第38回「小説でもどうぞ」選外佳作 傷跡 遠木ピエロ
第38回結果発表
課 題
サプライズ!
※応募数263編
選外佳作
傷跡 遠木ピエロ
傷跡 遠木ピエロ
ズキズキと腕の古傷が痛み始めた。気圧が低くなってきたらしい。せっかく地元に戻ってきたというのに、天気が悪くなりそうだ。電車を降りると空気はジメジメしていて、シャツが汗で体に張り付くような嫌な暑さに出迎えられた。
駅前はずいぶんと変わっていた。よく行った本屋やラーメン屋は姿を消し、お洒落なカフェにハンバーガーショップ、ドラッグストア。見たこともない店が軒を連ねていた。四年という月日の長さを否応なく感じさせられた。
俺は結婚式の招待状を取り出した。謙也と成美の名前が書かれている。謙也も成美も俺の地元の友達だ。謙也は小学校の頃からの付き合いで、中学も高校もずっと同じ。俺の一番の友達だ。謙也と俺は高校三年間野球部で、成美はそのマネージャーをしていた。
招待状に書かれた住所をスマートフォンの地図アプリで検索する。案内の線をたどりながら、目的地のアパートに向かった。
インターフォンを押して少し待つと、玄関のドアが開き、謙也が姿を現した。俺の顔を見ると、満面の笑みを浮かべた。
「祐大! 久しぶりだな! 入れ入れ!」
リビングに通されると、テーブルについていた成美が立ち上がった。
「久しぶり祐大! 元気にしてた?」
「まあまあかな。一時期仕事が忙しかったんだけど、やっと落ち着いてきたところ」
俺たち三人はテーブルについて、紅茶を飲み、成美が焼いたというクッキーを食べながら取りとめのない話に花を咲かせた。
「それにしてもビックリしたよ。結婚式の招待状が来るまで二人が付き合ってることすら知らなかったし。とんだサプライズだ」
「お前が一人で東京に行っちまうから連絡できなかったんだぞ。でも結婚式の前にお前とは一度会っておきたかったんだよ。会えてよかった」
成美が結婚する。それも謙也と。
紅茶をすするふりをして、謙也の隣に座る成美の様子を伺った。ティーカップを持つ左手の薬指に指輪がきらりと光っていた。
成美との思い出に思いを馳せる。俺の記憶の中の成美はどんな時も笑顔だ。悲しい時も、つらい時も、いつでも。
もし俺が地元に残っていたら、この結婚に横やりを入れられていただろうか。いや、きっとできなかっただろう。
成美と謙也が仲睦まじく笑いあっている姿を、俺はもう傍観者として眺めていることしかできない。
「あれ? 祐大、お前そんなとこに切り傷の跡あったっけ?」
謙也がのんきな口調で俺の腕を指差した。まさかそんなところを話題にあげられると思っていなかったので、思わず息をのんだ。一息おいて、なんでもないふうを取り繕って言葉を返した。
「ん? ああ。高三の時からあるよ」
「結構深いな。何したらそんな傷跡ができるんだ?」
「あ、えーっと……」
「ねえ、そんな話いいじゃない。もっと明るい話しようよ」
成美が制するように会話に割り込んできた。
「なんだよ成美。別にいいじゃんか」
「でも、こんな痛々しい傷跡の話なんてしたくないよ。ほかの話しようよ」
というよりも、まるでこの話題を続けてほしくないかのように聞こえた。
「そうだな。そうしたいんだけど……ちょっと腹が痛くなってきたからトイレ行ってくるわ」
謙也が苦笑いしながら立ち上がった。
「はいよ、ごゆっくり」
謙也を見送ると、リビングはしんと静まり返った。成美と俺の二人きりになると、何を話せばいいのか分からなくなった。成美がカップを傾け紅茶を一口飲んだので、俺も意味もなく空になったカップを傾けた。
――最近は元気?
――謙也のやつ太ったな。
――仕事は何をしてるの?
話題を振ろうといろいろなことが頭をよぎるが、本当に聞きたいことはそんなことじゃない。
「あのさー……」
「なに?」
「謙也は成美と俺が付き合ってたことを知ってるのか?」
「知らないんじゃないかな。付き合ってたって言っても高校生の頃だし、半年くらいだし。だいたい、それを知ってたとして、それが何?」
成美の笑顔にほかの感情が滲む気配はまるで見られない。
「じゃあ、謙也とはどれくらい付き合ってるんだ?」
「謙也とも半年ぐらいだよ」
「……謙也とは、今までケンカしたことないのか?」
「ないよ。祐大と違ってね」
満ちていた潮が引いていくように、成美の声から抑揚が薄れていく。それでも成美の笑顔は崩れない。それと相反するように、俺の鼓動は強く激しくなっていく。
「あと、さっき謙也が俺の腕にある傷跡の話をした時に……」
「ねえ祐大。何が言いたいのかな?」
成美はゆっくりと椅子から立ち上がると、台所に向かっていった。
ああ、もしこんなサプライズの形で急に二人の結婚を知るのではなかったら。付き合い始めの頃から知ることができていたら、謙也には結婚を思いとどまるように忠告できたのに。成美は表向きはとても明るくて笑顔の素敵な女性だけど、その本性は恐ろしく、ケンカのたびに刃物を振りかざす危険な女性なのだと伝えられたのに。いや、きっと成美にバレた時のことを考えて忠告も何もできなかっただろう。
成美が戻ってきた。あの時と同じだ。成美はあの時も、こうして笑顔で包丁を片手に迫ってきた。
「もしその傷のことを謙也にしゃべったら、今度は切りつけるだけじゃ済まないから」
腕の古い切り傷がズキズキと痛む中、俺は成美の言葉を呆然と聞いていた。
(了)