だと上司から指導を受けたものだ。そうして会社に奉仕していればいつの間にか実力と信頼がついてくる。でも、これが時代の流れなのかもしれないな。そう思っていた矢先のことだった。
「あれ? 知らなかったっすか? うちの会社申請すれば副業OKっすよ」
休憩時間に一緒にコーヒーを飲んでいると後輩が言った。青年実業家の話の途中だった。
「本業が忙しくてそんなのやってるやつなんかうちの会社にいないだろ」
「俺、許可取ってやってますよ」と後輩があっさりと言って驚いた。
聞けば自治体や県の仕事を受託で受けているらしい。本業とは明確に異なる分野のため、競業でないと判断されて許可がおりたのだという。
「今は中学校にシステムを入れているんですけどね。楽しいですよ。自分で営業して仕事とって、システム作って使ってもらうの。めちゃめちゃ便利になったって子供たちが言ってるらしくて、ちょっと泣きそうになりました」
「お前」
驚いてしばらく次の言葉がでなかった。
「お前すごいな」
話してみると後輩は家に帰ってからいろいろ勉強しているらしく、本業以外の知識も豊富にあった。これは負けていられない。後輩に教えてもらいつつ俺も勉強を始めた。深夜残業が終わると勉強のために深夜まで空いている学習スペースに入り浸り、新しい勉強をした。つい日中の疲れからうとうとしてしまう日もあったが、少しずつ自分の知っている領域が増えるのは気分がよかった。
ところが俺も若くない。寝不足と働き過ぎのせいか注意力が散漫になっていて仕事で大きなミスをやらかした。いつものように後輩が昼飯に誘うが、それを断って昼飯返上でリカバリーに追われた。なんとか先方に許しを得たのが定時ごろのことだ。今日が納期の仕事はまだ山積みのまま。珍しく後輩が残って「仕事、手伝いましょうか」と声をかけてきた。
「お前、定時なのにいいのかよ。いつもならもう帰ってるじゃん」
「まあたまにはいいかなって。それに自分の仕事が終わったらほかのメンバーの仕事がないか聞けって言ったの先輩じゃないっすか」
そう言って後輩は俺のデスクの近くに椅子を持ってきた。
遅くまで作業に追われていると、他の社員がどんどん帰っていって、最後は俺と後輩の二人になった。
「最近がんばってるみたいですね」と後輩が聞いてきた。
たぶん勉強のことを言ってるのだろう。
「まあな。でも本業に支障が出てるようじゃダメだな。俺はお前みたいにはいかないみたいだ」
「まぁ俺はその代わりいつも定時で帰ってますから」
そう言って二人で少し笑った。話はそれで終わったと思っていると、しばらく黙って作業していた後輩が突然言った。
「先輩は遅刻しないし、失敗しても自分でちゃんと先方と話をまとめられるじゃないっすか」
「え? そんなの当たり前だろ」
「当たり前じゃないっすよ。俺にはできないし」
「もしかして慰めてる?」
尋ねると後輩はしばらく黙って、それから振り返った。
「頼まれてた仕事全部終わりました。お礼はラーメンでいいっす」
そう言ってさっさと荷物をまとめた。なんだかふてくされているような態度をとるときは、だいたい照れているのだと知っている。
「じゃあ明日はラーメンな」と後輩に向かって言うと、後輩は軽く手を上げて帰っていった。
(了)